テーマは「パリの散歩道 町歩きと名曲コンサート」と題して、バイオリン正戸里佳とピアノ大瀧拓哉のデュオだ。
音楽と映像でパリを案内しようとの企画、近頃よくある趣向だが、動画ならもっとよかった。
もっとも動画ともなれば聴衆はそちらに釘付けになるか?
だが演奏の妙はそれを凌駕する。
驚くなかれ、メインの正戸は10歳にして欧州のコンチェルトにソロデビュー、17歳でパガニーニ国際コンクール3位、その後も輝かしい成績を収め、ついにはパリ国立高等音楽院修士課程を首席で卒業している。
この音楽院、実はルイ16世により設立された、フランス音楽の頂点に君臨する名門校なのだ。その当時は宮廷音楽としてバロック音楽の華やかなりし頃ではなかったか。
大瀧も同じくこの名門音楽院に学んでいる。今後ますます花開く若き才能たちなのだ。
その演題につられて訪れた。パリはかつて訪れたことがある。
ツアーだから手際よく、主だったものは一通り見たのだが、ナポレオンの眠る「アンヴァリッド」や革命時の牢獄「コンシェルジュリ」は計画外だった。
それでも途中ツアーを離れ、予定になかった「オルセー美術館」の膨大な作品群を一覧し、当時の大統領サルコジの住まい「エリゼ宮」では彼の帰宅に出くわすことになった。
ついでに、グランパレの交差点からは、凱旋門もコンコルド広場のオベリスクも左右の真正面に見通すことができた。
パリを思えば、かのシャンソン「パリの空の下」が思い出される。フラッシュバックのように曲が連想するのだ。
あの独特な音色、歌うような、踊るような、どこか哀調を帯びて、曲がイメージを喚起するのだ。
すでに脳裏に刻まれた刻印のように鮮明に蘇る。
さて、本日の曲目だ。
①ドビッシー「月の光」は、LPの時代から聞き慣れた曲だ。ピアノ曲ではあるが、見事にバイオリンが奏でた。
幻想的な月夜、投げる光は演奏する彼女のように、嫋やかで、子守歌のような安らぎに心まで透き通ってゆくようだ。
②ショパン「ノクターン第2番変ホ長調」も、ピアノのための夜想曲、確かメナード化粧品の宣伝にある定番の曲だ。
夜のしじまに何を想うか? 夜は人を感傷に誘う。何も見えぬ漆黒の闇が、意識を心の内面に閉じ込める。
そこにあるのは甘美で気だるい幻想の世界か?
それがバイオリンとなれば技巧が凝らされる。そしてゆったりとした演奏に魅惑され、甘美にまどろむ。
③ショパン「ワルツ第14番ホ短調」は、ショパンの遺作となった。
跳ねるように軽快なワルツ、一見、明るく華やかではあるが、悲しみの旋律もある。
そして、演奏には優しさや穏やかさ、そして華やぐ雰囲気がある。
④フォーレ「夢の後に」は、イタリアのトスカーナ地方に伝わる詩から、夢で出会った美しい女性と、夢から覚め現に残された男の哀しい叫びが伝わる。日本人の琴線に触れる旋律は、CDでもよく聴く馴染みの曲だ。
彼女の優しい弦さばきは飽くまで静だ。それも心にしみる。
⑤リリ・ブーランジェ「春の朝に」、リリは音楽一家に生まれた夭折の女流音楽家。2歳から神童ぶりを発揮するが、臓器に障害をかかえ、24歳でこの世を去る。
ゆったりとした旋律から、ピアノは跳ねるように小刻みに叩く。そして暗く沈んだ曲が続く。それは死への予感か。
不協和音もある。それでも彼女は淡々と弦を弾く。
⑥サン=サーンス「バイオリンとピアノのためのソナタ第1番ニ長調」
サン=サーンスの代表的な室内楽曲というが、浅学にして知らない。
何せ難解だ。サン=サーンスは天文学や哲学、文学にも造詣が深く、曲も難解なのだ。
躍動的な上下を繰り返し、突如として静寂の思索にふける。そうこうするうち暗鬱な響きが静寂を破る。
そして緩やかなセーヌの流れ。これは眠気を誘う。
後半はリズミカルにささやくように歌う。それは眠気をさます春の装い。しかしまたしても難解。
その厳格な中にも、賑々しく、眠気を吹き飛ばすかのように、叫んで終わる。何なのだ? 訳が分からない。
彼女の演奏に派手さはないが、静かな動きの中に秘めた情熱も伝わる。
体を打ち振るうのがいいい訳でもあるまい。
それにしても、何人の聴衆に彼女の技巧の妙が分かったろうか、それよりも「パリの空の下」のようなメジャーな曲目が良かったのじゃないか?
正戸は6月にも下関海のホールで、ベートーベン「ピアノ三重奏曲「大公」変ロ長調」を合奏するようだ。
飽くまでもマイナーで高度なテクニックに拘るのだ。