女の子の日記。
二十歳の頃から私も、よく青〜い
「青春日記」を書いていた。
最初に買ったのは1984年だった。
私が書き始めたのが、
二十歳の誕生日からだった。
タイトルに惹かれてである。
当時は睡眠薬を飲んで?自殺未遂?
その後、悦子さんがどうなったか?
不明だった。
——— これは無くしてしまった。
2007年版はどこかにある。
どうしても気になって、
パラパラ読んでしまうので
Kindle版まで買った。
青春ではなくなった2007年に、
なぜ買ったかと言うと...虫の知らせか?
朝、目覚める前に「...高野悦子...」
という言葉が何度も聞こえてきた。
高野悦子って誰だったっけ?
検索した。
そういえば20年以上 前に買った本か?
嫌な汗が出てた。とにかく不吉だった......。
他に、原口統三は今で言う意識高い系だ。
言いたいことはわかるが、かなり抽象的。
個々の哲学者についての知見は広いが、
しかし浅い。
いわゆる大思想家を並べ立てて一蹴。
すべて批判するやり方が「青春日記」だ。
定番の知的ナルシストというべきか?
今は青空文庫で読める。
2007年に買った『二十歳の原点』では、
睡眠薬で亡くなったような終わりかたで、
あとがきは、父さん(高野三郎)だったのかな?
つまり、私は高野三郎さんになってしまったわけだ。
なんでこんなもん出版するんだろう......。
当事者だからこそ言わせてもらう。
遺族は何度 日記を読んでもよくわからない。
物事を深く考えたがる連中は、さも自殺者の心理が他人の推測をゆるさぬような複雑で謎のようなものであるように言う。高野悦子さんの遺著は解説が無ければ、現在も生きていると思われても不思議ではない。
遺族は、ただ泣き崩れるだけである。
以下、購入順。
二十歳の原点(新潮文庫) 文庫版
購入日: 1984年3月5日
二十歳の原点(新潮文庫) 文庫版
購入日: 2007年5月14日
二十歳の原点(新潮文庫) Kindle版
購入日: 2020年1月17日
Amazonに書評書いてる人達と
同じではなくなってしまった。
それは外部からの分析である。
当事者になってしまったのだ。
同じくらいの年、同じ亡くなりかたで。
娘のスマホを見たら高野悦子さんと
同じようなことが書かれていた。
たあいのない日常、そしていたる所に
捻くれた見方・考え方が散見された。
理想ばかり思い描いていた私と違い、
少し生き辛い面があったのかなぁ......。
『二十歳の原点』の中に、それに至る
原因や理由を求めても無駄だった。
「美しい間に死のうかなぁ〜」
「来世はどうなんだろう?」
「スイッチが入る」
「リセット」等々、命を軽々しく扱い、自殺によって家族が、どんなに苦しむか想像すらしない。理性を批判し、本能のみ優先し、自分をコントロールすることができない状態に陥っている。
死にたくなったら「楽」はダメだ。
自死したら楽になるか、地獄か、
自死してみなければ、わからない。
門番を説得し、押し退けての突入か?
自衛隊に3年間入隊。もしくは、千日回峰行がベストだ。東京のマラソン大会にでも参加するのもいいだろう。なんにせよ、自分を極限にまで追い込んでいくことがおすすめだ。
マンガの新刊を楽しみにするのも在り、
明日は第三次世界大戦が勃発、
明後日は共産主義世界同時革命の勃発する。
わかりやすいのは、
「地獄だ!目の前が真っ暗だ!もう自殺するしかない」 ——— 『無神学大全』バタイユ。
もちろん今の10代・20代の自殺者は、こんな事は絶対に言わないことにしているらしい。生きるに値しない、原因を説明するに値しない、非-知。
政府が原因究明・調査に乗りだすのも理由がないわけでもない。残念なことにシオラン等、哲学者しか自殺者の内面を明らかにしない。さらに暗黒の思想家バタイユは確信犯のように、天寿を全うすることまでやってのけているのである。したたか者だ。
いつから夢や希望を、すべて無くしてしまったのだろう?
平成に入って ビデオカメラ・デジカメ・スマホ等々、記録媒体系製品が進化・普及したおかげで娘の画像・動画がけっこう残っていた。
中学になってから写されるのを嫌がっていたので、残っているのは小学校がメインである。
同じ境遇で辛くて観ることができない、という事もあろう。ただ私にとって、長女とひたすら遊んでいる亡き次女の1時間あまりの動画に、涙が止まらなかった。
短いあいだだったけど、
お父さんの娘でいてくれて
ありがとう......。