[マッド・フラッドとタルタリア帝国]
200年前に起きた「滅亡の洪水」
地球上の人類が洪水により滅亡したという話は、旧約聖書の創世記に記述されてる。
「ノアの大洪水」からしることが出来る。
これが、教訓や作り話ではない証拠に、世界中に洪水伝説が伝えられていて、また先日のパキスタンを襲った大洪水で国土の1/3が水に覆われた事を思うと、天変地異により世界中でこのようなことが起これば、私たちの住む陸上は水に覆われるのだと痛感する
出来事になった。
ただ、「ノアの大洪水」に関して言うと、
いつ起きたかは明確に分かっておらず記述が真実だと言う前提でも「大昔に起きた」としか説明出来ないものになっている。
一説によれば、紀元前2000年頃だと言われているが、それとは違い紀元前1万年前だと言う主張もある。
いずれにせよ大洪水により、現在の地球文明が一掃され、大洪水後に新たに築かれたのが現在の文明だと言うことになるが、そういった大洪水による文明の滅亡は実はそんなに過去の話ではなく、200年ほど前の話だとする説がある。
200年前と言うと日本は江戸時代であり、私達が知る江戸時代と地球を襲った大洪水などどうやっても結びつかないと思うが、世界の歴史を見ると大洪水が起きたことが浮き彫りになってくる。
「消えた タルタリア帝国」
13世紀から19世紀にかけて存在したとされるタルタリア帝国には、現代よりも更に進んだ高度な文明があったとされる。
今では、私達が想像も出来ないくらい大昔に高度文明があり、アトランティス文明などが、その代表であると話してきた。
それなのに、数百年前にそんな文明があれば、もっと私達は知っているはずなのに、「タルタリア帝国」など歴史の授業では習わないし、インターネットで調べても出てこない。
出てくるのは、タルタリア帝国に関した奇妙な説明ばかりで、これをどう受け止めて良いか混乱してしまう。
なぜタルタリア帝国は高度な文明を有してたのに、歴史から消されたかと言うと、タルタリアの人々は、フリーエネルギーを生み出す技術を知っていたからだ。
現代では、社会経済の発展により地球規模のエネルギー問題が常に心配されるようになった。
そのため、エネルギー自体を産業とし、膨大な富を得る、国際資本家が現れることになった。
しかしタルタリア帝国はフリーエネルギーを活用する術を知っていたわけだから、エネルギー産業を支配する国際資本家には、目障りな存在でしかなかったのだ。
地球上の誰もが自由に使えるエネルギーがあれば、私達の生活は今とは全く異なっていたはずで、世界の貧困すら無くす事が出来る。(間違いなく…)
たとえば、100年以上歴史から消されていたニコラ・テスラもそれが原因で彼は存在すら無かったように偽装された。
タルタリア帝国も同じで、タルタリアは滅びる前は現代に活躍するような、飛行機やロボット技術を有していた、フリーエネルギーは全ての国民に平等に使えるようになっていて、家はオール電化、暖房も全てだ、フリーエネルギーで無線で動くエンジンが開発されていて、今のセグウェイのような乗り物や自動車など全ての国民に与えられていました!
争う必要も無く食料を皆で必要な分を好きなだけ作りものすごく豊かな理想的な国だった。
その時に作られた鉄道の駅などは今だに使われている。
そんなタルタリア帝国の存在自体はエネルギーを支配する者たちが良しとするわけはなく、それがタルタリア帝国が歴史から抹消された、原因だとされている。
「タルタリア帝国は何処にきえたのか」
エネルギーや食糧を支配する者たちが、不都合な存在を歴史から消し去れるのは、常套手段であることは、私たちも良く知っていることと思うが、それでも数百年程度の巨大都市の存在を丸々消し去る事など本当に出来るかは疑わずにはいられないはずだ。冒頭では、大洪水が世界を襲い人類が滅亡したが、それでは、地球上に誰も生き残ることさえ出来ず、支配も何も無くなってしまう。
そこで近年唱えられてるのが、「マッド・フラッド説」で、マッド・フラッドとは日本語で泥の洪水となり、都市全部を「泥の洪水」が襲い、文明を一掃する出来事が起きたというものになる。
このマッド・フラッドはいつ起こったのかというと、所説ある中でも、1800年に起こっていたのが有力で、それによりタルタリア帝国は歴史から消されることに、
ではなぜ、タルタリア帝国だけがマッド・フラッドに襲われたのかということだが、マッド・フラッドが人為的に起こされていたからだという、推論がある。その中で、「核攻撃が洪水を招いた」というものがあり、それにより地球規模の地殻変動や異常気象が引き起こされ、マッド・フラッドがタルタリア帝国を襲ったのだと言う。いやいや、そんな昔に核兵器などないだろうというのが普通の考えだが、時代にそぐわない科学力を持ったタルタリア帝国を他国は驚異と思い、力を持った大国タルタリア帝国が世界支配に乗り出す前にタルタリア帝国が有してた核兵器で滅ぼしたと言われている。
何か映画のような話ではあるが、地球上には不自然な遺跡が多く存在していると思うと、タルタリア帝国が存在していた可能性もゼロではない。そしてモヘンジョ・ダロ遺跡やハラッパ遺跡のように古代核戦争説が噂される地域があると思うとそれもあり得るのではないかと思えるはずだ。1816年は夏のない年と呼ばれていて、世界各国で夏の気温が氷点下までに落ちる異常気象が起こったことが、記録に残されてる。
アメリカのペンシルベニア州では、7月と8月に河川や湖が凍結するほどの異常低温に見舞われ、その後数年の間異常気象は続いたのだという。
これだけの異常気象を招いた原因は何だったのかは、一般的には火山の噴火だと言われてるが、火山の噴火だけでは、これまでの実例から見ると無関係であることが分かる。ではこの異常気象が、タルタリア帝国を襲った、核戦争が使用されると世界は「核の冬」に見舞われると言われてる。これは核ミサイルが放たれた物質が空を覆い、太陽光を遮断することで、世界中が異常低温に見舞われることを起こす。
つまり、1816年から地球全体を襲った異常気象による低温化は、
タルタリア帝国を滅亡させるために核兵器が使用された証拠だと言うことになる。
シベリアには巨大なクレーターのような丸い湖がいくつかある。
その場所とは、タルタリア帝国が存在した場所だとされ、タルタリア帝国に撃ち込まれた核ミサイルの跡ではないかと考えられてる。
また、杉の寿命は一般的に1000年と言われているが、不思議なことにロシアに生息する大河の針葉樹は、いずれも樹齢200年未満のものしかないのだ。
このことは、200年前に地球規模で大きな異変があった証拠だと言えこの証拠の数々が偶然の一致で発生したとは到底思えないのだ。
「マッド・フラッドの証拠」
19世紀に地球を襲った「マッド・フラッド」なるものが事実であれば、証拠がないわけがなく、世界を襲った異常気象やロシアの樹齢の他にも決定的な証拠があるのだ。
19世紀に掘り出された建造物の中で、
タルタリアが核攻撃を受けた後に、大規模な泥の洪水が起き、埋没してしまったと見ることが出来るものがある。これらの写真は、マッド・フラッドが起きた証拠とも言える写真であるが、私達の常識からは奇妙だとしか思えない。見ると明らかに地下室とは違い、外部には窓があることから地上にあった建物が泥で埋もれたとしか見えない。
高度な技術で作られたタルタリア帝国の建造物は非常に丈夫だったようで大洪水でも全壊することなく、ある程度原型を残して泥に埋まったとされる。
その他にもタルタリア文明時代の建物と思われる遺跡は続々と発見されていると言う。
タルタリア文明時代の建物は、タルタリア様式という独特な芸術観で建てられ、一般的に言うオリエンタル風などが、それに近いと思われる。オリエンタル風がタルタリア様式だとすると、思い浮かぶタルタリア文明の遺跡は世界中に多くあり、この日本においてもタルタリア様式が多数あるとされる。
つまり、200年以上前の日本もタルタリア文明の影響を受けていた可能性があり、私達はそれを教育で教わらなかったため、知らないだけなのだ。
この謎の文明については、まだ序章に過ぎず更に衝撃的な話へと発展する。
実は江戸時代は存在せず、日本にはタルタリアの文化が溢れていたという話や、タルタリア帝国の人々は巨人だったと言う話、そして、それに繋がる証拠などもある。
「タルタリア帝国と科学技術」
タルタリア人は主にロシア系、アーリア人、ネイティブアメリカン、そしてモンゴル系タタール人だったと言われてる。
タルタリア人はフリーエネルギー装置を開発していたと言われていて、エネルギーを誰もが自由に使うことが出来たため、エネルギーの奪い合いによる争いは起きなかったと言う。
ゆえに食糧生産などの心配も一切なく、これらの理由から、人々は精神的にも非常に安定し、極めて穏やかに暮らしていたのだそうだ。
そんなタルタリア人は、いわいる「巨人」だったという噂もあり、様々な根拠を聞くと、たしかに「巨人」であった可能性が高い言わざる得ない。
その話は後述するとして、先に彼らがフリーエネルギー装置を開発していたという話をしておかなければならない。
フリーエネルギーと言えば、人類の発明の最終段階と言えるが、実はすでに発明されていると言う話は、インターネットを検索すれば容易にでてくる。
フリーエネルギー装置開発者として有名なのはニコラ・テスラで彼はフリーエネルギーを開発した故に、その発明だけではなく、存在自体が歴史上から消された。
ご存知の通りフリーエネルギー装置の開発は、世界のエネルギーを支配する者からすると目障りである以外何物でもなく、自己の利益の為に人類に有益なものが発明されても容赦なく消し去ってしまうのだ。
タルタリア帝国が世界の歴史から消されてしまった、大きな理由の1つはフリーエネルギー装置の発明だと言われているが、まずはその真相を知ってもらいたい。
もし、本当にフリーエネルギー装置が存在するとすれば、それこそがタルタリア帝国が存在した証拠だとする研究者もいる。
その装置は「スター・フォート」と呼ばれる、星形要塞といわれていて、イタリア式技術などに用いられ15世紀半ば頃のイタリアに見られた、建築様式だと考えられる。
つまり、私達が建築技術だと思い込んでいるだけで、実はそれは建築の様式では無く、タルタリア帝国が残したフリーエネルギーの装置の形だと言う事になる。(使い方はまだ分かっていなかった)
このフリーエネルギー装置であるスター・フォートは、世界中に何か所かあり、日本では北海道函館市の五稜郭や長野県佐久市の龍岡城が上げられる。
タルタリア帝国の痕跡でもあり、フリーエネルギー装置でもある「スター・フォート」が日本にもあるとは驚きだが、タルタリアにおいては水流で各地にエネルギーの運搬するための装置であったと考えられている。
スター・フォートは、エネルギーの中継センターであったと考えられていて、世界各地の象徴となっている。
建造物もタルタリア文明の痕跡であるとすれば、それらは地球全体を覆うエネルギーネットワークだった。
ちなみに、世界各地の建造物とはインドのタージマハル、ワシントンDCの国議会議事堂、ロシアの救世主ハリストス大聖堂などで、一見すると別々の建築様式の様に見えるが、これらの建造物には共通した建築様式があるのだと言う。
ゴシック調で厳かな雰囲気のルーツは、全ての建造物の共通点であり、それがタルタリア様式であるのであれば、たしかにフリーエネルギー装置との関連はゼロではない。
ただ、それらの建造物がフリーエネルギーの発電所だったとしても、問題は発電し送電したかという仕組みで、一説によると屋根の先端に取り付けた突起物をアンテナとしてエネルギーを内部に取り込む所から始まるのだと言う。
屋根部分にも仕掛けがあり、幾何学模様の装飾はエネルギーを集める共振器として機能したと考えられている。
そうした共振器と成り得る模様は屋根以外にも、窓にも施され、建物全体としてフリーエネルギーを発電していたと考えられるが、共振器の中心はカソードと呼ばれ、カソードが複数盛り込まれた建物が「カセドル」すなわち大聖堂となるのだ。
カソードとは、外部回路へ電流が流れ出す電極の事で、外部回路から流れ込む電極とも言えるわけだが、電気分解や電池においては、カソードは電気化学的に還元が起こる電極ということになる。
建築模様だと思われていたが、実は電波共振器だったと言われても、にわかに信じがたいがもし本当にそうであれば、私達は世界の見方や世界利権を根底から見直さなくてはならなくなる。
またタルタリア文明の発電所にはパイプオルガンが備え付けられていた。
それは音波(周波数)を利用して人々に調和と癒しをもたらす作用があったと言われてる。
私達の発想では、フリーエネルギー装置はただ単にエネルギーの発電装置だと思っていましたが、実はエネルギーを送り出すだけではなく、そこで暮らす人々に癒しを与えていた。
たしかに、無限のエネルギーや食糧が手に入っても人々の心が豊でなければ国は、安定することなく、それを考えると、こちらがメインの機能で発電は副産物だったかも知れない。
音波とは、未知の力をもっているといわれて、ピラミッド等の巨石遺跡も、実はロストエネルギーとなった音波を使用していたのではないかとも言われている。
タルタリアの音響幾何学を用いた設計は、タルタリア文明の残像としてさまざまな寺院や教会に反映されており、さらには、赤レンガ作りの建造物もまたタルタリアが生み出したエネルギー装置だったと言う。
赤レンガは酸化鉄を含むことから電気を通す。この性質から電気エネルギーの蓄電基地であり、そこで蓄電した電気が各所に無線で送られていた言うのだ。
私達日本人は「赤レンガ」と聞くと、横浜や小樽の赤レンガ倉庫を思い出すが、よく考えれば、当時流行って行った建築方法であれば、もっと日本中にあっても良い訳で、さほど多く存在しないのは、要所要所のフリーエネルギー装置として置かれたと言うことになる。
身近過ぎて逆に信じられないと言うのが、私の正直な感想となるが、「常識を捨て去り」、「固定概念を覆す」ことが必要であれば、それらも受け止めることは出来るが、無論すんなりとは認められないことも分かる。
しかし、私達はタルタリア帝国のフリーエネルギー装置のことだけに着目すべきではない。
冒頭でも少し触れたが、タルタリア人は巨人族だったのではないかと言う噂もあるので、次はその謎に迫りたいと思う。
「タルタリアの巨人伝説」
世界中に巨人の伝説が存在することは今更言うまでもないはずだ。
巨人の骨が世界中で発見されてはいるものの、それらはスミソニアンなどに破壊され無いものとして扱われていると言われているが。
旧約聖書にも登場するネフェリムの存在を見ても地球上に巨人が存在したことは明らかである。
タルタリア人が巨人であったとするならば、人類史のそう古くない過去に巨人が実在していたことになるわけだが、実はタルタリア人が巨人だったわけではなく、彼らは巨人と共存、共栄してたようである。
世界中で発掘されている巨人の骨は、かつてタルタリア帝国で暮らしていた巨人のものかもしれないが、現在の残されてる、大聖堂を初めとする建造物の巨大な扉は、共存していた巨人達が使用したものの名残だと言われれば、たしかにそう見える。
大聖堂の扉は高さ5メートルを超えるものもあり、ドアの取っ手も地上2メートルほどの高さに位置しこれらはあきらかに、人間のサイズにじゃ合わない設計としか言いようがない。
だが、逆に5メートルの巨人が実在していたとすれば、巨大な扉があっても不自然でわなくなる、巨人にとっては通常サイズだったと考えられる。
ちなみに日本には、ダイダラボッチと言う巨人の話が伝承されている。
ダイダラボッチはタルタリア人と共存してた種族であると言う説もある。
共存してた巨人は2メートルから3メートル、驚くことに彼らの画像が残っている。
現存する巨人の写真は近年の巨人族の名残の人々の可能性がある。
私達にとっては、彼らの身長が巨大で自分たちの身長がスタンダートサイズだと思うわけだが、もしかして彼らが標準で、自分たちが小さいだけなのかもしれないと思ってしまう。もし過去の地球文明は巨大な人々が支配していたとすると、世界の巨石文明やエジプトの遺跡などを初め、多くの遺跡が異様に大きいことも説明出来る。むしろそのほうがしっくりきてしまうのだが、いずれにしてもそれ以外に巨大な扉は説明しようがない。
考古学者は古代エジプト遺跡が全て大きいのは、当時の人々が巨人だったと言っている。
つまり現代の私達から見れば、なぜあれほどの巨大なものを作ったのかは疑問に感じるが、巨人が作ったから標準サイズだったのだと言うのだ。
この話を聞いた時は半信半疑だったが、タルタリア帝国の話と絡めて考えると、かなり現実味が出てくる。いやそうでないと巨石文化の謎は解けることはないのではないかと思う。
「江戸時代はない」
タルタリア帝国は「マッド・フラッド」と呼ばれる泥の洪水により滅亡したと言われているが、私達の住む日本においてもマッド・フラッドが過去に発生したと言われてる。マッド・フラッドが発生したと思われるのは1816年で、それは11代将軍の徳川家斉が統治した江戸時代だった。
江戸時代といえば時代劇などで当時の様子を表現しているので、どのような街並みだったか容易に想像出来る。
日本人の心とも言える純和風の街並み、侍や商人、着物や城下町と言うのが多くの者の印象だと思われるが、この風景が日本全国に広がっていたと言うのは、ただの思い込みで実際は全く違った風景だったと言う。
1669年に発行されたオランダの宣教師モンタヌスの「東インド会社遺日使節紀行」いわいる「日本誌」によると、京都の三十三間堂はタルタリア様式だったそうだ。
今でこそ日本も国際的になり世界の人々が訪れるようになったが、当時の日本は極東の島国に過ぎず、謎の儀式を行う異質な雰囲気をもつ誰も来ない島国だった。
日本の仏像は基本的に無表情で神々しい雰囲気をかもしだしているが、記録に残された絵を見てみると仏像はにこやかにほほ笑み、建物の様式、周りの彫刻、人々の服装も時代劇で見るものとは大分違う。
またこれとは別に宣教師のモンタヌスは「日本の神はカンノン」とこの「カンノン」とは観音様のことだと思われるが私達のイメージとは大分違うとしか言いようがない。
これをただの美的感覚と言い切ることには無理があり、まるでインドのナーガかラミアにしか見えない。
さらにケンペルの「廻国奇観」の中にある「江戸、そこにある世界」と言う絵を見ても江戸にある仏像だとされる風景は、建物にはタルタリア様式の石柱とアーチが多数あり、人々の服装もいわいる和装ではなく、日本人から見ると明らかに外国の風景だと感じるだろう。
もう1つ紹介すると、アンベールの「幕末日本図絵」に出てくる
「将軍家の寺」では、建物はどう見てもギリシャ・ローマ様式の巨大神殿なのである。
「将軍家の寺」と言うのは、東京の芝にある増上寺のことだと思われるが、絵のタッチを見ても技術力は高かったと思われるので、絵のような風景が広がっていたのは間違いないはずだ。
絵に描かれた人々と建物を比較すると、建物がいかに巨大であるか分かる。
当時の日本北海道はタルタリアの領土であり、それ以外もタルタリアの友好国で、タルタリア文明の影響を色濃く受けた。
現代の日本が現代文明の様式のビルが立ち並び洋服を着た人々が歩き回る中に和服を着た人がぽつりぽつりと散見されるように、タルタリア風の衣服を着た人々が歩き回る中に和風の神社や和服を着た人が散見されるという状況だった。それが、これらの絵から読み取ることが出来るのだが、では私達がよく知る江戸時代とは何だったのかと考えると混乱してしまう。
「タルタリア文明と日本」
さて、私達の過去の日本に対するイメージが間違ってるということは分かってもらえたと思うが、次は19世紀以前に発展していた日本の都市についてお話する。
1884年から内務省によってまとめられた「日本全国の人口表」などの人口統計によると、それぞれの都市の上位10位までの都道府県は次のようになる。
明治17年に日本で最も人口が多かったのは大阪で続いて新潟、愛媛、兵庫となり東京は7位だったのだ。
翌年明治18年から明治25年までの人口トップは新潟で、大正時代に入って初めて東京が1位になり、大正7年以降は1位をキープすることになった。
ちなみに江戸時代には、江戸のある現在の東京の人口は全国で15位から20位の間であり、幕府のあった江戸は日本の中心都市ではなかった。大正時代に至るまで日本の上位を占めてたのは新潟、大阪、兵庫などの各府県は、当時はどんな街並みだったのか?
現在の市内は、すでに多くのタルタリア様式の建築物は失われているが、マッド・フラッド前の街並みを偲ばせ、おそらく当時は日本海を通してタルタリアと交易を盛んに行っており、ほぼ完全なタルタリア様式の街並みだったのではないかと思われる。
そもそも新潟が日本最大の都市だったと言うのも信じられないくらいであるが。
新潟市は、日本の玄関口としてタルタリアと交流し発展のため、長い間日本国内最大の人口を誇る町だった、このほかにも昭和12年大阪、中之島、大阪新世界の通天閣、日比谷の凱旋門などもタルタリア帝国の影響を受けた建造物の1つだと言える。
凱旋門などは、タルタリア時代の巨大U型磁石で、前回も話したフリーエネルギー装置の1つと言える。
この巨大U字型門は現代の商店街の入口のアーチのように、大規模商店街の入口に必ず設置されており、私達は何も疑問を持たず当たり前のように見ているが、商店街全体に電力を供給し町の人達の気の流れを整えていたと言われてる。
「日本の歴史が消えた真相」
私達の知る日本の歴史が間違いで、真実の歴史が存在するとはいったいどういうことだろうか。
タルタリア帝国は、1816年に核兵器による攻撃が原因で滅亡したと言われてる。
タルタリアに攻撃をした首某国はのちに権力を持った国を見ると分かるはずだが、日本はタルタリアと交易はあったものの攻撃目標とはされなかった、しかしタルタリア帝国が核攻撃を受けたあと、世界は厳しい冬に襲われることになった。
この影響を受けたのは日本も例外ではなかったがロシアやアメリカに比べれば緩かった低高度地帯が2~3メートルの土砂に覆われ数年間不作に見舞われたくらいで済んだ。
天保の大飢餓は1833年であり、1810年代にはこれといった飢餓の記録が無いことから、他の地域に比べればはるかに軽く済んだと思われるが、最もマッド・フラッドの影響を受けたのは関東平野だ。
関東平野は全域が「関東ローム層」と呼ばれる2~3メートルの全土の層で覆われているものをさし、これは1万年前の富士山の噴火の際の火山灰だと言われている。
しかし、1万年前の際の火山灰だともっと地中深くにあるはずで、関東ローム層は表層にあるのだ、これが証拠だ。
つまりこれは、1万年の富士山大噴火の際の火山灰ではなく、200年前のマッド・フラッドで蓄積した泥なのだ。
マッド・フラッド前の関東平野は東京湾が大きく内陸にえぐれこんでおり現在の埼玉東部や群馬県南部地帯は海であり。
マッド・フラッドが襲来し、えぐりこんだ海が埋まり、陸地に蓄積した泥で海を埋め立て現在の関東平野が完成した。
「タルタリア文化が消えた理由」
日本がタルタリア文明の影響を大きく受けていた言うのであれば、いまもなおその影響が沢山見られても良いはずだが、日本に残されたタルタリア文化はある出来事で消え去ることになった。
その出来事とは、幕末から明治時代にかけて日本を襲った「謎の地震や火災」で調べたら分かるのだが、1847年から1858年にかけての約11年間でマグニチュード7以上の地震が9回も発生してるのだ。特にペリーが浦賀に来航しえど幕府に開国を迫った1853年以降さらに地震が集中し1854年12月23日に起きた、安政東海地震の32時間後には、もう一度同じ位の地震が発生している、さらにその1年後1855年11月11日には、首都直下地震と類似する安政江戸地震が起き、そのまた1年後には東日本大地震に匹敵する安政八戸地震が発生している。
これらの地震では、あわせても10万人以上の日本人が死亡したてものの被害も甚大であり。
これにより日本各地にあるタルタリア様式の巨大建造物は姿を消すことになる、
さらに追い打ちを駆けるように19世紀終わりには、日本各地で大火が頻発し、25年足らずで5万戸が消滅した記録が残ってる。
大地震と大火が19世紀末に集中し過ぎてるのは、明らかに不自然であり、大火は中小規模のタルタリア様式の建造物が残されていた地域で発生し、日本橋に至っては、実に4回の大火に見舞われ、タルタリアの交易の玄関口の新潟も同様である。
「真実は目の前にある」
最後は明治政府の「廃仏毀釈政策」のことを話し、諸君の疑いを確信に変えようと思う。
明治政府は、神道を国境に定め神社を保護して、仏教寺院を破壊する政策をとった。
「仏教寺院の破壊」と聞くとお寺をイメージするが、実はこれは仏教寺院と言っているが、タルタリア様式の大聖堂だったのだ。
廃仏毀釈を免れ、いまに残るのが築地本願寺で、私達がよく知るお寺とはどう見ても違うはずだ。
現在神社は全国に8万8千社あり、日本国内のコンビニが2万5千店なので、それと比較すると神社の数が異常に多いのが変ではないか?どう考えても人口の数に対する神社の数が合わない。
さらに神社を解体を行った際地下から石造の建築物が出てくることがしられてるが、つまり廃仏毀釈のもとに、明治政府は全国のタルタリア様式のフリーエネルギー発電所を解体し、その上に木造の神社やお城を建てていったからなのだ。
タルタリア帝国は多民族の国家であり、日本はタルタリアの友好国で、タルタリア文明とアジア文明が混在した国だった。
タルタリアと交易してる日本海側は発展を遂げることになった。
私自身もタルタリア帝国などと言う言葉(写真は見てた)すら聞いたこともなかった。
100%正しいかと言われると分らないが、非常に面白い話である事には間違いない。