足助の帰りに寄ってみた。初めて訪ねた。
 このような華美な調度は敷居も高く、性に合わないところもあって敬遠していた。それに徳川にも関心が薄い。


 とは言っても、名古屋のシンボルだ。今回で名古屋ともおさらばだし、見納めと思って立ち寄ることにした。

 実は名古屋城も行っていない。


 以前、名古屋を降りた時は田舎都市だと思った。恐らく空が広く感じたのだ。

 それが近頃はビル群が空を覆って、圧倒的な都市の顔で迫ってくる。そして完全に迷子だ。


 名鉄を降り、案内を頼りに駅バスターミナルに急ぐが、やはり迷子になった。
 どうやら着いたのは名鉄バスのターミナル、目的のターミナルは市バスのそれだった。

 紛らわしい。そこからの長い道のりを急いで、どうやら間に合った。
 

 道中には古めいた県庁や市役所があり、ここも初見だったのでラッキー。
 どちらも昭和の遺物、屋上に名古屋城の天守を模した冠を被った帝冠様式で、さすがに建て替えの話が進んでいるようだ。
 美術館はバス停の徳川園新出来から徒歩少々で程なく着く。
 

 乱世の世が終わり、戦のない時代になって、武士は無聊をかこった。
 権力を握る者のせめてのたしなみとして、芸能や文化がもてはやされた。
 上に立つ者は教養人でなければならなかったのだ。それは町人文化とは違う洗練された貴族文化だった。


 ここに収蔵された物は徳川の富と権力に飽かした大名道具、工芸の逸品の数々である。
 大名道具は公的な場の「表道具」と私的な場の「奥道具」に分かれる。印象に残ったものを列挙する。
 

 第1展示室は武家のシンボル、「武具と刀剣」だ。鏡のように研ぎ澄まされた刀の面、刃文もある。その妖しさと切っ先の鋭さは見る者を凍らせる。
 そして鞘の拵え、蒔絵を施した優美な仕上げとその形、日本の形の文化を極めた優品である。

 武器としての用をなくした武士の魂は、こうしてその華美を競ったのだ。


 第2展示室は「茶の湯の世界」、血で血を洗う非情の世界に生きる武士達の心のいやしと精神修養になったであろう茶道は奥が深い。「数寄」の道という。要するに趣味だ。
 天目茶碗あり、茶杓あり、棗(なつめ)あり、中でも唐物の茶壺は色といい形といい、品良くおさまって、静かに自己主張をしている。全ての夾雑物をそぎ落として洒脱に、優美さの中にわびさびがある。


 第3室は「書院飾り」、書院の床、違い棚に置物を並べて鑑賞する。
 秀吉好みの金泥の壁を背に金の千成瓢箪では様にならぬが、金壁をバックに合子(ごうす)や香炉が品良く配置されている。お概ねが中国明時代のものだ。
 掛け軸には魔除けの神「鍾馗」図、端午の節句のヒーローだ。


 第4室は「能舞台」、能を武家の式楽(公式の場の音楽)とした。能は音楽なのだ。
 大名の御殿には能舞台が設けられ、慶事などに演じられた。
 能の演目は概ね死後の世界だ。死んだ者たちが霊となって現れ、残してきた現世への深い思いを語る、余韻嫋々の幽玄の世界。
 音楽と言えば能につきものの謡曲、これも大名のたしなみとされた。
 そして能面の数々、どれもこの世の面相とは思えない。衣装にせよ能面にせよ完成された道具が表情の乏しい舞台を盛り上げるだろう。日本は元来、物言わぬ忖度の社会なのだ。

 

  第5室は「大名の奥道具」、香道の世界だ。道具は、書棚であったり、香箱だったり、香木の伽羅を砕く鋸や槌、鑿までもが、蒔絵で装飾されている。
 贅の限りを尽くしてもなお飽き足りない、飽食の権力者たち、果たして権威はなったのだろうか? 名の伴わない形ばかりの作法ではなかったか?
 ここまでの至芸に至らしめた工芸職人の技量にむしろ感服したい。
 

第6室が「源氏物語絵巻」国宝、秘宝中の秘宝だ。
  源氏物語を題材にした絵巻としては現存最古のもので、平安時代末期の作であるとされる。各帖の場面を描いた数枚の「絵」とそれに対応する物語本文を書写した「詞書」を交互に繰り返す形式である。
 画法は大和絵で、少しくすんでいるが多彩な色使いが残る。
 平安時代がこんなにも色鮮やかな世界だったことに驚く。そして何よりそれを再現する絵の具の多色さだ。
 

 一息つき、駅に戻り、とりあえずの列車に飛び乗った。帰宅したのは夜中だった。
 スケッチは徳川美術館正面玄関