創作活動に諦めを覚えている。恥ずかしくてたまらないからだ。
誰にも読まれていないんだけど。自分ですら読むことができない。
自分のために作った小説なのに。自分を慰めるために作った小説なのに。読み返せない。こんな駄作って思っちゃう。
キャラクターのことは我が子のように愛している。なのに、この子を私は生かし切れたのだろうか?こんな展開にしてしまって、ひどすぎる。とか、考えてるうちにまるで自分の小説を読み返すことが、電撃を喰らうみたいに辛くなった。
まるで文字に何か呪いがかかっているかのように、読めない。自分の好みの通りに書いたわけだから、面白いと感じるはずでしょう?
なのに面白いと感じなくて。それはとてつもない自虐だからだ。そう感じるのはまるで自分をナイフで切りつけているかのようで、一番近くに最大の敵が潜んでいるみたいでとても怖い。
これ以上もう描けない。

面白くないもん。そう思うのも怖いし
だからなんていうのかな、逃げ出す感じかなあ。



誰も読んでいないし、まあいいか。
だけどどうしようもなくキャラクターを愛してやまないのはなんだろう。思い出さない日は、無い。

若い頃、小説を書いていた時は楽しかったなあ。
そんなのを感じたこともなかった。面白いと感じたものをそのまま書いて、若い文章で新鮮でキラキラしていて、読者もそれに共鳴してくれて、何も怖いものなんてなかったな

私の世代は携帯小説ってやつだったんだけど、少し実体験と混ぜたりしてね。
なんだか楽しかったんだよね

楽しくなくなったのは、大ヒットと呼べるくらいヒットしていたのに、展開を私は間違って。いきなり批判されたときかな。

批判もあったし、自分自身が一番間違ったことをわかっていた。それまでは、こうすれば面白いかな?とか考えずに書いていたんだけど、なんか間違ったのは書いてる最中にもわかっていた。

それでも投稿してしまい、後悔が止まなくて。投稿した瞬間、閲覧数がすごいきちゃって。

ああ、違うのに。消したいのに。間違ったのにって…

止まなかったレビューはピタッととまってね。とても苦しかったね。

それから逃げるようになった。完結しないものばっかになっていってさ。

それから10年くらい経って創作活動をしても、全く同じ現象というか、まずそこまで人気にならないし、需要が変わってきてしまっていて。
まるで若い女の方が現実界でモテるのと同じように、歳を重ねた私の文章を誰も必要としていないみたいに感じた。

小説の場合顔見えないし年齢なんか関係ないんじゃないの?と思うけど私にはそれはあてはまらない
若い頃のように流行に敏感にもいられなくて、世界の中心のような幻想は、あっという間に枯れてしまうんだと思う。
それはネットでもおなじなのかな

今の時代転生ものとファンタジーしかネット小説はやってない。時代は変わった。しかしそんなものはどうでもいい。

私が楽しんで描けなくなってしまったということだ。


人の目を気にしてばかりで。怖くてたまらないんです。誰も読んで無いのに。

これは現実世界でも一緒でね。誰も私のことなんか見てないのに、水を飲むことも怖い、何をするのも怖い。監視されてるみたいなの。

病気?いや…
本能的なものだろうなあ。

今は諦めの方向にむかっている。仕方ない、というかなんというか。

若い頃からあまり友達作れなくて。勉強も運動もできなくて。社会人になったらなにかできるかもってワクワクしてたら、社会人になったらなおさらお荷物になっただけだった。

社会人ってほんとうに恐ろしい洗礼を受けるよね。舐めるなよ。通用するかお前なんか。そんなメッセージを喰らうことになる。
神経尖らせ怒られないように、すぐに動けるようにしないといけなかった。私は鈍臭いんだから

そうやって二十代を過ごして、今度新人が入ってきたら、同じようなメッセージを自分が新人に送るんだよね。
若い奴は本当にダメ。なんて言ってるおじさんおばさんになるんだよね。

そう考えると若い頃の方が辛い気がする。

話それまくりだな。まあいいかwww
歳をとるとまあいいかが増えるなー。

諦めるのが上手になる。これが丸くなると言うことかね。www
あとまあ三十代でこれだとまずいんだろうかwww

私は不幸だと言いたいわけではないんです。ただ、こんなもんだよね。という自分というものが歳をとるとわかってくるなあと