思い出は
薄紫の
とばりの向こう......
(宝塚歌劇団月組「ラ・ノスタルジー」より)
薄紫のとばりって
いったい
何処?
(`Д´≡`Д´)??
雨ですね
嫌に
なるほど降っとりやす
そんな雨の
横浜地方の
「ふくひな屋」です
(´。`)はぁ・・・
家事を終えて直ぐに
(日)に
ぶっ壊れた
ひーchanのハーネスを
買いに
🚌🚍💨💨に乗り
近くのホームセンターへ
トボトボと行って来やした
((ヽ(゚ω゚;;;)ノノ))ナンテコッタイ
「ふくひな屋」は
☔を
あんまし
好きではありやせん
( > <。)⊃キライ!!
それは
☔の日に
あんまし
良い思い出が
無いからです
ハァ━(-д-;)━ァ...
一番
嫌な思い出は......
「病院」です
その日は
母親との
最後の時間でした
「ふくひな屋」は
10歳でした
物心は
とっくについてる年頃ですが
何故か
記憶が曖昧っす
命日も
季節も
時間帯も
覚えてません
オカンが
最後に言わんとしてたこと
「もう......会えなくなる」
......と、ゆうよーな内容だけ
なんとか
理解できました
「ふくひな屋」母は
病身な女性でした
初めて身ごもった長男は
たった1週間で
天へ登りました
......なので
再び
命がその身に宿った時
ドクターストップを遮って
(投薬中止)
周囲の大反対を遮って
「ふくひな屋」を
この世に
産み出してくれました
半・学生結婚で結ばれた
父親は
ひ弱に育つだろう子供より
母親の命を
重要視してたみたいです
(親戚のオバチャンから聞いた)
母親の生を分け与えた娘を
父親は
受け入れる事が
難しかったみたいです
(これも後日談)
「ふくひな屋」の
父親は
世間でゆー
ネグレクトです
でも
その原因を知ってる周囲は
父親を
責める事はできませんでした
「ふくひな屋」は
参観日が
大嫌いでした
必ず
意地悪な
同級生が
こう聞くのです
「なんで、アンタのとこはオカンが来られへんの?」
参観日も嫌い
家族団欒も嫌い
母の日
父の日
みーんな
大嫌いでした
幸せなそーな
「家族写真」が
うちには
1枚も
有りません
親戚のオバチャン達には
よく言われました
不憫な子
......まったく
はた迷惑な「レッテル」です
前回ブログで
書きましたよーに
こーやって
「ふくひな屋」は
扱いずらい子供として
立派に?
成長していったのです
☔の日は
苦手です
心が
ギュッと固くなります
「ナチュラル・フードコーディネーター」になったばかりの時
公機関から
「家族団欒のためのメニュー」を
依頼されました
でも
お断りしました
知らない事は出来ません
......随分と
時が過ぎた今
「ふくひな屋」は今
「家族に食べさせたい時短レシピ」を提供してます
人は
変わるものですね
従姉妹chanや
大事な友達や
ふく兄chanや
ひーchanや
大chanや
虹の橋LANDの
メー君達が
身をもって
「ふくひな屋」の
心を
和らげてくれました
それでも......ね
やっぱり
こーして
ブログで
愚痴っちゃうくらい
☔の日は
苦手意識が
やや強めの
「ふくひな屋」です
( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` )グスン
今夜は......
従姉妹chan御希望の
「チーズinハンバーグ」を
バリバリに
作る気でごじゃります
(*-`ω´-)9 ヨッシャァ!!
心の重石は
人それぞれかもしれません
心の痛手は
他人には
治せないのかもしれません
でも......
心を開く「扉」は
絶対に
1つだけじゃないと
身をもって
知りました
「誰か」は
「誰か」のために
生きていきたいですね