美術館に収蔵されている、いわばお宝展だ。

 作家は郷土出身者が多いのだろう。掛け軸になった日本画にそれが言える。

 中には古代オリエントの美術品まで陳列されており、それはこの地の収集家の寄贈になる物として合点がいった。


 収蔵品はコレクターの河村幸次郎、横川蓑松の両氏により寄贈された作品を中心に2200点を所蔵する。

 それらが当館の建築を急がせたのだろう。
 

 美術館は「長府庭園」の向かいにある。今回始めて訪れた。
 それにしてもこの美術館、三階建ての建築で、それも一階から大きく旋回したスロープで二階のエントランスに導入するが、メイン会場は三階になる。

 

 ということは、恐らく一階は収納スペースなのだろう。

 防湿の点からも、一階をエントランスにして、収納を三階にした方が、入館者にも収蔵品にも優しかったのじゃないか?

 その答えは帰りにあった。帰路はエントランス正面に突き出た歩道橋を伝って、道路向かい側のバス停に降りられるようになっている。なるほどと納得したのだが、ならば向かいのバス停側にも昇降階段が欲しかった。


 展示された郷土ゆかりの美術作家としては、まず、室町時代の水墨画家、雪舟だ。近隣から移住してきて住まった。

 山口には雪舟庭があり、県立美術館に多くの作品を所蔵するが、当館にはそれらしいものはないのだろうか?


 幕末から明治期の日本画家、狩野芳崖は下関市出身、狩野派の最後を飾った絵師である。

 代表作は『悲母観音』だが、展示作品は『寿老』、七福神の一神、白鹿をつれた神である。


 同門の親友、橋本雅邦の展示作品は『蘇武図』だ。

 蘇武は漢の忠臣、19年間匈奴に囚われの身となるが、己の節を曲げなかった。


 長門出身の農商務省技術官吏、高島北海の本務は絵師だった。

 展示作品は『日本北亜伯連峰図』『日本亜伯槍ヶ岳図』山水による山岳絵図だ。


 松林桂月は萩市生まれの明治の日本画家、展示作品は『赤壁賦図』『春宵花影』水墨による幻想的な作風だ。
 ほかに堂本印象『秋意』や上村松園『楚蓮香図』、伊東深水『浴後』などの作品が展示された。

 伊東の娘が女優の朝丘雪路だが、伊藤の絵は好きになれない。


 そのほかの代表的な作品を寸評する。
 岸田劉生の『初夏の小道』は夏の陽射をうけた真っ直ぐの道、木立の影もくっきりだが単純だ。

 また『村娘之図』などは、木炭デッサンに水彩の淡彩をかぶせたにすぎない。

 岸田今日子は劇作家の岸田國士の次女であり、劉生とは何の関係もない。


 梅原龍三郎の『はふ女』『裸婦像』はルノアールの影響はもとより、ゴーギャンの影響もあるのじゃないか?
 藤田嗣治の作品は『魚屋の小僧』『秋田の娘』『雪児童』『パリのマドレーヌ』『パリの小学校』『振り向く猫』など多い。
 エコール・ド・パリ(パリ派)の作家として、猫と女を主題に、日本画の技法を油彩画に取り入れ、「乳白色の肌」を表現した独特なものだ。そしてペン画のような鮮明な縁取りが残る。


 そして、香月泰男(1911-1974)、長門市出身だ。
 戦時中、それも終戦間際に、勝ち馬に乗ったソ連に抑留され、シベリアで強制労働に従事した。

 ソ連という国は今も昔も汚い。日本人捕虜を体の良い労働力として、酷寒のシベリアに酷使したのだ。
 その時の体験から、香月の作品は重たく冷たい黒が基調になる。
 展示作品は『二人座像』『桐』『貝殻』『うなぎ』『裏雪山』など、絵は総じて暗鬱だ。

 その中にあって、「うなぎ」は出色だ。一筆書きの筆致で、金地にウナギの黒を這わせてある。

 それはまるで生きて恨みをはいているかのごとく、強く引きつけられた。

 

 帰りは、歩道橋を伝って向かいのバス停に降り、中々来ないバスを待った。