かつて群馬は上野国(かみつけのくに)、栃木は下野国(しもつけのくに)国と呼ばれた。
 大宝4年(706)に律令制に基づく国名が定められるが、和銅6年(713)には、好字(良い意味の漢字)2字で表記されるようになった。

 その結果、「上毛野国」「下毛野国」は「上野国」「下野国」に統一される。もともとは「毛の国」だったのではないか? 
 それゆえ両国を結ぶ線路名は「両毛線」、盛んだった生糸や織物の輸送に開設された。


 懸案だったのは、何せ遠いし、この時期、寒いのと正月前後のピークを避けたのだ。
 いよいよ、町並み保存地区を巡る旅も終盤となり、遠路を行く羽目になって、日程も一泊を追加した。
 高崎までは小倉、新大阪間を新幹線さくら号で2時間、新大阪、東京間を新幹線ひかり号で3時間、さらに東京、高崎間を新幹線はくたか号で1時間弱、概ね6時間もかかる。乗り継ぎ時間を入れればざっと7時間だろう。
 

 これでは行き着くまでに日も暮れる。なに、新幹線のぞみ号なら何てことはないのだがそこはジパング、利用車両も限定されて、料金を取るか時間を取るかと問われれば、当然料金と相成るわけで、暇な年金暮らしには、おあつらえ向きなのだ。
 だが一泊余計の行程は、果たして安かったのか? その分宿泊費と夜の一献が重なるのだが。ままよ、ならばせめて高崎を散策しよう。


 駅西口から徒歩10分程の行き当たりに「高崎城」東門が保存されている。
 城は慶長2年、家康の命により、箕輪城主だった井伊直政が築城、箕輪より町家や社寺を移して城下町を築いたという。

 江戸時代には高崎藩の藩庁とされ、今では市役所に取り込まれたようだ。
 

 この地は以前訪れたことがある。有力豪族、上毛野(かみつけ)氏の拠点であり、何としても訪れいところであったのだ。
 まず、「保渡田古墳群」だ。ここは、1500年前の榛名山の大噴火の折り、火山灰に埋もれ、タイムカプセルに閉じ込められた古墳群だ。今は復元、修復され史跡公園となっている。古墳群は3つの前方後円墳からなる。
 

 そのうち、「八幡塚古墳」は墳長96mの三段築成、二重の堀に囲われ、斜面の縁には6000体もの円筒埴輪が一列に復元されている。
 他の古墳群からは100個体もの形象埴輪も出土しており、八幡塚古墳の前方部外堤上にも54体もの人物や動物の埴輪が再現されている。公園内の「かみつけの里博物館」にはその出土遺物を展示する。


 さらに近在には、豪族の居館跡「三ツ寺Ⅰ遺跡」もある。上越新幹線工事で発見。
 館は深さ3mの濠に囲まれ、1辺が86mの方形、内部は三重の柵で、生計空間と政治や祭祀空間に分かたれる。全国初の古墳時代の豪族居館となった。保渡田古墳群はこの遺跡に居住した首長の墓だとされる。


  高崎市にはこのほか、全長97mの前方後円墳「綿貫観音山古墳」や、7世紀から8世紀にかけての古代の石碑「上野三碑」(多胡碑、山上碑、金井沢碑)など遺跡の宝庫となっている。