それにしても、4年前も驚いたような気はするが、周期表も二次方程式の解の公式も教えていなかったとは驚いた。文科省は何を考えているのだ。なんでも「ゆとり教育」とやらを推進した当時の文科省の担当は、いまじゃ“韓流”だかを捏造しているんだと。

 弊社は中学の頃化学式を覚えるときに、電子を渡したり受け取ったりしてそれぞれのK殻・L殻・M殻・N殻が全部埋まる(か0になる)ような形で共有結合をする、という覚え方をしたので、例えば H は K殻に電子が一個余っているから H+ になり、 CL はM殻に電子が7つしかないから1つほしがる(Cl-というような覚え方をしていた。本格的に化学をやろうとするならともかく、中学程度までの化学は概ねこの考え方を類推すればイオン式は解けるだろう。亜硫酸イオンなんかは中学では出ないはずだし、出るとしても例外として覚えれば良かろう。NH4+がなぜNH2-にならないかという説明にはならないが、そんなものは大学までやらない(よね?)からいいのだ。

 周期表も、「水兵リーベ僕の舟」ぐらいは誰でも覚えられるだろうし、縦列には「ふっくらブラジャー愛の跡」「オッサンせんずり手に持つポール」「日本明日から全て梅毒」だのといった身も蓋もない覚え方があるので、遷移元素以外はそれなりに覚えることができる。これぐらいの基礎的な元素を覚えてから応用で導くより、式を何でも丸暗記させるほうが却って難しいと思うのだがどうだろう。だいたい解の公式の暗記をやめたら、筒井康隆の「『聖ジェームス病院』を歌う猫」の「扶枇(ふび)の士(さむらい)が今後の備えに四つ足を引いて割ったらにゃあと鳴く」のどこが面白いのかわからないではないか。

 少子化で教師一人当たりの生徒数が減っているのに、学習内容が減るというのがそもそもおかしい。だいたい大学全入なんてのは、本来なら大学に行くほどの頭のない奴まで大学に行っているということであって、大学を減らせば良いではないかと思うのだが、底辺大学とは使えない学生ではなく、使えない学者のためにあるのだそうで、そういう大学を潰してしまうと使えない学者の方々が困ってしまう。だから使えない学者の方々も心得たもので、高学歴社会のスバラシサを説いてみたり、多様性を謳ってみたり、支那人の不法就労目的の学生を大量に入れて治安を悪化させたりと必死である。

 まあその必死さの結果が国民皆大卒という、なんだか歪んだ社会の出来でありますか。これってむしろ学歴差別に根ざすものなんじゃないのかね? 学問は望めば得られるものでなければならないという意見は正しいと思うが、学歴を大盤振る舞いをすることが正しいとは思わない。大学全入を学力の底上げではなく難易度破壊で乗り切ろうと考えているのだとしたら、高学歴社会の真の敵である。

 三流の我が母校では、某二流の大学との単位交換をやっていた。いっそのこと各員所属大学だけ決めて、あとは他大学との単位互換を国で保証するとかしてはどうだろう。偏差値75の大学の学生は、偏差値50の大学の単位を取っても50%にしか数えられないとか。あるいは受講試験で一定点を取らないと受講資格を認めないとか。「あの人は東大所属なのにラーメン大学とか缶詰大学の単位しか取ってない」とか「あの人は駅前大卒だけど、単位は早稲田や慶応のを多く取ってる」といった評価もできるし、大学受験で失敗してもその後の四年で取り返しが付く。各大学とも、「うちは仏文だけは強い」とか「うちは土木工学なら日本一だ」といった特色を出せるし、“受験の詰め込み”も減らせて、「入ってしまえばこっちのもの」という問題も解決するのではないかと思うのだが。単位交換制度は既に多くの大学で行われているし、大手の塾や予備校でも似たような制度があるのだから、助成金の何割かを割けばできるはずである。どうんなものだろうか。