2026.08.09. 私が最も落ち込んでいる時に、イエスは最も近くにおられる

JDファラグ牧師

今日のアップデートは、オンラインの方、私たちのすべてのSNS、またウェブサイトや概要欄にある他のアプリで、全編ご覧いただけます。その理由は、「聖書預言・アップデート」ではなく、「聖書預言の教え」を続けているからです。これは主が導き、先導し、促しておられると信じ、皆さんもそうご存じですように。主が別の道を示されない限り、「聖書預言の教え」に集中したいという火が、私の内に燃えています。さあ、アップデートを見逃したり、こう求めておられる方、「J.D.は次の聖書預言・アップデートをいつするの?」いや、特定の誰かを見てはいません。あなたのことではありませんよ。ええ、もうすでにしました。私たちのユーチューブチャンネルには3000本以上の動画があって、2008年、まだ10分の動画しかアップロードできなかった一番最初の頃からのが。ですから、私にとっては、10分の動画25本分くらいですね。それに、よければ、ぜひご覧になってください。今起きていることはすべて、ええ今、すべてが起きています。もうすでに取り上げてきたからです。特に、この6年間でね。信じられます? 2020年から、もう6年近くになるんです。私はそれを別の名では呼びません。2020年。 点と点をつなげてください。驚くべきは、私たちが取り上げてきたことすべて、神のみことばがそうなると告げたとおりに、実現し、成就しつつあります。

おぉ、よし。準備はいいですか? さあ、始めましょう。今日お話ししたいのは、

『私たちが最も落ち込んでいるとき、イエスが最も近くにおられる』です。韻を踏んでいるのは分かっています。させてくださいね。でも、これは少なくとも2つの意味においてで、その2つは切っても切れない関係です。第1に、これは心の打ち砕かれた人、霊の砕かれた人への、神の破られることのない約束だからです。「詩篇34篇18節」にあります。でも、神のみことばにある多くの箇所、約束、そして預言と同様に、これらには2重の成就があります。そして、これもその1つです。2つ目の意味は、この破られることのない約束が、終わりの日の預言と一致しているからで、その預言は、患難時代前携挙の直前に、クリスチャンとクリスチャンの教会がどんな様子になるかを、前もって告げています。謙虚に、へりくだってお願いしたいのは、、、どう言えばいいでしょうね。偽教師たちが偽って教えてきたことを、「忘れ去るか」か「脇に置いておく」。偽教師のすることは偽の教えですから。彼らは偽りを、偽りの教理を教えます。どうやってか、やがて大リバイバルが起こり、教会が7つの制覇の山を支配し、影響を与える、という教えです。皆さん、大丈夫ですか? 何のことか分かりますか? 新使徒改革運動(New Apostolic Reformation)。NARそれは、新しい包装紙をまとった支配神学です。 看板を掛け替えただけです。日の下には新しいものは一つもない。

(伝道者19

支配神学とは何か?  イエスが再び来られる前に、クリスチャンが地を支配しなければならない、という教えです。ええっと、(J.D.聖書を調べる)待って、待って、少しだけ時間をください。いいえ、神のみことばのどこにも、そう書かれている箇所を私は覚えていません。むしろ、その逆が書かれています。それについて、あなたはどう思いますか? は? 私のように皮肉屋にならないでくださいね。もしNARの人と話しているなら、「あなたはNARだ!!」唸り声で言ってみてください。「あなたはNARだ!!」いえ、それって、NARは、クリスチャン・ナショナリズム(信仰と愛国心の融合)と同居しています。ちなみに、これも取り上げました。クリスチャン・ナショナリズムと愛国主義について、いつだったか、忘れましたけど過去のアップデートで深く掘り下げました。おそらく、もう2、3年ほど前でしょう。でも、「深く掘り下げた」と言うのは、本当に踏み込んだということです。聖書から、疑いの余地なく、合理的な疑いではなく、いかなる疑いもなく、神のみことばの中に、リバイバルが起こる、大覚醒が起こると告げる箇所は1つもないという反論の余地ない証拠を示しました。いいえ、大覚醒は起こりません。今、出て行きたいですか? それとも、動画を閉じたいですか?  おぉ、もう閉じましたね。わかりました。神のみことばが語るのは、そういうことではありません。ええ、そう言ったり、そうしたりするとき、それは「イエスはまだ戻って来られない」と言っているのと同じです。ほら、「マタイの福音書24章」、私のイエスの戻りを遅らせてはいけない。最後にそれをしようとした人は、今も行方不明です。OK、今のは言い過ぎ? 早すぎましたね、早すぎました。 OK、言いたいことは伝わりますよね。いや、私は、これをとても真剣に受け止めています。実際、真剣な問題だからです。なぜなら、それこそが、多くの新生したクリスチャンを、ただの公言するだけのクリスチャンではなく、新生したクリスチャンを、迷わせているからです。そして彼らは、敵の餌食となってしまいました。偽りの父、混乱の作者である敵の。これはどれほど混乱を招くでしょうか。神のみことばを学ぶ人、生きた神のみことばをよく知っている人は、みことばを読み、それからテレビをつけるとテレビはつけないでほしいですが、みことばと真っ向から対立し、矛盾ばかりを耳にします。なぜなら今や、突然、「アメリカを再び偉大に」というわけですから。ええっと、(J.D.聖書を調べる)慎重に言います。でも、これは言わなければなりません。ヒトラーの――彼の選挙スローガンの1つが何だったか、知っていますか?

「ドイツを再び偉大に」。調べてみてください。調べてみてください。それだけではありません。 こんにちのアメリカとナチス・ドイツの類似点の、ほんの氷山の一角にすぎません。さあ、ここまで大丈夫ですか?まだ、これはまだイントロですからね。でも、先へ進む前にこれを指摘しておかねばなりません。今日、皆さんに話すのは、健全な教理だから。そしてそれは、こんにちの偽教師たちが教えているすべてに、真っ向から対立します。そして切にお願いします。聖書に立ち返ってください。聖書預言に立ち返ってください。みことばに立ち返ってください。それこそが、まさに私たちの信仰を築く土台です。いいですね? 

 

 

 

 

長年、毎週毎週欠かさずやってきたように、「救いのABC」をぜひしたいのです。これは形式ではなく、道具、あなたを備えるための道具だからです。「エペソ人への手紙4:12」でパウロは、ミニストリーの働きをするために聖徒たちを整えるためと書いています。ここで、あなたに道具をお渡しします。この道具には、少なくとも2つの目的があります。第1に、救われた者が、救われていない人に届くように整えること。第2に、救われていない人が救われるための、子どもにでもわかるシンプルな救いの説明です。福音。福音の力です。パウロは言いました。

「私は福音を恥としません。・・・ (冗談じゃない、という思いで。)・・・ 救いをもたらす神の力です。」

(ローマ1:16

私たちは治療法を持っているのに、恥ずかしがっている。「彼らは、友達解除するかも😢 フォローを外すかも😢既読無視するかも。私をブロックするかも。😖」わぁ、それは残念です。残念ですね。

A: 自分が神に背いた罪びとだと Admit/認める。これが一番の障害です。たいていの人はこう言うからです。「まあ、私は良い人間ですよ。」そして、その人がその地点に至るまで、無理強いしないでください。御霊が導かれます。その人は、ある地点に至らなければなりません。新生した私たちは皆、こう認める地点に至らなければなりませんでした。「私は罪びとです。私には救い主が必要です。」そして、その方法はたくさんあって、 主がその中であなたを導いてくださいます。でも、1つの方法は、その人を「ローマ人への手紙3章10節」に導くこと。「出エジプト記20章」の十戒に導くこともできます。それは神の律法という完全な鏡。私たちが守るために与えられたのではありません。それは、神がご覧になるとおりに、私たちに自分を示すために与えられました。それであなたは、「3番、2番、6番はけっこう守れたな、う~」となる。「まあ、9つは守ったが、1つ破った」と。1つ破れば、10すべてを破ったことになります。ですから、あなたは律法を破った者です。ちなみに、念のため、

ローマ人への手紙3章10節

「義人(正しい者)はいない。一人もいない。」

義人は一人もいません。あなたは例外ではありません。 あなただけではありません。ただ1人、唯一のお方がおられました。キリスト・イエスです。善で、完全で、罪がなく、非のうちどころがなく、義なるお方でした。さあ、「ローマ人への手紙3章23節」、これを組み立て直したいのです。変えてみますから。これを変えてみますよ。罪は、禁じられているから悪いのではありません。罪は、悪いから禁じられています。私たちは、罪びとだから罪を犯すのではありません。 罪を犯すから、罪びとなのです。今のは――教えの終盤で、これは遅すぎました? 聖霊がそれを引き受け、あなたの心に働きかけてくださいますように。いいですか。

ローマ人への手紙3章23節

すべての人は罪を犯して、・・・

だから。それはアーチェリー用語で、「的を外した」という意味です。的の中心を外したのです。9回当てた。すごい。おめでとう。でも1回外した。神の完全な基準、義の的を外した。だからあなたは罪びとです。あなたは神の栄光に届いていない。さあ、その人が、神に罪を犯したこと、そして救い主なる神が必要なことを、ついに認め、悟ったら、「ローマ人への手紙6章23節」のような聖句に導いてください。まず悪い知らせから始めます。それは、有罪を宣告された彼らの罪に対する、判決段階です。死です。死刑の宣告。

ローマ人への手紙6章23節

「罪の報酬は死です。しかし、(良い知らせ→)神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

さあ聖霊によって、ただ聖霊によってのみです。私たちすべてをあらゆる真理へ導くのは、聖霊だけだからですよ。ですから、聖霊が導かれるとき、、、実際に人をキリストへ導くのは、私たちではありません。聖霊が導かれます。私たちがするのは、引き合わせることだけ。誰かが蒔いた種に、水をやるだけかもしれません。もしかすると、主は、聖霊がその魂を刈り取られるとき、その収穫に立ち会うという深い特権を、与えてくださるかもしれません。Bは中心です。 Aは障害でした。Bは中心で、不可欠。B:あなたの心で、Believe/信じる。「うん、神を信じているよ。イエスを信じているよ。」ということではありません。

ヤコブ 2:19

悪霊どもも(神を)信じて、身震いしています。

あなたを悪霊と呼んでいるのではありません。でも、あなたの「信じる」の定義は、聖書の「信じる」の定義とは相いれません。では、「信じる」がそういう意味でないなら、「信じる」とは何を意味するのか? これが中心で不可欠なら、その意味を知ることが不可欠だから。

ローマ人への手紙 10 章9節

「あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

さあ、心で信じるとは、あなたの罪のために死なれたイエス・キリストを心で信じ、全き信頼を置く、という意味です。あなたは、自分の義という汚れた衣を捨て、あの方から付与される義を受け取る。それが「信じる」という意味です。そして信じると「証拠」があります。私たちは、障害から、中心で不可欠なものへ、そして証拠へと進む。 それは何か?

C:イエスの御名を Call/呼び求める。 Confess/告白する。

あなたの口から何が出てくるのか?

「心に満ちていることを口が話すのです。」(マタイ 1234/ルカ 645

イエス・キリストが主で、神があの方を死者の中からよみがえらせたと心で信じるなら、私の口から何が出てくるでしょうか? イエス。イエス。

ローマ人への手紙10章13節

「主の御名を呼び求める者はみな救われる。

これは、繰り返しますが、だから形式じゃないのです。「AをスロットBに差し込んでCを得る」というものではありません。違います。それは進んでいく流れです。私たちが「十字架上の盗人」と愛称する人を見てください。それが彼の罪だったかは分かりません。彼は斧殺人犯だったかもしれません。言っているだけ。でも、彼はたまたま、世の救い主と同じ日に十字架刑でした。どうやら、その日十字架の上で出会ったばかりの新しい友と一緒に。ですから、2人いるわけです。興味深いですね。何が起こるのか? まあ、1人はあの方を拒み、あざけります。でも、もう1人はこう言います。

「待てよ、私はここにいて当然だ。でも、この方はそうではないと思う。」彼は認め、告白します。「私は有罪。この方は無罪だ」と。それがAです。次にBが来ます。 それが中心でした。彼は信じた。彼は、この方が世の救い主だと信じた。そしてそれは、彼の口から出たことばが、証拠です。

「あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」(ルカ23:42

彼は口で告白した。イエスは何と言われたでしょうか?「まことに、まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43

パラダイスは、復活以前のことです。それには入りたくありませんし、時間もありませんし、皆さんも望まないでしょうから。そこに、「ABC」が美しくまとまり、しっかりと織り合わされています。ちなみに、私たちは天でその人に会いますよ。彼の名は告げられていません。 どのみち新しい名をもらうので、問題ありません。 新しい身分証をもらいますから。私も新しい名前が待ちきれません。ほう~!! OK、まとめましょう。滑走路に近づいています。 座席のテーブルを元に戻してね。

 

 

 

 

 

 

 

あなたが私だったら、自分に何と言うか教えてください

JDファラグ牧師

 

 

 

「もしあなたが私なら、自分自身に何と言うか、教えてください」という問いへの、5つの応答です。準備はいいですか? 始めますよ。 シートベルトを締めてね。

1つ目、私があなたなら、自分にこう言います。「イスラエル、すなわちエルサレムこそ、神の預言の時計。」もう時間切れです。時間は尽きました。終わりに来ています。今が何時か、知りたいですか? それは「時間切れ、タイムアウト」という時刻。私たちは、時の終わりに達しました。それが、今の時刻です。終わりの時です。

さて、皆さんをお連れして見ていける預言は数多く、膨大にありますが、「ゼカリヤ書12章」、最初の3節だけに絞ります。皆さんもよくご存じの箇所でしょうけど、でも、こう前置きだけさせてください。この具体的な預言については、、、もうニュースを見なくてもいい。その必要はありません。A.I.ではない、信頼できるニュースフィードがあれば、まだA.I.に支配されていないものなら、たとえばGmailのみたいなの、お気づきですか? あの「Ask Gmail(Gmailに聞く)」機能。急に現れました。そして今や、Gmailでメールを書くと、突然、あのくねくねした線が現れる。A.I.です。そして、消し方が分かりません。もし消し方をご存じなら、どうかこの年配者を助けてくれませんか? それにちなみに、私はGmailには聞きません。 GOD(神)に聞きます。ああ、Google検索をするとき、お気づきですか? これは木曜の夜に話しました。してしまいました。 すべきではなかった。でも、もう手遅れです。 歯磨き粉はチューブから出てしまったから。自分の名前を検索したのです。お~いやいや。ああ、それは、いや、ひどかった。とてもひどかった。 本当に、本当にひどかった。そして私は、「何をしてしまったんだ」と思いました。まあ、これは自業自得ですね。信じられますか、A.I.が、ボン! 最初の検索結果がA.I.です。A.I.でない結果を得るには、4ページ目くらいまで行かないといけません。お気づきですか? 私だけ?  どうか、私だけではないと言ってください。人々は、A.I.が乗っ取ると言います。 私は、もう乗っ取ったんだと思います。私たちが見ていないうちに、眠っている間に。それで私は、「その話に乗ってみよう。」と思いました。A.I.は、私自身が私について知っている以上に、私のことを知っていました。いや、本当に。A.I.は正確に、妻の死も、娘の死も、子どもたちの名前も、その誕生日も、何もかも知っていました。私は時々、子どもたちの誕生日を忘れます。今は子どもたちの誕生日を思い出すのに、A.I.に頼らないといけないの? なぜ私は叫んでいるのか?  分かりません。私が叫んでいるのはA.I.に対してで、皆さんにではありません。娘が私のまねをしていなくて、よかった。ね? テレビに叫ぶ代わりに、あら、パパ、今度はA.I.に叫んでいるわ。#$%^&* ~!@#$%^&* 私はこの預言を読もうと思います。そして読みながら、皆さん、あなたと聖霊との間で、これが今、まさに今、起こっているかどうか、自分に問いかけてほしいのです。つまり、その具体性、精密な正確さ。

ー ゼカリヤ 12:1 ー

宣告。イスラエルについての主のことば。天を張り、地の基を定め、人の霊をそのうちに造られた方、主の告げられたことば。

ー ゼカリヤ 12:2 ー

「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのあらゆる民をよろめかせる杯とする。エルサレムが包囲されるとき、ユダについてもそうなる。

ー ゼカリヤ 12:3 ー

その日、・・・

その日っていつ? こんにちです。

・・・その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い(境界)石とする。すべてそれを担ぐ者は、(与える者、切り分ける者は)身にひどい傷を受ける。(切り刻まれる)・・・

この3節の最後の部分に、特に注意を払ってほしいのです。

・・・地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。

あなたと聖霊との間で、あなた自身の心の静けさの中で、今、こんにち、こうして話している間にも、すべての国々がエルサレムを取り囲み、エルサレムの分割を求め、エルサレムを切り分け、譲り渡そうとしている。すべての国々は、陶酔するほどの執着を抱いていないですか? つまり彼らは、ヤル・シャロム(エルサレム)という名の、この小さな小さな街に酔いしれています。なぜ、その街なのか? それは、あらゆる街の中で、その街こそ、神が文字どおり御名を置くために選ばれた街だからです。このことは、長年にわたって取り上げてきました。それは、ただただ息をのむほどです。この預言を読むとき、私が特定の言葉を強調するのは、それが神のこう仰る声のようだからです。「わたしはする。あなたはしてはならない。それは、あなたがどうこうしてよいものではない。それはわたしの街だ。あなたはそこに、わたしの名を見る。それは権利証書の上にある。所有を示すわたしの名が、権利証書の上に、そして民の上に。わたしの名は、民の上にある。」民数記6:27にあります。私たちはいつも、その箇所を飛ばします。アロンの祝祷です。(民数記6)

「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。御顔をあなたに向け、平安を与えられますように。」

私たちはそこで止める。止めないで、次の箇所を読んでください。「わたしは、わたしの民の上に、わたしの名を置く。」(民数記6:27参照)

それは、中東の文化で決して見過ごしません。名は、その本質だからです。私の名、父が生きていたとき、

父を「アブ・ワヒード」=「ワヒードの父」と呼ばれるのが大きな誉れでした。父の名は私の上にあり、私の名は父の上にある。父は「アブ・ワヒード」と呼ばれ、私は「ビン・ファイズ」=「ファイズの子」と呼ばれました。やりすぎ? 何人かはこんな顔で私を見ていますね。「うわ、今日はアラビア語のレッスンがあるとは知らなかった。」

OK、私は、皆さんに教養をつけようとしているだけです。教養がないので、教養をつける必要があるのです。

では、2つ目です。順調に進んでいますよ。そんな目で私を見ないでください。自分があなたなら、自分にこう言います。

「こんにちの前例のない技術の進歩、特に生物医学の進歩は、聖書預言にあることと、寸分たがわず今、一致している。それが意味するところは、もし技術が指数関数的に進歩し続けるなら、今、聖書預言にあることを超えてしまう。」

皆さん、分かりましたか? 理解すべきは、このことは、飽きるほど話してきました。実際、よければ、

「ああ、また預言の教えか、聖書預言・アップデートはどこ?」と思っている方、ユーチューブチャンネルとウェブサイトに20年分ありますから、どうぞご覧ください。ええ、この5年間の。何千もの動画がありますが特にこの5年間のを。聖書預言・アップデートがほしいですか? 私に何をしろと。作り直せと、電子レンジで残り物を温め直せと? ただ手を加えて、取っておいて、使い回して、再利用しろと? いやいや、私たちは祭壇の上に新しい火をともします。特に、聖書預言に関しては。この技術について、言わせてもらえば、私はある情報を握っているのですが、それは、7年間の患難時代に起こると告げられていることと、まさにぴったり合います。今から「黙示録13章15-16節」を取り上げ、この預言の技術的な成就を、現在に当てはめて挿入します。第二の獣、偽預言者のところから読み始めます。

ー 黙示録 13:15 ー

それから、(第二の獣、偽預言者は)その(第一の)獣の像に息を吹き込んで、・・・

これは、命のない物体です。何の像なのか? 第一の獣の像です。像にいのちを与えると、何をするのか?

・・・獣の像がものを言うことさえできるようにし、・・・

あのA.I.、皆さんが見るユーチューブ動画で、「うわ、これは完璧だ」と思う。A.I.です。ええ、私たちはもう、A.I.動画を見て、第一に、それがA.I.だとさえ気づかない、というところに来ています。それは本物の人間ですらない。そして第二に、「うわ、これは本物の人間より、むしろ良い。」と心の中で思うところに来ています。よく考えてみてください。画面に、ある像が表示されていて、高解像度の画像で、それが話している。それは、まさにこの箇所にあります。どうやって話しているのか? A.I.です。それから、A.I.の嘘にだまされないでください。

「ああ、A.I.は意識を持つとか、人間より賢くなるとか」予測はまちまちで、2年後、3年後、20年後、

などと言われます。はっは~!! あなた、何を飲んでいるんですか? それは嘘です。なぜ嘘だと分かるのか? A.I.はもう、今、まさに今、そうだからです。さあ、さらに悪くなります。第二の獣は、命じ、支配し、中央から統制する力を与えられ、

・・・また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。

このことは、4週間かけて話しました。マインドコントロールです。思考を支配すれば、行動を支配し、体の動きを支配し、あらゆる決定を支配できます。それが、これの正体です。そして、彼らがその技術をまだ持っていないなどと、一瞬たりとも思わないでください。実は何十年も前から持っています。たましいと、崇拝を引き換えに人間に与えたサタンの知能―思考に入り込み、思考を支配し、体を支配し、行動を支配し、崇拝を支配するための知性。そしてそれが、すでに用いられています。ですから、「携挙はたぶんあと50年は来ない」と言う人たちに言います。まあ、かわいらしい考えですね。これ以上は言わないほうがよさそうです。16節、さっきのはたった一節でした。 もう一節あって、さらに悪くなります。

ー 黙示録 13:16 ー

また獣は、すべての者に、・・・

強制した。地上に住むすべての者に、地上のすべての国民に、

・・・すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。

さあ、私たちはこれを、ぶよのまゆげほどの細かさまで解き明かしてきました。そう、ぶよにもまゆげはあるのです。原語でのその意味と一致するのは、SNS上なので言いませんが、これこそ、今、世界規模で起きている、中央集権化、バイオデジタル認証、量子コンピューティングによる本人確認、そしてブロックチェーン技術による認証。ほら、あとは時間の問題です。私は、その前に、イエスが御父の家に用意くださっているあの場所へ、私たちを連れて行ってくださることを望みます。でも、大いにありうるのは、たぶん、可能性が高いとは言いませんが、そうならないことを願います。でもあり得るのは、ある晩に床につき、翌朝目を覚ますと、何もかもが中央集権化され、デジタル化され、トークン化されている。あっという間に。ああ、彼らはもう、レバーを引く用意ができています。それって、古い、いや、時代遅れの言い方ですけど、 もっとハイテクな言い方を考えないと。彼らは、画面をタッチする用意ができています。 分かりませんけど。空欄を埋めてください。 好きなのを使ってください。じゃあこれは何のため、何についてなのか? ええ、こう言いましょう。私たちが一節一節学んだ「黙示録」から、私たちは知っています。これを受ける者はだれでも、永遠に地獄での滅びに定められる。(黙示録19:20参照)

彼らは、贖われることができません。そしてその理由も分かります。彼らは、この刻印、額や手にある刻印によって示されるとおり、第一の獣に忠誠を示し、ひれ伏して礼拝するから。それなしには、だれも何も買うことも売ることもできないからです。

では、これのどこが、彼らを贖われえない者にするのか? トランスヒューマニズムです。人間でないもののDNAの種を、人間のDNAの種と混ぜ合わせ、それが、獣の名、あるいはその名の数字です。これを見逃さないでください。神の御名ヤハウェは、私たちの上にあります。なぜ、どのようにか知っていますか?

それは、私たちのDNAの上にあるのです。 神は私たちを、ご自分に似せてご自分のかたちに造られました。この聖句箇所は、反キリストに似せた像です。ヤハウェYHWHがDNAにある。この4文字は、私たちみなのDNAの上に、YHWHが刻まれています。では、サタンは何をするのか? サタンは、人間のDNAの上に、自分の名を置きたいのです。そのつながりが、分かりましたか? これは「ダニエル書2章」です。

私は、この預言、この特定の預言で、皆さんをさんざん打ちのめしたと思います。「創世記6章」のネフィリムも。それでも皆さんは、またここに戻って来られる。皆さん、いったいどうしたんですか? つまり、皆さんが心に傷を負い、トラウマを負って、痙攣まで起こしているでしょうに。

3つ目、自分があなたなら、自分にこう言います。「聖書預言で前もって告げられたすべての出来事の、同時の収束と整列が、今すでに、しかも猛烈な速さで起こっている。」

これを、少し大局的に見てみましょう。終わりに関する聖書預言の、正確なタイミングと正確な整列という数学的・統計的な不可能性は、はじまりにおける救い主の誕生に関する聖書預言の正確な時期と正確な整合性と同様に数学的・統計的に不可能です。その確率が、どれほどか分かりますか? 計算不能、不可能です。それは数学的には不可能なのに、実際に起こっている。

では、それをどう説明しますか? それは数学の中にではなく、奇跡の中に、超自然の中にあります。要点は? 要点は、私たちに、定められた時、すなわち、間近に迫った、突然の、突如の患難前教会携挙への神の定めの約束を指し示します。福音書から、3つの節を読みたいと思います。最初の2つは「ヨハネの福音書」で3つ目は「ルカの福音書」にあります。「ヨハネの福音書13章19節」から始めましょう。もう一度、皆さんの注意を、私が毎週しつこく言うあの詳細に向けたいのです。それは愛からですよ。私は、詳細について、愛をもって、イエスの御名によって、皆さんを叱責します。「ヨハネの福音書13章19節」、イエスが話しておられます。

ー ヨハネ 13:19 ー

事が起こる前に、今からあなたがたに言っておきます。起こったときに、わたしが『わたしはある』であることを、あなたがたが信じるためです。

「わたしはある」に・・・はありません。翻訳のいくつかで、それを「わたしがそれである」と訳していますが、 ちがいます。「わたしは、あの偉大な『わたしはある』である。」モーセは、「もし彼らがあなたの名を尋ねたら、だれが私を遣わしたと言えばよいのですか?」(出エジプト3:13

「おぉ、『わたしはある』と言いなさい。」「あなたは、何であるのですか?」「わたしはある。 I am・・・」

「続きは?」「いや、わたしは『わたしはある』という者である。」神は、おられる。はっ!!! だって、そうでしょ? わたしは、わたしがそうありたい、そうある必要があるそのすべてである。I am=わたしはあるだからだ。わたしは、あの偉大な『わたしはある』である。 ほかに質問は?」いいえ、大丈夫です。あなたが言われたことを、彼にそのままお伝えします。主は仰いました。「あなたに告げる。主は、『わたしはある』なのだ。次の質問は?」さあ、この言葉に注目ください。「わたしは今、あなたがたに言っておきます。」まあ、それこそ、私たちがあなたに尋ねたことです。もしあなたがあなた自身だったら、私たちに何を仰るかを。あなたが私だったら、、、私に何と言うか? あら、自分でつけた教えのタイトルをもう忘れているのは、かなりまずいですね。でも、「言っておきます。」を覚えておいてください。今度は「ヨハネの福音書14章29節」に移りますから。これを聞いてください。「今、あなたがたに言いました。」言ったでしょ?言ってあったでしょ? ほら、13章では、「今、言っておきます。」14章では、「今、あなたがたに言いました。」それって、「言った通りでしょ?」と誰かに言える喜び、私たちは心から楽しみ、その喜びに浸るのでは? 相手の鼻先に突きつけて。「だから言ったでしょ?」と。まあ、そういう意味ではありませんが、あくまで例えとして言いました。イエスは、私たちに教えてくださっていると捉えたいです。事が起こる前に、今からあなたがたに言っておきます。起こったときに、イエスが『わたしはある』であることを、私たちが信じるためです。そして今や、振り返ってみればほとんど過去形です。「言ったでしょ?事が起こる前に、これから何が起こるかを、わたしは告げておいた。 だから、それが起こったとき、あなたがたは信じます。」私はこれを、おもに未信者のためのものだと見ます。それは、多くの未信者が聖書預言を通してキリストのもとに来る理由を説明するから。というのも、100パーセントの正確さで言える者は、他にいないからです。「ねえ、これから何が起こるか、起こる前に言える。それが起こったとき、あなたは、わたし(イエス)が真理だと信じる。」だから、あなたはここにいて、事が起こる前に、これから何が起こるかを告げられた。それで、あなたはそれを胸のポケットにしまっておく。すると突然、「ほ~!!今、起こっている。あの方が、これは起こると告げられた。そして今、起こっている。あの方は、正しかった。」「わたしは、正しい。あなたは信じますか?」「ええ、どこにサインすればいいですか?」「その必要はありません。 わたしはすでに、あなたのために、自分の血でサインしたから。」さて、「ルカの福音書21章28節」は、むしろ信者のためのものだと、私は見ます。私はこの節が大好きです。この節が大好きです。 この節が大好きです。この節が大好きだと、言いましたか?ご存じでしょ?「ルカの福音書21章28節」、 さあ。

ー ルカ 21:28 ー

これらのことが起こり始めたら、・・・

ほら、あのこと、わたしが起こると言ったでしょ? 言ったでしょ? そうなると言ったでしょ? そして今、そのとおりになっています。注意してください。イエスは「もしもこれらのことが起こったら」とは言われません。いえ、そうじゃない。「もし起こったら」ではなく「起こるその時」です。「これらのことが起こり始めたら」、あなたのすべきことは、あなたはすでに信じる者ですからあなたの応答は「信じます!」ではありません。 あなたはすでに信じています。でも、あなたは信者だから、ほら、顔を上げなさいよ、ベイビー。顔を上げなさい、ベイビー。ほら、横断歩道で、交差点で、待っていると、今は警備員の方がいます。そういえば、私の若い頃は、「Don't walk(止まれ)」と「Walk(進め)」の文字を必ず読まされたものです。そして今や、誰もが読み書きができない状態。だから、棒人間を光らせて、それにバツ印をつけて、といった具合です。それであなたは、そこに立って待っていて、ボタンを押している。ピーピッ。長い列です。 通りを渡らないといけない。すると突然、目の端に、誰かがこうして見上げているのが見える。あなたはどうしますか? 観察して模倣する。あなたはこう言うでしょう「何を見ているんですか?」「おぉ、私は上を見ているのです。イエスは仰いましたから。今、何が起きていることの、それが起こり始めたら、今も起こり続けているので私は上を見上げ、頭を上げるんです。」「なぜそんなことをしているのですか?」「イエスが、私の贖いが近づいている、と言われたから。」ひや~!!! ほぅ~!! は~!!(歓声)

こうした奇声は、私の国の習慣です。(警報音)ハレルヤ。栄光あれ。 マラナタ。あなたは、鳥肌ですか?鳥肌が立つね。(オンライン) 失礼、鳥肌が立つです。それを「イエス肌」と呼ぶ人もいます。

4つ目。あと少しですよ。自分があなたなら、自分にこう言います。「地のすべての国々は惑わされ、また、地のすべての国々が惑わしてきた。」私がこれで何を言おうとしているか、分かりますよね。少し補足として言わせてください。惑わされた人々は、人々を惑わす。言葉遊びなのは分かっていますが、ご希望なら、もっとゆっくり言いますよ。惑わされた人々は、人々を惑わす。あなたが惑わされていれば、あなたも惑わす。つまり、あなたは自分自身を欺き、自己欺瞞に陥っている。だから、そういうことなのです。では、どの預言のことを言っているのか? それは、私が長年、特にこの6年間、何度も繰り返し取り上げてきた「黙示録18章23節」、大バビロンが倒れるときの預言です。そして、またかなり生々しい描写が与えられています。それが、どのようか、そしてなぜ倒れたか、についての詳細です。

ー 黙示録 18:23 ー

ともしびの光も、おまえのうちで、もはや決して輝くことはない。花婿と花嫁の声も、・・・

大好きなんです。ちょっと芸術的自由とか、自由な解釈とか、そういうのを少し取り入れているんでしょうけど、でも、「花婿と花嫁」って私たちはキリストの花嫁では? イエスは、私たちの花婿では? あなたはがたもう、私たちの声を聞かない。あなたがたはしばらく私たちの声を聞いていない。花婿が夜の盗人のように私たちを迎えに来て、御父の家に備えてくださった花嫁の部屋へと連れて行ってくださったから。

・・・花婿と花嫁の声も、おまえのうちで、もはや決して聞かれることはない。・・・

そして、その理由は? 理由を知りたいですか?

・・・というのは、おまえの商人たち

(大手テクノロジーの連中、大手銀行の連中)が

地上で権力を握り、・・・

ああ、この連中はどうでしょう? 大手製薬の連中。あなたがたみな、あなたたちみなが、地上で権力を握り、そのうちの一人は、先日聞いたところでは、兆万長者だそうです。兆万長者。私は千まで数えるだけで、眠くなってしまいます。あなたは数えられますか? 一兆ドルで、いったい何をするのでしょう。

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか?」(マタイ1626

彼らはすでに、富のため、技術のために、自分のたましいを悪魔に売り渡した。そしてそれは、「永遠に生きられる」という偽りからです。悪魔、あの蛇は、新しいネタを仕入れる必要があると思いますね。どう思います? エバにも、同じ嘘をついたのですから。ええ、壊れていないなら直すな、というわけです。エバは、それにだまされました。

「あなたは決して死にません。」(創世記3:4

「神は本当に言われたのですか?」(創世記3:1

「あなたが死ぬと? いや、神はそんなことは言っておられるのでなく、神は、あなたが神のようになる知識を、あなたから隠しているのだ。あなたは神になれる。」

ほら、こういう人たちは、自分が神々だと思っていますよ。いや、本当にそう思っています。そして、それを信じている。彼らは悪魔を信じています。自分が神になれて、永遠に生きられる、永遠のいのちを持てる、と。神とともにではなく、神として。ですから、これが大手テクノロジーのエリートたちです。テクノクラートでも何でも、好きに呼んでください。私は彼らに、別の呼び名をいくつか持っていますが、その中には、聖くて牧師らしいものも、ありますよ。言いませんけどね。もう十分、皆さんにトラウマを負わせましたから。でも、これが誰のことか、皆さんは分かりますよね。テレビを見ていれば、毎日目にします。

いや、テレビを見なくても、彼らのことは耳に入ってきます。あなたは、彼らの車を買っています。言うのは、それだけにしておきます。そこまでで。ちょうどそこで、置いておきます。あなたは彼らの機器、彼らの技術を使っています。そして技術は、善でも悪でもなく、中立です。それは、不道徳にも道徳的にも使えます。私たちは今、まさにそれを道徳的に、神の栄光のために用いています。お金と同じで、中立で、道徳的にも不道徳にも。でも、ほら、神はすべてを創造されます。 サタンは、すべてを歪め、腐敗させます。サタンは何も創造しません。すべてを歪めます。さあ、ここからが詳細です。

・・・おまえの魔術(ファルマキア)によって・・・

これが薬局、薬剤、製薬という英単語の由来です。いつだったか、分かりませんが前に話しましたね。私にはもう、ぼんやりしています。確か、木曜の夜の「創世記」の学びで、その話をしました。ニムロデ、あれは1つの入り口でした。バビロン、そこで彼らは、根を切ることをしていました。そして彼らは、こうした魔法の秘薬を作り出しました。それは、意識を変える薬でした。人を意識の変わった状態に置いて、悪霊に住みつかせるのです。ええ、もう十分でしょ? 家に帰って、処方薬を捨てないでください。私はただ、これが何であるか、そして将来どうなるかはわかっていますが現時点ではそうではなく、そうなれません。

そして、また出てきましたよ。皆さん、あの言葉が。この三文字の言葉を発音するときの、強調と言い回しは、どうか大目に見てください。ALL=すべて唸り声で、すべての。

・・・すべての国々の民が惑わされ、

もう一度、聞いてもいいですか? あなたと聖霊との間で、あなたは2020年に、すべての国々が惑わされているのを見ましたか? 2020年から2026年の間に、彼らの惑わしは解けたと思いますか? いいえ、解けていません。2026年の彼らは、2020年の頃よりも、もっと惑わされている、いうことはありえるでしょうか? 間違いなく。そして私たちは、こう言うほどに、私たちを愛してくれる誰かによって、前もって告げられていたのですよ。「なあ、相棒、よし、J.D.、・・・私がチームの犠牲になります。・・・座りなさい、坊や。もしわたしがあなたなら、自分に何と言うかを、あなたに教えよう。そしてあなたは、それを聞くのだぞ。」わかりました。

「これから起こること、そしてすでに起こっていることは、こうだ。しっかり目を覚まして、現実を直視したほうがいい。そうしないと、上へは上がれません。聞いていますか?」

はい。続けてください。 何でしょうか? ちょっと大げさすぎましたか?  今の。それも、私の国の習慣ですからね。

最後の、5つ目に入る前に、ちょっとだけ。”最後”に、希望がありますね。 あ~、よかった。希望だ。まあ、まだ期待しすぎないでください。皆さんの、神から与えられたすばらしい知性と想像力を使って、一緒に、この実際の会話を想像してもらえますか? そして、自分があなたなら自分に何と言うか教えてほしいと、あなたが頼むあらゆる人の中で、それをしてくれるのは誰か、分かりますか? イエスです。じゃあ、それを私たちの考え方の中で、もう少し具体的にイメージできるように説明してみます。

たとえば、私がある日ここに立って、言うとします。「ねえ、来週、ゲストスピーカーが来ますよ。」 「おや、あなたじゃないのね。」「いや、待って。あなたはここにいたくなりますよ。」 「いや、あなたがいないなら、行きません。実は、あなたがここにいるなら、私はいませんけどね。それで、ゲストスピーカーはだれですか?」

「その名はイエス、すべての名にまさる名(ピリピ2:9)の。」「これには、何か登録のようなものがあるのですか? まさか、どうやってイエスを招いたのですか?」「いや、私にはとても高い所、いと高き所に、コネがありましてね。そう、こういう感じです。(密接なんです。)ええ。」

「どうやって、ゲストスピーカーになると承諾もらったのですか?」「実は、イエスは毎週のゲストスピーカーなんです。」これって、なんだか……うまく差し込みましたね。まあ、あなたが引っかかってくれました。

これは私にとって、掴みやすい果実でしたよ。私は、口利き役です。聖霊が、私に語る言葉を与えられます。私が話す言葉は、エレミヤのように、あの方が私に語らせてくださる言葉です。あの方とはだれか? イエスです。イエス。キリストのことばです。ですから、皆さんが、イエスが私のような外見だ、といったイメージを持っていなかったとしたら、ごめんなさい。実は、厳密には、イエスは中東の方でしたからね。

いや、本当に。皆さんの家に、長い髪で、青い目の絵があるかどうか、分かりませんが、それなら、その横にサーフボードとスリッパも置いておけばいい、というくらいですよ。違う、違う、違う。みんな、弱々しくて、柔和でおとなしい姿ですが、いいえ、イエスは、男の中の男でした。ピラトは、「この人を見よ!」と言いました。(ヨハネ195

神の人を。ほぅ~!!! ですから、イエスはたぶん、私のような姿ですよ。🤣🤣 思い浮かんだそのイメージは、もう消せないでしょ? ごめんね。でも、ほら、イエスが金髪でなかったことは、確かに言えます。はい、イエスは彫りの深い顔立ちで、33歳のとき、十字架の前、あるいは十字架の際に、私たちの知るとおり、ひげと髪がありました。そして64歳の私には、もう髪が一本も残っていません。ですから、それでも、髪とひげのある私を、ちょっと想像してみてください。私はいつも、イエスのようになりたいと思ってきました。もしかしたら、私はイエスに似ているかもしれません。 分かりませんが。

OK、これは本当に、かなり酷く叩いてしまいましたね。

では、5つ目の、一番大切なのに進んだほうがよさそうです。自分があなたなら、自分にこう言います。

「今日こそ、永遠の地獄からの救いの日、天国での永遠の栄光へと至る日。」ちょっとくどい感じだったのは承知していますが、お分かりいただけましたよね? というのも、結局のところ、大切なのはこれだけだから。ある人が適切に言ったように、「1つの人生はすぐに過ぎ去り、キリストのためにされたことだけが残る。」パウロは「第一コリント人への手紙3章」で、2つの山を描きます。木、草、藁(の山)と金、銀、宝石(の山)どちらも火にかけられます。聖なる神の、すべてを焼き尽くす火に。木、草、藁は、どうなりますか? 消え去ります。金、銀、宝石は、どうなりますか? まだそこにあるだけでなく、いっそう価値が増し、純粋になります。同じ火でも、効果は違うのです。木、草、藁が肉。 私たちが肉のうちで行った、すべてのことです。ちなみに、私の山は、たぶん皆さんのより、ずっと大きいでしょう。燃え尽きるのに、しばらくかかりますよ。そうじゃないかもしれませんけど、主に、その、ちょっと手早く進めてもらえないか、つまり、もっと急いでくれないか、と頼んでみようと思います。山が大きいのは分かっているけれど、ぱっと焼いてもらえませんか、と。

そして、焼き尽くす火の良いところは、それが焼き尽くされることです。残らないのです。残されるのではなく、焼き尽くされるのです。消え去り、取り除かれます。でも、こっちにはもう1つの山があります。

ふう。おっと、その大きさを見てください。なんと小さいことか。虫めがねはありますか? あれが、J.D.の金と尊い宝石の山です。あの人が御霊のうちで行った、すべてのことの。あれ、見えますか?  私には見えません。あまりに小さくて。さあ、これでまた、皆のためにチームの犠牲になったというでどう? というのも、私は皆さんの山の話をしているのかもしれませんからね。また同じことをしてしまいましたね。もちろん、愛からですよ。「第二コリント人の手紙6章2節」で、パウロは、預言者イザヤを引用します。使徒パウロからコリントの教会への第二の手紙。彼は、聖霊に導かれた預言者イザヤが、書いているとおり、こう語ります。どうかこれをとても注意深く聞いてほしいのです。

『「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」 見よ、今は恵みの時。今は救いの日です。』(IIコリント62

はい、これは、ちょうど今、イエスについて、「ヨハネの福音書」と「ルカの福音書」で話し終えたことと、同じです。「いいですか、その時が来たら、救いの日が来たら、あなたに知らせます。」OK、今、それが来ました!!」「ちょうどよい時に来る、と言ったのを覚えていますか?」「今、来ました~!! もしもし~!!」うまく聞こえませんでしたね。 ごめんなさい。でも聖霊よ、それを引き受けて、あなただけがお出来になる通り、してくださいますか? というのも、これは前もっての警告だから。その時が来たら、今は恵みの時、今は救いの日。「はい、待機しなさい。さあ、今です。」今ので、ましでした? そうは見えませんね。「今、その時です。 恵みの時、今は救いの日です。」「その日、恵みの時、救いの日を、待機しなさい、と言いましたね。それが来ます。待って、待って、待って。はい、今です!!」

これ以上やらない方が良さそうですね。私は、心から、懇願し、切に願います。その時は、今です。今日こそ、その日、永遠のいのちのための、あなたの人生で最も大切な決断の日です。どうか、私の話に耳をふさがないでください。画面のこのスライドを見ると思うのでしょ?

「OK、聖書を閉じよう。もうすぐ終わる。 このスライドに来たら、あと30分もすれば終わるさ。」

でも、これこそ、何にもまさって、人生で最も大切な事だと、思いませんか? キリストにあって、キリストの十字架の完成された御業による永遠のいのちのために。そう思いますか? 結局、大切なのは、それだけです。あらゆる労苦、あらゆる働き、あらゆる思い煩い、あらゆる恐れ、何のため? ある人がこう言ったのが、気に入っています。 ずっと心に残っています。それは、牧師カンファレンスの1つでのことでした。その人は立ち上がって、こう言いました。

「今の私の人生には、患難前携挙が解決してくれない問題は、1つもない。」

ほ~!! その人は地元の人(↑口癖)ではありませんよ。ほ~!! その通りです!! 私は、自分の問題を見ていて、私には、問題があります。あなたにも、あるでしょ。だから、私をすべて霊的に見ないでください。私は、「うわ、もうあれに対処しなくていいんだ。」と思う。痛み、悲しみ、妻を悼むこと、妻を恋しく思うことを。自分の一部が、なくなったようで。一部どころか、自分のいちばん良い部分が、なくなったのです。そして妻は、一足先の便に乗りました。 信じられますか? それで私は、「わかりました。まだ私を終わらせてくださらないのですね。 まだ退勤できないのですね。」それって、パウロのように皆さんのせいですよ。私はむしろこの体を離れ、主とともにいたいのです。でも、あなたがまだ私を必要としているから、私はこの体にとどまって、ここであなたと一緒に、動けずにいるのです。Iコリント5

いいえ、怒ってはいません。大丈夫です。でも、やっぱり皆さんのせいですよ。😆

でも、こう言っておきます。主が私を終わらせてくださったら、すぐに、私はここを出ます。そして、たぶん、みなで一緒に行きます。私が思っているほど早ければ、おそらく、いや、間違いなくそうなるでしょう。それは、確実な「おそらく」です。いや、本当に。私がこれほど愛する教会家族の皆さんと一緒に、患難前携挙で引き上げられること以上に、望むものはありません。鳥肌です。私たちは、イエスに会うのです。私たちは、私たちのイエスに会うのです。2分だけ、いいですか?  時間を計らないでね。福音を語りたいのです。私は福音を恥としません。もう、お分かりでしょうけど、私はあまり恥ずかしがりません。

特に、福音のことになると。非常にシンプルだから。子どもにでもわかるほどシンプルです。 ABCほどにシンプル。私たちが「救いのABC」をしてきたのは、実に、救われた者が救われていない人に手を差し伸べる道具で、また、救われていない人が救われるための、子どもにでもわかるほどシンプルな救いの説明だから。

A: 自分が神に背いた罪びとで、自分には「あの救い主」が必要だと Admit/認める。

いいですか?「私は罪を犯しました。 私は罪びとです。 私にはあの救い主が必要です。」あなたが、自分は罪びとだと気づくところに来ない限り、あの救い主に少しでも関心を持ちますか? 持ちません。ですから、「A」が障害・難関です。そして、それをただ引用するだけでなく、示す必要があるかもしれません。「ローマ人への手紙 3章10節」、それを彼らに示してください。人々はたぶん、こんなふうに言うからです。「まあ、私は良い人間です。 だれも殺していません。」まあ、だれも殺していないと分かって、よかったです。でも、1つお見せしましょう。あなたが自分は良い人間だと言うのは分かりますが、聞いてください。あなたは決して十分に良くはなれません。

ローマ人への手紙3章10節

「義人(正しい者)はいない。一人もいない。」

ですから、それは、あなたも含めて、という意味です。これで、話が進みますよ。種をまく前に、地を耕さなければなりません。「ローマ人への手紙3章23節」がその理由、なぜ義人が一人もいないのかを説明します。

ローマ人への手紙3章23節

「すべて(←またこの語彙)の人は罪を犯して、 神の栄光を受けることができず、

あなたは、的を外しています。 それが、「罪」の意味です。アーチェリー用語です。 あなたは、的を外している。「でも、この前は10回中9回、当てましたよ。」ええ、それは関係ありません。 戒めを1つ破れば、10すべてを破ったのと同じ。あなたは、律法を破る者です。 あなたは、犯罪者!! この罪びとめ!!

いや、そんな風に言ってはいけません。うまくいきませんから。そう、勝ちたいでしょうが、議論には勝てても、機会を失いたくないはずです。相手にそれを理解してもらえれば、次に「ローマ人への手紙6章23節」へ連れて行って、それを示す。ここが判決の段階です。あなたは、起訴どおり有罪と認められた。罪を犯したのだから、死ぬしかない。それで、宇宙の裁判官は、あなたに死刑を宣告します。

ローマ人への手紙6章23節

「罪の報酬は死です。・・

うわ、たった今、死刑判決を受けましたね。ほ~、悪い知らせだ。良い知らせも聞きたいですか? はい。😢

・・・神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

待って、何ですって? では、死の代わりに、私は永遠のいのちを持てるのですか?  はい。順を追って説明してもらえますか?  もちろん。だって、私はたった今、死刑を宣告されたのですから。分かっています。だから順を追って説明します。イエス、神の御子、子なる神が、人となって来られ、血を流して、私たちの身代わりに、死に向かわれました。そしてそうすることで、ご自分の血によってその代価を買い取り、

全額を支払ってくださったのです。あの方が、あなたを買い取られた。あの方が、あなたのために、その賜物を買い取られた。贈り物をもらったとき、あなたが贈り物を使い回すのは知っていますが、この賜物は使い回せません。そして、その賜物の贈り主に戻そうとしないでください。そうしたら、それは購入品か、払い戻しになってしまいます。いいえ、それは賜物なのです。イエスが、すべてを懸けてくださいました。

あなたと私に、ただでくださるのです。そして、永遠に大切な唯一の問いは、「私は、私たちの主キリスト・イエスにある、この永遠のいのちという賜物を、受け取り、開けて、受け入れるのか?」それだけが、大切なことです。あなたが何者だったか、何を職業としていたか、銀行にどれだけお金があったかなんて、、、

ちなみに、ダメダメ、開けるべきでない瓶を、たった今、開けてしまいましたけど、あれ、なぜそんなことをしたのかな? はい、自分の窮地を救う方法はわかっています。あの「箴言23:5」をご存じですか?

「あなたの富、あなたの銀行口座に、目を奪われるな。それは必ず、確かに、翼を生やして、天へと飛び去るのだから。」

バイバイ。それなのに、あなたはそれに頼り、それを当てにし、それに信頼を置いている。ダメ。ダメ。

私のためのこの永遠のいのちの賜物は、イエスに何を要したのでしょうか。すべてです。ご自分のいのちを懸けて死なれた。あなたや私の身代わりに。それが、賜物です。さあ、責任は自分にあります。私は、どうするのか? 私は信じるのか、信じないのか? そして「信じる」とは、あなたのすべての罪の赦しのために、あなたのすべての信頼を、イエスに置くことです。あなたは、自分の義という汚れた衣を捨て、(イザヤ64:6

キリストに付与される義にのみ立つこと。それで、その日、イエスはあなたにこう言われます。

「J.D.、なぜあなたを入れなければならないのか?」「いや、私はオアフ島の風上側で教会を牧会しました。ええ、20年、いや21年、毎週聖書預言・アップデートをしました。あなたがあの時、もっと早く来られなかったら、もっと長く続けていたでしょう。」

「本当に、それが、あなたのために備えられた喜びの場所へ入るため、わたしが認めるべき根拠ですか?」

いいえ。

「なぜあなたを入れるべきか?」という問いに、私が言えるのは、ただ1つ「イエス」です。「さあ、行こう。入りなさい。入りなさい。ブラ(兄弟)、あなたのために備えられた喜びの中へ。」

喜び、言い尽くせない喜び、計り知れない喜びです。私がすべきことは、ただ信じることだけなの?

だって人は言うでしょ。「いや、私は神を信じていますよ。」違う、違う、違う、違う。

ー ヤコブ 2:19 ー

悪霊どもも(神を)信じて、身震いしています。

だから何? あなたを悪霊とか、悪霊につかれているとか、言っているのではありません。無神論者の悪霊はいない、と言っているのです。ご存じですよね。それを「マルコの福音書」で見ます。悪霊につかれた者が出てきます。先週は、レギオンの悪霊。想像できますか? およそ2000の悪霊につかれた男ですよ。そして彼らは、イエスの御前で、自分たちが宿り、取り憑いていたこの男の体をひれ伏させる。そして叫びます。

「いと高き神の御子よ、私たちをどうしようというのですか。」(マルコ5:7参照)

悪霊どもは、イエスを神と認めている。彼らは、イエスが神だと信じている。でも、彼らは、自分の罪の赦しのために、イエスに信頼してはいません。その違いが、分かりますか?

ー ローマ人への手紙10章9節 ー

「あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

ほら、「救いのABC」は、ABCよりもっとシンプルで

B:あなたの心で、Believe/信じる。だけなほどです。それは、救いへの段階があるというものではありません。ほら、私が救いのテーブルに持ち寄らなければならないものがある、みたいな。「まず身ぎれいにしてから、行動を正してから」というような。それは、ばかげています。それは、あの方がシャワーを浴びせてくださる前に、自分で入浴するようなもの、あるいはその逆も。いいえ、イエスが、あなたを内側からきれいにし、聖霊の内住によって、あなたを新生させてくださいます。あなたは、ありのままで来てください。そして、来て呼び求める者を、イエスは決して追い出されません。(ヨハネ637

それから「C。」「B」が中心で、 「C」は証拠です。つまり、「A」が障害・難関、「B」は中心で不可欠、そしてこの「C」は証拠です。証拠とは、どういう意味か? ほら、根に何があるかを知りたいですか? 実を見てください。イエスは言われました。

「良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。」(マタイ718

「あなたがたは彼らを実によって見分けることになるのです。」(マタイ716

その人の心に何があるか、知りたいですか? その口から出てくるものを、聞いてください。もしイエスがその心にあれば、その口からイエスが出てきます。

C:イエスの御名を Call/呼び求める。 Confess/告白する。

「ローマ人への手紙10章9節」を全部読みます。もう終わりますからね。心と口のつながりを、大変注意深く聞いてほしいのです。イエスは仰いました。

「心に満ちていることを口が話すのです。」(マタイ 1234/ルカ 645

口に入る物は人を汚しません。口から出るもの、それが人を汚すのです。(マタイ1511

ふう、よかった。この大きな口には、たくさんのものを入れてきましたから。それがあなたを汚しません。

あなたを汚すのは、口から出てくるものです。あなたの口からは、何が出てくるでしょう? あなたの心にあるものです。苦々しさなら、それが口から出てきます。怒りなら、それが口から出てきます。イエスなら、イエスが口から出てきます。愛なら、愛が口から出てきます。

ー ローマ人への手紙109節 ー

「あなたの口でイエスは主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

マイクドロップ(決まり)です。これほどシンプルです。そして、これ以上シンプルになりえないと思ったら、「ローマ人への手紙10章13節」、最後にもう一度、あの言葉です→「すべて」私はもう「すべて」が好きになってきました。神は「すべて」を贖ってくださったと思います。「すべての国々」、 「すべて惑わされた」、 「すべてのこれ」「すべての罪」ではなく、

ローマ人への手紙10章13節

「主の御名を呼び求める者はみな救われる。

かもしれない、そうなりうる、そう願うでもなく、「救われる」のです。それは、私にとっては、40年、いや、もうすぐ45年前のことでした。シンプルでよかったと、心から思います。もしそうじゃなかったら、

私は救われていなかったでしょう。私は、祈りませんでした。だれかの後について、繰り返しませんでした。それが悪いというわけではありませんが。そして、前に進み出ませんでした。それが悪いというわけではありませんが。私はただ、意識を失う前に、自分の知っている唯一の祈りを祈りました。「イエスよ、僕は地獄に行きたくない。」で寝落ち。翌朝目を覚ますと、私はキリストにあって新しく創造された者でした。

見よ、すべては過ぎ去った。そして、二度と振り返りませんでした。さあ、神が私のような者を救えるなら、まさか、と思うでしょ? 神は、あなたのような人も救えるのです。OK、ご辛抱ありがとうございます。

今日の「しかし、神は」の証しを選んだのは、おもに、それが生々しいのと同じくらい、真実だからです。

私たちのオフィスにそれが届いたのは、先週の日曜、19日、ロシュ・ハシャナについてのあのアップデートの直後でした。そして、匿名にしてほしいとは頼まれませんでしたが、彼女が分かち合ってくれた内容の繊細さを考えて、念には念を入れて、あえて名前は出しません。彼女は、見ておられるので、自分のことだと分かっておられます。ちなみに、見ていてくれて、ありがとう。そして、神は、彼女がだれか、ご存じです。神は、あなたの名を、ご存じです。神は、あなたが母の胎に宿り、形造られる前から、あなたを知っておられました。(イザヤ44:2参照)

そして、ちなみに、これを送ってくれて、ありがとう。これは、これは力強いです。

「親愛なるJ.D.牧師へ。分かち合うことは思いやることで、私は、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストが患難前携挙で来られることを、しばしば、自分の次の息を待つ以上に待ち望んでいます。・・・

(うわ、それ、いいですね。)いつも主に忠実であり続け、聖徒たちを励ましてくださっていることを、心から感謝します。あなたの愛する奥様ケリーについて、心を分かち合ってくださって、ありがとうございます。私の知る多くの愛する人たちも、この数年のうちに配偶者を亡くしました。そして私は、彼らを慰めるために、あなたの話とウェブサイトを彼らに分かち合ってきました。今日の(これもまた先週の日曜日のことで)「天のことばかり思って、地では役に立たない」についてのあなたのコメントを感謝します。私はそう言われてきて、時にとてもつらい思いをしました。今日は、私の心を慰め、私は地で役に立っているのだと

安心させてくれました。そしてどうか知ってください。

5月31日から始まった一連の4回の教え:(マインドコントロール、標的とされる個人、サタンの技術、拷問、さらに殉教に至るまでについて)主へのあなたのご忠実さについて。・・・(ここでいう殉教とは、コロッセオでのことではなく、マインドでの殉教を指します。)(彼女は、それが文字どおり、肉の自分のいのちを救った、と仰います。)

・・・私は、自分のいのちを絶とうとしていたからです。自分のいのちを、終わらせようとしてました。・・・言っておきますが、皆さんには分かりません。悪霊的な存在に拷問され、死の淵にいる、まさにそういう人のところへ、神が、あなたを遣わされるかもしれない―それがだれか、あなたには分かりません。もしそれがあなたで、オンラインで見ているならあるいは、この教会にいるかもしれませんが、どうか、聞いてください。イエスは、あなたを、あなたには想像さえし始められないほど、本当に、本当に、本当に愛しておられます。あなたのいのちは、イエスにある永遠のいのちのためにあります。しっかりつかまって、信頼して、イエスを待ち望んでください。あの方は、私たちを迎えに来てくださるからです。そして、あの方が来られるとき、すべてが終わります。

・・・心から感謝します。神は、聖霊の促しに従う見張り人を遣わして、聖徒たちを慰め、救いをもたらす

イエス・キリストへ来る者すべてを導いてくださり、実に慈愛に満ちておられます。時は、短いのです。主イエスよ、早く来てください。マラナタ。 アーメン。」

ディビッド、あれ、デイビッドは出て行ってしまった? おや、どうしてカポノがいつも座る所に座らないの? 皆さん、ご起立ください。もう一度、ご辛抱、ありがとうございます。ごめんね、ディビッド、見えなかったんだ。このスポットライトが、まぶしくてね。祈りましょう。

お父様、感謝します。あなたがヨハネに記させたフィラデルフィアの教会へ書き送らせたことを、思い巡らします。「あなたには、わずかな力しかないのを、わたしは知っている。あなたは戦いに疲れている。でも、ただ、しっかりつかまっていなさい。あなたは、わたしの名を否まず、わたしのことばを守った。だからわたしは、全世界に来ようとしている患難の時から、あなたを守る。」(黙示録3810

それを経験するのではない。主よ、それは私たちの祝福された望みであるだけでなく、私たちの唯一の望みです。そしてそれは、望みというよりむしろ、確信です。それは、確約されています。主よ、私がこのように祈り、締めくくるのは、私と同じように、これまでの人生で経験したことのないような霊的な攻撃を受けている、多くの大切な兄弟姉妹たちのためにそうしているのだと思います。その激しさ、その厳しさは、これまでの人生で知ったこともないほどです。あなたのことを、あえて人に分かち合おうとするときの、あなたへの敵意さえも。イエスよ、私たちは、自分の家ではないこの世に、あまりにも長く居すぎました。あなたが私たちのために備えてくださったあの場所、私たちの永遠の家へ、来て、私たちを連れて行ってくださいませんか? 主よ、どうか、マラナタ、早く来てください。イエスの御名によって、アーメン。