こんばんは。


風呂場にはスマホも持ち込まず、


完全に1人になれる空間。


そういう時、思考の垂れ流し状態になる。


今日はただ今日の風呂場で垂れ流した思考を文字起こししただけの内容。


それでは。





夢は持つもんじゃなくて叶えるものだってニュアンスの言葉よくきくけど、


夢は持つだけで意味あるんじゃないか。



夢は別に叶えようとしなくても、持ってるだけでいい。


そしたら今の人生に迷った時とか、岐路にたった時、


その夢が多少なり人生の仕事選びや趣味の時間に


生きてくるんじゃないか。


こうしたい。こうなりたい。



この気持ちを持つだけで生きる希望があるやん。



いいことやん。この先どうしていいか分からん、


どうして生きていい分からん人がおる中で、


夢を持つってのは活力につながるやん。


この先どうしていいかわからん悩みをもつけど、


結局大人と子供ってどっちが幸せなんやろ。


でも、これってそれぞれの良さが違いすぎて


比較対象にならんよな。


まあでもこういうの考えるのワクワクするなあ。


でも、子供って漠然としすぎとるな。


いつからいつまでを子供の対象にするんやろ。


幼い頃から18歳までかな。



でも、それだと漠然としすぎとるな。


よし、小学生時代にしよう。


てか、小学生時代の気持ちなんか今わからんやん。


やっぱり比較できん。


でも、例えば小学6年生の時転校が決まった時は、


めちゃめちゃ嫌で泣き叫んだな。


この気持ちだけは鮮明に覚えとって、今でも小学生の気分になれるな。


ああ。もし、こうやって断片的にじゃなくて、


全ての日常を今この瞬間思い出せることができたら、


24歳の大人の自分が子供の気持ち分かるやん。


というか子供の頃あんなにこの頃の気持ち忘れんようにしよって、


大人の姿見て思ってたのに、全然覚えれてないやん。


でも、だから今大人なのか。


だから今この社会でそれなりに適応して生活していけてるのか。


子供の気持ちが取り出せたらそれは子供のままやん。


多分、あの時の失恋、あの時のしんどさ、あの時の楽しさ、あの時の怒られたこと、


そういう経験を積み重ねたから大人の価値観ってのが備わったのか。



あ、これブログに書こ。この今考えとることブログに書こっと。


それで、俺は読書がめっちゃ好きで、


それは自分から今まで知らんかった色んなこと知れるのがすごく楽しいからや。


この知らないことを主体的に知る楽しさも大人の醍醐味か。


子供の頃は何が幸せとか考えたことなかったもんな。

でも、反対に幸せを実感することもなかったな。


今の瞬間幸せだー!って。


待てよ、これはあれか。


明日死ぬ事がわかった上で今日生きる方が幸せか、


何も知らずに明日死ぬ方が幸せかの問題でもあるのか。


明日死ぬ事が分かってれば、


今日は俺の人生で1番幸せな日になることは間違いない。


でも、分かっていなければただの普通の1日やな。


明日死ぬ事が分かってれば恐怖で泣くかもしれんけど、


明日絶対死ぬわけでどうにもならんから、


今生きてる幸せ1秒ごとに実感してやろうって、


ずっと笑顔になるかも。


子供って大人ってどんなんだろって分からんすぎる恐怖がありつつ、


何にも知らんもんな。


逆に恋愛の経験、部活の経験、大学の日々の経験、


こんなん忘れて子供の頃の気持ちになれって方が無理か。


まあ少なくとも読書好きの知ること大好きな俺は、


大人の方が幸せって結論になるんかな。


でも、だとしたら俺はまだ24歳で、


知らないことが沢山あるからたくさん経験しなきゃいけないのか。



それに幸せを見出すのか。


待てよ。てことはこれから沢山のことを経験するっていうのが、


即ち生きる希望みたいなもんか。


目的ができたやん。話が繋がった!



おおお。






ってことを考えた。笑



最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは〜👋