遠州森町は静岡県西部の山間地、掛川からは天竜浜名湖鉄道で20分ほどの所だ。
三方を小高い山々に囲まれ、町の中央を太田川が流れる。
どこか京都に似た風情を感じることから、遠州の小京都と呼ばれる。
その昔、火伏せの神「秋葉山」へ通ずる秋葉街道の宿場町として賑わったという。
参詣者は講をつくって秋葉山へ代参し、講中安全と火災消除のお札をもらい、講中でお日待ちを行ったという。
今も街道脇に格子戸の町家や土蔵が残り、常夜灯が当時を偲ばせる。
太田川流域は、古代から条里に基づく地域づくりが行われ、遠江国一宮「小国神社」を中心に、「蓮華寺」「天宮神社」、太田川を京都の鴨川に見立てた「賀茂神社」や「山名神社」などの寺社が祀られている。
その小国・天宮両社に伝わる十二段舞楽は、仏教とともに大陸から都を通じて伝えられ、千年の姿をつなぐという。
手元には絵地図があるだけで、これが当てにならない。
なにがって、距離がとんでもなくデタラメなのだ。だから、歩き始めてすぐに聞いた。
結果、天宮神社はまだしも、その奥にある城下の町並みは諦めた。そして天宮も歩くには遠く、時間に不安があった。
即座に方角を転じて、歴史民俗資料館を目指すが、これも近くはなかった。そして道案内を発見して一安心した。
資料館は坂の上に、古色のままひっそりと佇んでいる。
人の気配がするので見上げるとガラス越しに管理人が待っていた。
建物は旧郡役所、陳列品は無造作に地元の供出になるものだ。まあ昔懐かしい民具の資料館と言ったところ。
他に客もなく、時間の余裕もできたので、長の雑談となった。それが一番の収穫だった。
ここは次郎柿発祥の地だという。江戸の終わり、松本治郎が拾った種を育てたのが始まりだという。
例の角張った甘柿だ。原木が残されており、観光スポットにもなっている。
他の産品は甘々娘(かんかんむすめ)のブランドを持つトウモロコシや桐箱に入った高級メロンだ。
そして清水次郎長一の子分、森の石松はこの地に生まれた。そして墓所もある。
親分の代参で金毘羅宮へ出掛けた帰路、騙し討ちに遭い、八つ裂きにされたのだなあ。
馬鹿は死ななきゃ直らねーが、その仇は次郎長がきっと討つ。
スケッチはその資料館だ。管理人さん頑張っているね?!