尼崎にも父方の親戚がいるのでちょっと心配しましたが、とりあえずは親類関係者は巻き込まれなかったようで一安心( ´・ω・`) 亡くなった方のご冥福を。


 しかし、うちのジジイのように70過ぎて死にかけても助かる(助かったのか?)のもいれば、体に何の問題もない、無謀運転をしたわけでも戦場に立ったわけでもないのに20代30代で亡くなる方もいるというのは、理不尽というか不条理というか。その一方で、先天性の心臓やらその他やらで五体不満足に生まれてきた子供(これも当人にしてみれば不条理なのだが)の移植手術のために寄付を募り、剰えドナーとなる同年代の他人の子供がどこかで都合良く死ぬことを願う親に対して、自分が同じ立場なら同じことをするだろうと思いつつも言いしれぬ違和感や嫌悪感を抱いている自分もいるわけであります。


 かといってそんな不条理を感じつつも世の中は何の変わりもなく昨日と同じように過ぎていくわけで、納期がまた一日近づいたニュースやワイドショーを見て「かわいそうねえ」などと言った「茶の間のババア」どもはCMの間には今日のおかずやジャスコのバーゲンのことなどを考えていたりするわけですし、かく言う弊社も先日購入した エロ挌闘ゲー のレビューとか攻略サイトとか全技表でも作ってみるかなあ、とか、どうせ挌ゲーなら3本勝負・5本勝負とかのオプションや、ライフ量の設定も欲しいよなあ、とか、神代姉妹のポリゴンキャラが山瀬まみにしか見えないよなあとか、などと別のおかずのことを考えたりしているわけです。この文章を読んで不謹慎だ2ちゃんに晒してやる、などと思ったあなたも、30分もすれば「今日のいいともつまんねえな」とか「マツケンサンバはやっぱり完成度高いな」とか「やっぱ滝川クリステルだな」などとよしなしごとを考え始めるわけであり、そうした諸々のことを総合的かつ多角的に検討した挙げ句、ガムテープのようなものでぐるぐる巻きにして近くの山林に捨てたあとの残るのは、やはり諸行無常フィーリングだったりします。


 全然違う話ですが、全然関係ない、会ったことも見たこともない、名前も知らない他人の死ですら、なんとなく遺憾に思えてしまうのは、何なのかと。そもそも生命は根本的に、あらゆるもののエントロピーを小さくしようとする欲求があるのではないかと思ったりするわけですが。竹内某いう「そんなバカ」は、そのエントロピーを遺伝子だけに還元して論じようとする井戸端会議オバサンだから無視するとして、例えば人間はミーム(模倣子)のエントロピーを保持しようと頑張る生物ですが、ミームとは宗教や文化だけなのかと。人が死んで墓を建てるのも遺影を飾るのも、ミーム保護的活動なんとちゃうんかと。調べたことはないですが、動機とか利害関係とかを考慮しなくて良いとすれば、どんな文化でも暴行罪→傷害罪→殺人罪となるにつれて罪の程度が重くなっていて、それってエントロピーに比例してるんじゃないか、とか、傷の残る傷害罪よりも傷の残らない強姦罪を重くする文化があるのは、強姦やそれを肯定・許容することによって生じる社会の秩序や男女間の性の関係性などが損なわれることと比較してなんじゃないかとか、何のエントロピーに重みを置くかの体系が文化でありイデオロギーというものの正体なのではないかとか考えたりしましたが、睡眠薬が効いてきたのでそろそろ寝ます。


 バカ宮のコラムについて書きたかったけどもまた後日。