「フットボーラーは二度死ぬ
一度目は引退するとき、二度目は死を迎えるとき」
日本サッカー界の期待を裏切った
才能を開花させなかった者たちの話
才能あるものが大成するとは限らない
才能を磨かず、小手先の技術に溺れた者
努力より快楽の誘惑に負けた者
所属するクラブの選択を間違えた者
フットボールよりも大切なものを見つけた者
才能と比例しないキャリアで引退した選手たち
日本サッカー界が失った
宝物のような選手を紹介したいと思います

広長優志(ヴェルディ川崎などでプレー)
フットボーラー養成所の桐蔭学園で

奇才、李国秀によってFWからDFにコンバートされ
身体能力、技術、戦術眼、守備力を
極めて高次元で併せ持ったハイブリッドな選手だった
28年ぶりの五輪出場権の獲得を目指す
U-22代表では伊東輝悦とダブルボランチを担当、
おそらく日本サッカー界に初めて現れた
「デカいけどボールを扱える」ボランチであった
CBとしても、ボランチとしても
広長の将来は有望なはずだった
当時所属したヴェルディ川崎は正に黄金時代
ボランチには日本代表の闘将、柱谷哲二
CBにはペレイラと広長のポジションは
クラブの重鎮ともいうべき選手が君臨していた
最も試合経験の必要な時期である頃
広長はほとんど出場機会を奪えなかった
これまで才能と天性の運動能力だけで
難なく定位置を獲得してきた彼にとって
サッカー人生で初めて訪れた挫折であった
今思えば、入団するクラブを間違えたといえるだろう
当時のヴェルディは有望な若手を乱獲するけれど
ベテラン選手を押しのけるような
ハングリーな選手は石塚啓次以外皆無で
同じポジションのベテランが退くまで
順番待ちをしているような状態だった
入団当初は定期的に出場機会のあった
広長もクラブの生ぬるい環境に慣れたのか
徐々に出場機会を失っていった
レンタル移籍なので出場機会を求めることもなく
クラブでは出場機会の無いままだったが
西野監督率いるU-22代表では不動のボランチとして
広長は完全なるチームの主軸だった
アジア予選を突破して28年ぶりの五輪出場を果たし
ペレイラが退団した1996シーズン、
ようやくレギュラーを奪えるかと思われたが
クラブでの定位置争いに負け
五輪代表でもより守備的なプレーヤーである
服部年宏に本大会ではレギュラーを奪われた
ここから広長のキャリアは停滞したまま
引退するまで代表に召集されることはなかった
努力が足りなかったのか、運がなかったのか、
五輪のアジア予選での躍動感溢れるプレーで
多くの人に期待と夢を魅せてくれた
強く、巧い大型ボランチは未完のまま
慢性的な怪我もあり、スパイクを脱いだ

もしヴェルディではなく鹿島や広島に
広長が入団していたら、どうなっていたのだろうと
サウナで暇つぶしに妄想するとき思ってます

