経歴 [編集]
大阪あべの辻調理師専門学校[1]ではフランス料理を専攻する[2]。卒業後、大阪・北新地のフランス料理店で働くが[3]、バブル崩壊の影響で勤めて2年程で閉店することになり、その店主の紹介で神戸の料理店へ転職[4]。そこで阪神・淡路大震災に遭い、店と住居が被災したことで1か月後上京し、東京のウィークリーマンションに住み喫茶店・飲食店でアルバイト経験を重ねた[1]。飲食店経験としては、大阪でお好み焼き店をやっていた時期があったり[5]、日本料理店などで修行を重ねていた[4][6]。
その最後となったイタリア料理店では通常の料理提供以外にも隣接するカラオケボックスでも注文を受け料理を提供していたことで客層は幅広かったこともあり、ここで評価されればチャンスがあると川越は考え、修行を重ね腕を磨いていった[4]。そして、客の一人としてカラオケボックスに来店したシェフから料理を高く評価された事で、1997年7月[3]にそのシェフが携わるレストランの新店舗に料理長に抜擢され[4][6]、その後2店舗で料理長を歴任した[6]。2000年に独立し創作イタリアン「ティアラ・K・リストランテ」を開店[6]。開店当初は予約や客が入らず、店を維持するために営業終了後に深夜のアルバイトを行ったり、近所のパチンコ店に通ったり、借金が膨れ上がった時期もあった[7][8]。
2006年、「TATSUYA KAWAGOE」に改称し代官山へ移転、オーナーシェフを務める[1][6]。同店は2か月先まで予約が一杯である[9]。同店は川越によって時期は明らかにされていないが無期限休業する方針が示されており、理由として「40代に向け自分をもっと成長させたい」との説明が行われている[10]。
料理人としての活動の他、フードコーディネーター、料理講師としても活動している。また、知人である料理人の吉岡英尋(日本料理「なすび亭」)、枡谷周一郎(イタリア料理「オステリア ルッカ」)、笠原将弘(日本料理「賛否両論」)と共にコラボレーショングループ「CESSA(セッサ)」を結成し、和食店を立ち上げたり、若手料理人数十名とチャリティーディナー会を開催するなどグループを中心とした活動を積極的に展開していた[11]。この活動が更に進展し、弟分4人で立ち上げた「タクマ」組を応援する意味も込めて、既存の「セッサ」組と合わせ『セッサ・タクマ』という8人組のシェフ集団に発展させて、活動の幅を増やす展開を行っている[9][12]。
2012年11月19日に、EXILEのKEIJIとのコラボ商品「男が絶対よろこぶ 男(DAN)シチュー」「君と食べたい 女(JO)シチュー」を発売[13]。
人物 [編集]
私生活では、24歳でソムリエの女性と結婚し、3年後に離婚。30代前半頃に一般家庭の女性と再婚するも、すれ違いを理由に離婚[14]。ブレイク後にも女性との交際に関する報道が複数出たが、いずれも否定している[15][16]。
2人兄弟の長男。弟の川越慎也は園田競馬場の元騎手で、1996年から2003年まで活動し、引退後の2005年6月25日に交通事故で他界している[17][18]。
最初に作った料理はチャーハンで、小学校3年生の時に冷蔵庫にあった冷飯・ソーセージ・ピーマンを材料とし、母親が普段作っていたチャーハンの味付けを数種の調味料を使って再現し、友達に振舞った[4][11]。
小学校から高校まで10年間野球に没頭していた。背を伸ばそうと牛乳を飲むが腹を下し、体格を大きくしようと多く食べても大きくなれなかったことや、稼げるまでのレベルに達しなかったことで野球の道をあきらめ[2][17]、生家が貧乏で「ちゃんと食べていけるようになりたい」との思いが強かったこともあり、料理の道を志す[19]。
評価・評判 [編集]
2000年代より「仕事の出来るシェフ」という評価があったが、深夜番組のお願い!ランキングで「辛口だけど、熱い気持ちを持っているシェフ」というキャラクターが認識されブレイクした[20]。
レシピの創意工夫[21]に関連し、「ジャンルにとらわれず、常に新しい素材やレシピに挑戦する独自のスタイル」[22]や「ジャンルにとらわれない、斬新でオリジナルな料理」[23]が評価され、食品・外食業界でキムチ[22]・パスタ[23]・ファーストフード[24]・コンビニ商品[25][26]・パチンコ端玉景品[27]など複数の監修商品が発売されている[28]。
「川越シェフの活動は、イタリア料理を普及させるために必要な事だ」という意見もある[20]。
「料理人として一般的な修行や下積みを経ずに店を構えた。同業者を辛口採点できる舌を持ち、修業や下積みといった業界の慣習は不要であったのだろう」と講談社系・日刊ゲンダイは評する[3]。
一方、川越の活動や対応に対して批判的な意見も存在する[3][20][29]。
料理ライターを名乗る友里征耶は『私は1度、店を訪れましたが、料理はデパ地下の総菜レベル。きちんとした店で修業していないのだから無理もありません。多分、ご本人もそれを理解しているからこそ、味ではなく雰囲気で見せているのだと思います。テレビ受けがいいのは、しゃべれる料理人は珍しいからでしょう。芸人とトークできる“プロ”の料理人はいませんから』と推測している[3]。
幅広い活動に対し「手を広げ過ぎではないか」という料理界関係者の意見も多い[20]。また、川越がメディア側を軽んじる対応をしたことから、関係者から不満が述べられていた[29]。