折角Dolphin氏からトラックバックを頂いたが、トラックバック先は呉智英夫子の「言葉の常備薬」関連の記事 であり、呉智英つながりで民主主義・人権主義批判でトラックバックするとなると半数近くの記事が該当してしまうため、「言葉の常備薬 」がらみのネタを書いてみようと思う。


 「言葉の常備薬」に、すしを1カン2カンと数えるのが気にくわないというのがあって、さてさて夫子はカンの意味がわからんで寿司屋で嫌な思いでもしたことがあるんかいな、などと思いながら読み続けたが、その続きにこのような文があった。


--引用--
 大人でも若者でもちゃんと使いたい数詞も当然ある。こちらは「箇」を使ってはいけない例だ。年齢を表現する「一つ」「二つ」である。
・彼は私より二コ上です。
 これは若者言葉の中の悪い例である。正しく「二つ」と言うべきである。もし、
・北海道には五コの時から住んでいる。
 と言うなら、許す。一貫性があるからだ。(後略)
--引用終--


 確かに個々の数詞を否定して「二コ上です」と言って通すなら、他にも例えば「妖怪一コ目小僧」などといった言い方で一貫すべきだと言う論には理があるように思う。が、それなら「彼は私より二つ上です」というのも、まだ「一貫性」に欠けるのではなかろうか。論理的に言うのであれば「彼は私より二年上です」となるのではなかろうか。


 今時年を訊かれたり、何かの出来事が何歳の時かを尋ねられて数え年で答える人は、まあ年寄りを除いてはまずいない。普通は基数である満年齢で答える。だが、「北海道には五つの時から住んでいる」という言い方は、本来は序数の用法である。いくら昨今の日本語が乱れているなどと言っても「東京に〇(ゼロ)つの時に引っ越した」とは言わない。基数である満年齢を序数詞で数えることがそもそも非論理なのだ。
 その一方で、彼我の年齢差は、本来は基数であるはずだ。だから「彼とはゼロ年違う」という言い方があってもいいはずである。しかし、「〇〇上/下」という言い方は、もともと「差がある」という前提なのだから、序数でもおかしくはない。

 そう考えると、「彼は二箇上です」と言い「北海道には五歳の時から住んでいる」と言うのであれば、むしろ満年齢も年齢差も基数として数えているという一貫性があるとは言えないだろうか。


 と思ったが、「ひとつ、ふたつ」は序数詞なんだろうか。「ゼロつ」がないから序数詞だと思っていたが、よくよく考えてみれば「ひとつ、ふたつ……ここのつ、とお」の次は十一になる。これもおかしくないだろうか。古代日本語の数体系 には十一は「とおあまりひとつ」とあるが、そんな言い方はまず聞かない。なので「一~一〇までしか使えない数詞」であることは確かだろう。(いや、「はたちあまりやっつ」とやってくれるならそれでも構わないが。)しかし、この数え方にゼロが存在しないのは序数だからではなく、古日本語にゼロの概念が無かったからかも知れない。でもやっぱりゼロがないなら序数かもしれない。うーむ。