誰しも考えたことだろうが、電車に五分や十分の遅れが出たところで、死んだり怪我したりするよりはましである。ましてやこんな事故を起こしたのでは、電車そのものが不通で当面は振り替え輸送になるし、怪我人や亡くなった方への補償も十億そこらでは効くまい。「一秒単位での遅延調査」があったと報道されているが、それが今回の事件の原因となったのだとしたら随分と高くついたものである。
 まあ、運転士は未熟かつ若者であり、過去も数度のオーバーラン経験があり、当日直前に40メートルというとんでもないオーバーラン(電車でGO!ですら一発ゲームオーバーだろう)を起こしたとのことだから、テンパってしまったか、もっと言えば不安発作(あるいは片桐機長の「逆噴射」)を起こした可能性もあるのではなかろうか。無線に応答しなかった、カーブ手前で非常ブレーキを掛けた、というあたりから、何らかの精神的混乱の陰も見えるような気がするが、いずれにせよスピードの出し過ぎが直接の原因であるなら、その根にはJR西日本(日本の鉄道会社全般に言えるのだろうが)の度を超した「定刻主義」があるのかもしれない。


 しかし、それでJRを非難すれば済むという話ではなかろう。15秒単位でコントロールされ、定刻通り運行される精密な鉄道を、我々は誇りに思ってはいなかったか。新幹線の平均遅延時間が一列車あたり6秒(時速300キロで日本を縦断する鉄道が、である!)、しかも停車位置の誤差はせいぜい30センチという数字を賞賛してはいなかったか。「イギリスでは天気が良いと昼休みが伸びるのは当たり前」などという比較文化的な話を聞いて、密かに欧米人の不勤勉さを見下したりはしていなかったか。
 精密なサービスは日本の誇りである。無論、その精密なサービスのために精密どころではない粗雑な事故を起こしたことは大いに責められるべきである。が、鉄道会社の「定刻主義」を批判するのはお門違いではないか。一度閉まったドアを、駆け込み乗車のためにもう一度開閉して再度安全確認するだけで、10秒ほどは遅れるだろう。満員電車に無理に乗り込もうとしてドアが閉まらなければ、押し込んだりひっぺがしたりするために30秒や1分は平気で遅れる。コーナーやポール際などの「いい場所」を確保しようとしたり、我先に乗り込もうとして、降車する客の流れを妨れば、やはり停車時間の遅延につながるだろう。そうした遅れが各駅ごとに累積していくのである。
 それでいて電車が遅れたら鉄道会社のせいにする。「お前が無理に乗車しようとしたから電車が遅れただろう」などと説教をする者を、少なくとも弊社は見たことがない。だいたい、日本人が世界で一番、電車の遅延に厳しい民族であることは間違いない。84%の人が10分の遅延でいらいらする のだそうだから、国によっては病的にも映るのではあるまいか。
 我々の小さなエゴの積分が列車の遅延となり、また鉄道会社へのプレッシャーとなって、過剰で無理のある定刻主義につながっていく。鉄道会社とて寝坊や懶惰で遅れているわけではないし、空いている電車を定刻通りに運行できないほど未熟でもないのだ。たぶん。


 毎朝同じ時間に(あるいは24時間)店が開き、ダイヤ通りに電車が発着し、蛇口をひねれば水が出て、コンセントに差し込めば電気が通り、しかもそれが365日途切れることがない。我々はそんな快適で安定したサービスを受けられる社会にいる。しかしそれは当然、サービスを提供する側にとっては窮屈な話でもあろう。電車が遅延しても文句を言わない、あるいは無理な乗車をして遅延の原因になったりしない者のみ、亡くなった高見運転士に石を投げるが良い。


〔付記〕統計によって数値が違うようだが、とりあえずwebで目に付いた範囲ではどの資料を見ても日本の一年あたりの停電時間の平均は10分以下。 フランスなどの欧米諸国でもおよそ1時間前後である。