みなさん、今晩は

 

なんだか、硬質(?)な内容ばかり書いていますが、毎日、そんなに深刻に生きているわけでもありません。

 

でも、今日はちょっと、「想像力」について考えたことを書いてみたいと思います。

 

子供の想像力や感受性を育みたいと思っていらっしゃる親御さんは多いのでは?

 

ちょっと、ショックな話ですが、「子供の想像力や言語能力を育てるには、3歳までにどれだけの言葉を子供に聞かせるかで大体決まる」という説があります。

そして、それには、夜子供が寝る時に絵本を読んでやったり、お話を聞かせてやったりするのがよい・・・と。

 

私自身は、自分でいうのもなんですが、想像力(妄想力かもしれない・・・)が多分人より少し豊かかもしれません。

 

というのも、恥ずかしい話ですが、社会人になるギリギリまで、漫画家になりたくて、本気で漫画学部のある大学(京都精華大学ですね)に行こうかと思った時期がありました。

 

私には映像記憶があります。

映像記憶は誰でも子供の頃はあって、言葉の習得とともに、意識の表面に出てくることが少なくなっていくらしいです。

 

よく人が死ぬ寸前にそれまでの人生が目の前に「走馬灯のように浮かぶ」と言いますが、「走馬灯のように浮かぶ」ということは、映画を見ているように目の前に見えるということですよね?

ということは、誰でも映像記憶はあるのだけれど、頭の奥にしまわれているということでしょうか?

まだ、完全には解明されてないらしいです。

 

で、お話を作ることも好きだし、映像記憶もあるし、絵を描くのも好きだったので、将来の夢は「漫画家」となったわけですが・・・実際は、なりませんでした。

 

すいません、話がそれましたね?

 

子供の想像力と言語能力の話でした。

 

たしかに私は2歳から5歳くらいまで、毎晩のようにお話を聞いて眠りについていました。

 

私の場合は下に3歳の時に妹ができたので、母が出産で里帰りした頃から、父の寝る前のお話が始まったと思います。

 

絵本でなかったのには理由があって、父は戦時中と戦後の栄養不足が原因で視力があまりよくなく、灯りを弱くした部屋で字を読むことが、絵本であっても、できなかったからです。

 

話はいつも「お姫様と小鳥」という父のオリジナルでしたが、今から考えると、まあ、よく毎晩毎晩父も話を作ってくれたこと・・・

 

おかげで、漫画家にはなれなくても「言葉」に関する仕事につくことはできました。

 

自分で子育てするようになって、子供を寝かせるということが、あんなに大変なことだと初めて知りました。

 

まあ、うちの娘は寝ない!

 

絵本を読んでやっているうちに子供がすやすやと眠りにつき、親がにっこり笑って、布団を首元までかけて、そっと寝床から抜け出す・・・・・な~んて話はドラマの中だけで、絵本を最後まで読んで、娘が目を閉じているので、寝たかと思った、その瞬間、目をパッチリ開いて、「も一回!」・・・・・

たいてい、娘より先に私が寝ていましたから・・・・・仕事と育児、家事で一日疲れ果てて・・・

 

あの、恐怖の「も一回」、今でも目の前に浮かびます(こういう時、映像記憶があるのって、いいんだか、悪いんだか・・・)

 

あ、また、話がそれましたね?

すいません・・・

 

で、結局、子供の想像力と言語能力を育むにはどうしたら、いいか?

 

私の感覚ですが、夜寝る前の絵本の読み聞かせやお話は確かに効果的だと思いますが、親の睡眠も大事!

親が倒れたら、元も子もありませんものね?

 

「え、もう、手遅れ?」とか、思わないでもいいと思います。

だって、言葉のシャワーを浴びせれば、言語能力が育つのなら、大家族の中で育った子供はおしゃべりになるはずですが、大家族の中で育っても、上の子はおしゃべりで下の子は無口なんて例はいくらでもありますから。

 

でも、絵本を読んでやったり、お話をしてやったりできる余裕があったら、それは、してあげれば子供は嬉しいでしょうね?

私みたいに、お母さんでなくても、お父さんでも、お祖父ちゃんでも、お祖母ちゃんでも、誰でも、お話をしてくれる人がいたら、子供は夢中で聞くと思います。

 

私は高校の国語の教師をしていましたが、高校生なのに、「桃太郎」をちゃんと知らない子が多いです。

私も最初、それに気が付いた時、びっくりしました!

私「え?桃太郎やで?あんたら、桃太郎知らんの?」

生徒「なんとなく知っているけど・・・鬼退治とか行くのは知ってるけど・・・ちゃんとは知らん」

私「・・・しゃーないな・・・じゃあ、ちょっとだけな?昔、昔あるところに・・・」

(「なんで、高校の国語の授業で「桃太郎」と不思議でしょうが、ちゃんと授業をしていましたよ?

  漢文の『桃花源記』っていうのをやってたんです。「桃」が象徴するものの例として、「桃太郎」を話題にしました。知っているだろうと思って)

 

どうして、高校生相手に桃太郎を話しているのだろう?

 

そして、この子たちはどうして、「大きな桃がどんぶらっこっこ、こらっこっこと流れてきました」というくだりで、こんなに目を輝かせて聞いているのだろう?(ヒソヒソと「どんぶらこ・・じゃないの?」という声があちこちから聞こえていました)

 

授業を潰したいだけではないのだろうか?

 

しかも、普段の国語の授業より、熱心に聞いている!寝ている子が一人もいない!

 

田舎とはいえ、文系進学クラスの2年対象の授業でした・・・

 

つまり、「お話」を聞くのは高校生でも好きなんですね?

子供たちはもっと好きだと思います。

 

小学校の先生も中学校の先生も「教育課程」に基づいた「計画的な授業」を実施して、子供の学力をしっかり伸ばすことが「教える」ことだと思って、熱心に教えて頂いていると思いますが、時には、私が子供だった頃の先生たちのように、「脱線」することも立派な「教育」・・・特に、「育む」ことにつながると思うんですが・・・・・

 

あ、話がまとまりませんでしたね?

長くなりました。ごめんなさい。

 

では、また。