hugあーちゃんの自己紹介☆これを読んだらhugあーちゃんがわかる!(長文) | hugあーちゃんのふわっと☆自分をHUGしよ☆愛されてる、今の幸せをたくさん感じられるように☆【滋賀】

hugあーちゃんのふわっと☆自分をHUGしよ☆愛されてる、今の幸せをたくさん感じられるように☆【滋賀】

心理カウンセラー☆3児の母☆道化師(クラウン・ピエロ)、元看護師・パートナーシップ・依存症・婚外恋愛・性・不妊治療・切迫流早産・産前産後うつ・AC・愛着障害・育て直し・HSS型HSP・頭蓋咽頭腫・汎下垂体機能低下症・中枢性尿崩症


 
あーちゃんは羊水混濁で新生児仮死で生まれ、母は療育のリハビリにも私を連れて病院通いをしていたらしい。この時点で母は父と離婚したほうがいいと思っていたこともよく小さい頃から母が話していた
 

身体が弱くすぐに風邪を引いていたらしい。
風邪をひくと絶対みる夢があって怖かったのを覚えてる
いま思えば、鼻が詰まってて息が苦しかったと思われる、
 
 
医療職とよく会うことがあり、保育園のお誕生日カードの将来の夢には看護婦さんと書いてある
  
保育園は仲間に入れないってこともあったりしたけど楽しかった記憶もある
 

 小学1年生の時に交通事故で左足を骨折し手術、入院していた
 
だから、今でも整体やエステサロンとかで左足触られるの少し苦手
 
小学2年生の時に父は外に女を作り始め、母はそれに激怒と悲嘆でお家の居心地は悪く、それまでも両親はぶつかっていたが、私が記憶にあるのはこのくらいから酷くなっていったって覚えてる。母と祖父母も仲が悪く嫁姑舅問題が激しく時にはあーちゃんも巻き込まれ、この家を早く出るためには、どうするべきか!とずっと考えていた
 

それまでも父のパチンコ依存で両親の喧嘩は堪えない


 
母からはお金は無いと聞かされながらも、父や祖父母にはある!とよくわからない教えで、特にお金に苦労せず過ごしてきた
 
母は過保護過干渉、極度の心配性




 
小学4年生の時に弟が生まれる(叔父がなくなる5カ月前)
 
小学5年生の時にたくさん遊んでくれていた叔父(母の弟)の自死
 
 
小学校は、いじめるほうもいじめられるほうも経験して辛かった、淋しかった思い出もある

一人ぼっちなんだ!やっぱり人と仲良くできないんだ!と思い始める
 
将来の夢は看護師から小学校6年生の卒業論文には医者になりたい!と書いてた




中学生は、部活に一所懸命になりながらも、空虚感があり、人付き合いがうまくできない

それなりに楽しくしていたが、多感な時期で興味があることも増えてくる。できることが増えるのと、自分で何でもできるって過信もありながら、

今思えば、ここからアディクションも始まる

私は人とは違うんだ!!
私はおかしいんだ!
みんなと一緒にできないのはなんでだろう・・・苦しいなぁ〜って思ってた
 
 
社会福祉協議会が主催するようなイベントなどにボランティアとして参加するのを13歳くらいから始める
(お家にいるより地域に出ているほうが安心で楽しかった)
居場所ができて嬉しかった←ここがあるから今の私がある

 




高校は、看護師になるために、あーちゃんなりに、勉強をして、いい成績を取ろうと必死だった。高校の先生に各教科マンツーマンでついてもらって、勉強を頑張った
 

高校生活は、校風もあり、自由に思うように過ごしていたので楽しかった。自分で決めたことをできた!
それを母校は見守ってもらえる環境だった気がする

 

看護学校は、楽しさと時間や課題、予定に追われるのと、予定が無いと淋しくて何をしたらいいのかわからないので、常に動いていた
止まったら死ぬ〜みたいな感じ!
 


親との関係性も見つめる時期になっていった
 
専門学校1年の私のお誕生日前日になくなった祖父(母の父)。
 
あーちゃんはおじいちゃん大好きだった、おじいちゃんの好きな刑事ドラマ、時代劇の番組が、あーちゃんも好きだった。そんな祖父のパーキンソン病による長期闘病生活で何もしてあげられなかったという思い。
 
看護学校に通っていたものの、再度、看護師になるんだ!と強く思った祖父の死だった。
 
 
バイトは、祖父の死から1ヶ月後くらいから4ヶ月程、スナックでホステスのバイトをする


 
他には高校生から、公文の丸付け、テーマパーク?!のレストランのバイト、障害児の夏休みの指導員、プールの監視員を学生時代はしてたなぁ〜


 
児童相談所で被虐待児と関わったり、こども電話相談のチャイルドラインでの受け手をし始める
 

イロイロな講座をとにかく参加して聴き、AC(アダルトチルドレン)であることを自覚し始めて、共依存を知り、自分のことを振り返りを始める
 

機能不全家族の中で育ったのだと知る
 



旦那との出会いは看護学校🏫3年の夏に、とぉーたんと出会う

自分の人生の中で出会ったことのない男性(とぉーたん)で、毎日、とぉーたんがあーちゃんの一人暮らしの部屋に仕事へ行く前後に寄ってくれて、実習で疲れてるあーちゃんを癒してくれた(ヨーグルトを1つ買ってきて渡してくれた、毎日毎日、ヨーグルト1つw)←愛されてた


病院実習は楽しくも苦しくもあった
 

あーちゃんが看護学校卒業し、病院へ就職してから1年経ち、とぉーたんと同棲することにした


 
とぉーたん(旦那)と同棲始めてすぐにとぉーたんかわ社員旅行で北海道に行き数日会えないだけで結婚しようと思った( ´艸`)
 
その数カ月後、あーちゃん23歳になる数日前に入籍ハート
 

とぉーたんのお誕生日に結婚式をあげたおねがい


あーちゃん24歳の誕生日に子宮外妊娠の腹腔鏡下で手術
ダグラス窩(身体の部位→腹膜の一番下)に出血600ccほどあって、危なかった。左の卵管切除。

 
ここから日常に、頭の中で『死にたい、死にたい、死にたい…』ってのが回るようになる。トイレに入ったりして、一人になると余計に回る
 
夫婦喧嘩が絶えない(あーちゃんが、一方的に発狂するのは言うまでもない
 
たびたび腹痛でパニックになり、旦那に当たる
(子宮外妊娠の恐怖感)
 病院も受診するのを繰り返す
 
「離婚したい、離婚したい、離婚したい」

「お願いだから、離婚して」

「再婚して他の人と一緒になった方が幸せになれると思う。だからお願い、離婚して」

旦那との喧嘩が絶えない
 
26歳、4月に稽留流産(心拍確認できず、9週)


「しんどいから、別れてくれないから一緒に死んでほしい」

「辛くて辛くてどうしたらいいのかわからない」



とにかく、仕事には行くしかない


夫婦のみでの生き方も考えていくのか、何処まで不妊治療はしていくのか、お金はどれくらいかかるのだろう、養子縁組は調べていったほうがいいのか、そこまでして子どもを持ちたいのか


27歳、(退職まで勤めようとしてたけど妊活の為)病院、退職(公務員辞めるの怖かった)

看護師を辞めて治療に専念し始め、翌月に妊娠

仕事を辞めたと同時にやりたかったクラウン(ピエロ)の養成講座に通う(妊娠中に名古屋まで毎週水曜日5ヶ月ほど通った)


"怖いを感じながら前に進む"

"手放すと入って来るを体感する"



28歳、1人目出産(経腟分娩)

第1子は、風邪も引かず、抱っこ大好きと完全母乳育児で疲れていたが、育児はこんなものだと1人目なので思っていた

 
29歳 2人目の妊娠がわかり、12週から半年間切迫流早産の24時間安静入院で精神的にも肉体的にも限界になる。そのころに、カサンドラ症候群、子育て、パートナーシップ、自分について深く考えていくことになる 心屋のブログや本に出会う ノートに思ったことを書く



 
30歳、2人目出産(経腟分娩)立ち会い出産直後、旦那が倒れる…旦那は旦那で緊張の糸が切れたみたいだった

 

産後うつ、旦那との関係は産後クライシス、育児がつらい 家にいるのもしんどいけど、地域に出るのも怖い 

 
人と接するのが怖いし何を話していいのかわからなくなっていった 
 
 
子どもを殺さないようになんとか育児をするので精いっぱい

虐待って、ほんま、紙一重ってか、いつ殺してもおかしくないんやなぁーって思いながら過ごす

この子の口を押えたら…
私がこの子を守らなくては…
なんで泣き止まないの
病気かなぁ


 
とにかく、お家にいるとしんどくなるから車に乗って子供たちとお出かけをした
 
子どもとお家でいる閉鎖的な空間が辛かった
 
一人になりたかった
 
一人の時間がほしかった
 
ママ友も欲しいけど、出来たら出来たで一緒にいたら疲れるし、出会うきっかけのある所に行くのもしんどくなるし、ママ友はたくさんできなくて淋しい思いもするし


子供の習い事の数や発達の違い、兄弟の人数など比較してしまうこと、比較されることがたくさんあった

 
自分的には引きこもってて、誰かとは話したくて、どうにもできない日々でアディクションに逃げる
 

 
31歳 3人目妊娠 切迫流早産にならないか、ひやひやしながら過ごす

 
32歳 23週切迫早産で、出産まで3カ月入院。

神について考える ノートに思ったことを書く 祈りを知り、病床で祈ることをする 

36週に入り、マグセント、ウテメリンを外していき、お腹の張りが気になるので、モニター着けてた

陣痛室に移動してて、トイレに行って、戻ってきても、心拍確認できず、そこからグレードAで緊急帝王切開。


(ルートが取れず(点滴の針が血管に入らず)にほんま、祈った。早く、ルート確保してくれーーー)



3人目出産

産んで(開腹して)みて、わかったこと

胎児の心拍がフラットになったのは、臍帯真結節(臍帯が硬結びになっていた)
 
あと、子宮外妊娠後のオペ後から排便時の痛みがあったところはやはり癒着だった、腸管癒着




33歳ツイッターでアディクションの漫画を読んで私はアディクションなんだ!と知り、自助グループに参加する

私ってアディクションあるんや!
全く自覚なかった、自助グループは支援する方やと思ってた。

困ってなかったと言えばウソになるが自覚はなかった

生きづらさがあるから自助グループに繋がった


そして、

34歳 心屋塾 マスターコース119期(カウンセラー養成コース)へ行く


2020年2月〜妊活・不妊治療・妊娠中のトラブル(切迫流早産など)に伴う心身の負担軽減のためのぷれぷれママパパサロン共同代表として滋賀県内でスタートする
 

35歳 心屋塾 マスターコース119期(カウンセラー養成コース)を卒業(コバマス119期)
 

多肉植物にハマる照れ




2021年8月HSPメッセンジャーになりました!

2021年9月HSPスペシャリストになりましたチュー



2021年10月26日〜以前からの体調不良の病名が…





11月1日のMRI検査で


11月18日頭蓋咽頭腫の摘出手術をしました!


手術後から


汎下垂体機能低下症

中枢性尿崩症


一生、付き合って生きます爆笑



入院中は


倫理法人会の「炎の講演家 鴨頭嘉人」さんの動画と元心屋仁之助さんのラジオ動画などをずーっと聴いてて


心屋認定カウンセラーとして

甲賀市倫理法人会副専任幹事として


2つの学びがあり


それぞれの繋がりの仲間に助けられながら


入院生活を過ごすことが出来ました爆笑




入院中は

気づきが溢れてきてすごく充実した日々でしたラブ


2021年12月16日 hugあーちゃん













また、書くこと思い出したらその都度、追記してみようっと!
 
 




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子供居ないときは、なんで子供が生まれた年とかを基準におばちゃんらが話しやるのかなぁ?って疑問に思ってたけど、あーちゃんに子供ができて生まれたら、こども基準で人生を振り返るよなぁ…命が産まれるっていう一大イベントやしな…って、自分で書いてて納得(笑)