元外務省主席分析官で作家の佐藤優氏が、イエスキリストとの関係を次のように書いています。

「イエスキリストの存在感は、死の恐怖も、孤独の恐怖も乗り越えさせます。それどころか死と孤独こそが喜びと安らぎであると実感させる。腎機能が悪化して透析が間近になっても、新型コロナが蔓延しても、どこか冷めた目を持っている。

2004年春、クリスチャンであった母が悪性リンパ腫を発症し、敗血症をおこして生死の間をさまよいました。血圧は50台まで下がり、医師から、助からないかもしれないと告げられたのです。

そのあと意識が回復し、2か月ほどのち退院できました。

家に帰ってきた母に変化が生じました。母が死線をさまよった際に、『目には見えないが確実に存在する場所』を訪れたことは間違いないように思います。2010年7月亡くなる直前、その体験を再び語る母には、死に対する恐怖は見られませんでした。むしろ懐かしい場所に帰るという気持ちが強かったように思います。」

 

死を直視し、死は終わりでないと確信したとき、世に執着せずするべきことが見てきます。

宣教師パウロとバルナバが持っていた確信も同じでした。