一年程前、私は地獄の中にいた。恨みや憎しみの炎で身体が焼けてしまいそうだった(実際ストレスから蕁麻疹ができ火照っていた)
私は怒っていた。姑息ないじめをする加害児童に、認めず謝罪しないその親に、隠蔽する校長や教頭に、長いものに巻かれる教師達に、見て見ぬふりするその他諸々に。怒りで爆発しそうだった。それは自分でどうこうできる感情ではなかったし、気分転換など何の役にも立たなかった
今でも思い出すと胸に暗雲が立ち込めて渋い顔になってしまう。怒りの黒雲が広がりそうになると
『アカン、また蕁麻疹出来てブスになる。思う壺になるな!』
と言い聞かせる
きっと、この事を私は一生忘れないし許さない。それで良いのだ
子供から言われたことがある。1年以上経ち、いじめの事について子供と久しぶりに話した
『僕がもっと早くやめてと言ったらよかった』
ハッとした。私はいじめ問題を、途中から自分の問題にしてしまっていた
これからも子供はいろんな人に出会う。良い人にも悪い人にも。それはこの世のバランスだから必ず出会う。そして自分にとっての正義は誰かの理不尽にもなると言うことを自分で学んで行かなければいかない。その機会を親だからと言って奪ってはいけないのだ。だって子の人生なのだから。ずっと私が守れるわけではない
見守る愛を私は学ばなければいけないんだと思う
約1年程前に起こった長く続いたいじめ問題
『学べたこともたくさんあった!成長したね!』
なんて反吐が出るような事は絶対に言いたくない。意地でも言うか。クソはクソと思い続けてやる。そしていつか絶対に見返してやる。それは復讐でも呪いでもない
子供と私が幸せになることだ
私達の強さを、笑顔を、幸せを、見せつけてやる
覚えとけ!クソが!!