三日月の滝からタクシーに乗り、山浦早水を目指す。

 帰りは杉河内駅までのとぼとぼ歩きだ。高くつくだろうと思われた運賃は意外とリーズナブルだった。
 

 慈恩の滝をやり過ごし、滝を回り込めば目的地、十数軒の山浦早水の小集落の背後に「山浦早水の棚田」がある。

 棚田は半円形のアーチ状に両翼を広げる。劇場かと紛う程の意表を突く見事な造形だ。

 早上りを終え、田圃に水を張った月夜の晩には、さぞかしみごとな「田毎の月」が輝くだろうと思われた。
 

 灌漑は湧水だ。確かに背後の山は深い、そしてきれいに植林もされて保水機能を果たしているだろう。

 その山中にある湧水点からは、水は田から田へ、畦の掘り割りを水路にして、順次下方に流し、田面を満たすのだろう。

 それは機械のように正確にだ。


 今は刈り入れも終わり、田圃は草も生えて、緑なすマチュピチュの趣がある。

 集落は冬の忌みの静謐に戻って、人気は見当たらない。静かな正月をつましく過ごしているのだろう。


 棚田の向かいに古びた苫屋を見つけた。懐かしい煙突からはかすかに煙も立ち上る。

 憎らしい程に演出の見事さだ。ノスタルジアが心にしみた。これからも変わらぬ風景であって欲しいと願う。
 

 都を遠く離れ、自然の懐で暮らす人たちの心性は神に近いものがあろう。
 季節の移り変わりを時間軸として、自然の輪廻をひたむきに生きる、その自然そのものの営みが神性を帯びるのだ。
 山紫水明のえも言われぬ麗しい農村景観は、今では写真家の人気スポットになった。


 帰りに立ち寄った、国道210号に開く「慈恩の滝」は、万年山を源流とする山浦川と玖珠川が合流する地点にある。

 山浦集落からの流れもここに集まる。滝は二段で、上段20m、下段10mの落差があり、水量は豊かだ。その勢いは、飛沫が国道にまで届きそうだ。


 杉河内駅は目と鼻の先にある。山陰にとても寂しく、底冷えのする駅舎にしばし佇む。
 そして一路、豊後森駅を目指す。ガタンゴトンがたごとん。
 スケッチは、山浦早水の棚田と慈恩の滝だ。