『ロシアの中の抗議、沈黙の意味を翻訳する 歴史が示す「今の危険度」

聞き手・高重治香 朝日新聞5月29日

 ウクライナ侵攻のさなか、ロシアの中にいる人たちは何を考えているのか。言論弾圧下のその声は聞こえにくい。言論の自由はいかに失われてきたのか。侵攻が終結した時、残った憎しみを超えるため言葉に何ができるのか。侵攻開始後に中の人たちが語る言葉を翻訳してきたロシア文学翻訳者・研究者の奈倉有里さんに聞いた。

 ――ウクライナ侵攻の開始をどんな思いで見ましたか。

 「ロシアの友人たちの顔が思い浮かびました。ウクライナに何のつながりもない人はまれで、両方に出自を持つ友人も、ウクライナに家族がいる友人もいます。私も身を引き裂かれる思いでした。友人や作品を翻訳してきた作家に連絡を取ると、侵攻に賛成している人は誰一人いませんでした」

 ――侵攻直後から4月まで、ロシアの知識人や友人たちの、戦争に抗議し嘆く言葉を立て続けに翻訳し、投稿サイト「note」や雑誌で紹介していました。

 「『これまで何をしても政府を止められなかったんだから、今さら止められないのはわかってる。でもだからといって“自分がやったんじゃない”なんて言えない。僕たちがやったんだ』といった友人たちの無念の言葉、『長い時間をかけて真綿で首を絞めるように言論の自由が弾圧され、人権が無視され(中略)その果ての戦争なのだ』(父がロシア人・母がウクライナ人である作家のミハイル・シーシキン)といった知識人たちの言葉を、緊急に翻訳しました」

支持率の高さ 「沈黙と恐怖の増大を示す」

 ――政府系の世論調査機関だけでなく独立系のレバダセンターによる調査でも、80%前後がプーチン支持の結果ですが。

 「支持率の増大は、沈黙と恐怖の増大を示すものだと思います。政府に賛同していないことが少しでも周囲に知れるだけで、警察から拘束され、職を追われ、その他ありとあらゆる危険が考えられる。そういう状況では、匿名でも本心は答えない人や、回答しない人もいるのではないでしょうか。

 自由な統計調査ができない状況は、2017年以降急激に進みました。レバダは16年、与党の支持率が大幅に落ちたという統計を発表した直後、政府から、『スパイ』のレッテルである『外国エージェント』と認定されました。それが脅しとして働いたのか、その後の調査では誘導尋問のような質問が行われたこともあります。数字をそのまま信用できるか疑問です」

 ――なぜロシアの中の抗議の声を伝えるのですか。

 「日本の報道からは、抗議している人の姿が見えないと感じたからです。ロシア=悪と、国という属性で中にいる人のことを決めつけるようになると怖い。一番問題なのは、意図せず、日本人の抱くロシア像がロシア政府の望む『私たちは国民に支持されている』という姿に近づいてしまっていることです。無理解な状態に暴力性や攻撃性が加わると、ロシア語やロシア文化など『ロシア』的なものをひとくくりにした上での攻撃が生まれてしまうのも危険です。世界にそうした状況があると、国外に逃げてそこで仕事を得て生活することはできない、というロシアの一般国民の絶望につながります」

言葉を無効化する「スパイ」認定

 ――発言を翻訳した人たちは今どういう状況にあるのですか。

 「一般の人たちは、職を失ったり、徴兵の恐怖におびえたり、ウクライナの祖父母の身を案じて泣いたり、自殺の際に直面したりしています。名のある人は、3月末から4月にみな国外に出てしまいました。政治学者のエカテリーナ・シュリマンは4月に研究滞在という形でドイツに出て、作家のドミトリー・ブィコフは大学での講義のため滞在中のアメリカからの帰国を当面断念したとみられる発言をしています」

 「シュリマンは出国直後に『外国エージェント』に認定されました。外国エージェント制度は12年にできたもので、表向きは『外国からの資金援助を受けている団体』を認定する制度ですが、もはや政府の独断によるレッテルです。判断の根拠も定かではありません。報道機関や市民団体などの団体だけでなく、学者や作家やユーチューバーなど目立つ発信をしている個人も認定されるようになりました」

 ――認定されるとどうなるのでしょうか。

 「即座に逮捕されるわけではないですが、これまでも反体制派ジャーナリストが殺害される事件などがあったので、かなり具体性を帯びた恐怖があります。認定は政府が『裏切り者』とみなしたことを意味するので、世論はあおられて、認定された人の家の玄関に豚の首が置かれるなど、身の危険を感じるようなことが起きています」

 ――政府は国外に逃げるのは止めないのですか。

 「ほらやっぱりスパイだったじゃないか、と彼らの言葉を無効化できるので政府にとっては都合がいいのです。国外からユーチューブなどで発信して、国内外の人に声を届けることはできます。国内でその言葉を必死に聞く人もいますが、安全なところからものを言っていて私たちと苦しみを共にしていない、と考える人もいます。いかに弾圧が厳しくなろうとも最後まで残ると思われていた、人権を守る団体や教育関係者たちさえ、命からがらという感じで逃げざるを得なくなっています」

 「国内にとどまる人もいないわけではありません。ロックグループのDDT(デーデーテー)は、逮捕される危険があっても最後までロシアで活動を続ける、という覚悟を語っています。ただ4月には、コンサート会場に勝手に大きな(ロシアのためにを意味する)『Z』のマークが書かれていて、コンサートを中止する事態も起きています」

スターリン時代ですら、こうではなかった

 ――友達同士なら本音を明かしあえるのでしょうか。

 「私はロシアの友達とメールやSNSで連絡は取れますが、できるだけ誰かに見られてもかまわない表現で会話をし、相手はすぐ消しています。警察が街頭で携帯電話をチェックしており、実際に何がチェックされるかより、それ自体が恐怖として働いています。最近まで、独立系の放送局もありましたし、日常の会話やインターネット上の言論まで規制できるはずがないと、希望を見いだしていました。今になって、限られた幾つかの情報源に押し込められていて、そこをつぶされてしまえば一網打尽だったことを思い知らされています」

 ――ロシアの人たちは社会思想の移り変わりや言論弾圧をこれまでも経験しています。物を言うための知恵を持っているのでは。

 「政府が『戦争』という言葉や批判を禁止すると、歴史を語る人が急増しました。現在と共通点のある出来事を語ることで意思疎通しようとする行為です。しかし状況がさらに悪化した今は、歴史を知っているからこそ今がいかに危険かを感じ取れてしまい、侵攻に反対する人の多くが沈黙か出国かの二択を迫られています。アメリカに滞在している作家のドミトリー・ブィコフは、スターリンの時代ですら『戦争』という言葉そのものが禁じられることはなかった、と言っています。それもそのはずで、ロシアの歴史上、今ほど馬鹿げたことはやっていないわけです。たとえば第2次世界大戦は、攻められたから守るという一応の大義名分がありました。今政府は人々を説得できる理由を何も持たないので、暴力的に黙らせる以外にない。やっていることの悪さに比例して国内の弾圧がひどくなっています」

 ――弾圧の中でも意見を表明しようとする人がいないわけではありません。その行為にはどのような意味があるでしょうか。

 「街で白い紙を掲げたり、トルストイの『戦争と平和』を持って立ったりしただけで拘束された人たちがいました。彼らはそんなことで侵攻が止まると思っているわけではない。身を危険にさらしてまで訴えているのは、社会の異常さと恐ろしさです。私たちは、『そういう社会にしてはいけない』という彼らの訴えを受け取らなくてはいけません」

「戦争反対と訴えるのは簡単」か

 「日本では、『戦争反対を訴えるのは簡単だけれどそれだけでは何も変えられない』と言われますが、本当は『訴えるのは簡単』ではありません。現に『反対』と言っただけで大変なことになる場所がある。プーチンが大統領になった2000年代以降のロシアの動きは、戦争をしようとする国家が戦争の前に何をするのかのお手本の山です。権力者の親しみやすさのアピール、我が国は侵略戦争をしたことがないという歴史観の教育、軍隊の賛美……。その一つが平和・人権運動に対する冷笑的な世論作りであったことから学んだ方がいい。日本は、戦争に反対することへの冷笑や批判が危険なレベルに高まっていると思います。笑っている人は、政府が強権国家を作るのに非常に都合がよい状態を生みだし、笑っている自分自身の首を絞めていることに気づいていません」

 ――ここまで物が言えなくなる過程に、何があったのですか。

 「留学で初めてロシアを訪れた02年ごろは、ソ連崩壊の混乱の雰囲気がまだ少し残っていました。その分自由で、教育や民主主義についてたくさん議論しました。ところがチェチェン紛争に関わるテロの頻発、警察組織の強化や中央集権化によりどんどん息苦しくなりました。報道機関や文化施設の上層部は政府に都合のいい人材に入れ替えられました。文芸誌の編集部もモスクワ中心部から移転させられました」

 「ロシア正教会と政府の距離が近くなると、『宗教心の侮辱の禁止』をはじめ言論弾圧にまつわる奇怪な法律が次々とできていきました。通っていた国立ゴーリキー文学大学は四六時中思想や信仰の話をしている所なので、仲のいい友達とは、また変な法律ができたね、どうしたらいいんだ、という話はよくしていました。ただそういう大学でさえ、授業で先生が、詩の中の聖職者の描写を当時の社会の退廃と結びつけただけで、それを『宗教心の侮辱』と受け止めて教室を出て行く学生がいました。国定教科書の検閲が厳しくなり、国の利益や軍の賛美という視点が重視されるようになりました。文学史の教授が『ロシア語の方がウクライナ語より優れている』と話すこともありました。規制が生活のさまざまな面に及び、身動きが取れなくなっていきました」

作家が持つ影響力

 ――ロシアにおいて文学者とはどのような存在ですか。

 「トルストイが『ロシアには皇帝が2人いる』と言われるほどの発言力を持った時代と比べると影響力は弱まったものの、何かあった時にはまず作家が何か言わなくてはいけない、という社会の暗黙の了解があります。侵攻に賛成している著名な作家はほぼいませんが、ザハール・プリレーピンなど賛成する一部の作家や映画監督は、政府から非常に重宝されて国営テレビなどで発言しています。そのように『侵攻は作家や芸術家に後押しされている』というイメージが盛んに打ち出されていることを見ても、影響力が意識されていることがわかります。もし政府に近い作家が今の政府の主張を投影した文学作品を書いたところで、盛大なうそかカリカチュアか不条理文学にしか見えないでしょうが」

 ――プーチン大統領は、侵攻を「住民を守るため」とするなど実態とかけ離れた言葉を使います。

 「言葉を文脈からはぎ取る暴力的な行為は、戦争という壮大な欺瞞(ぎまん)の前後にはとりわけ多いものです。プーチンは愛読書の一つとして詩人のセルゲイ・エセーニンを挙げています。エセーニンが『ルーシ』(現在のロシアやウクライナなどにまたがる地域)を賛美したのを、両国は一体だという都合のいい記号として解釈しているのではないでしょうか。エセーニンが、非戦の姿勢や脱走兵を賛美したことには触れられません。現代のロシアの国定教科書では、このように詩人を文脈からはぎ取り、すべての詩人が愛国者であったかのような記述がなされています」

 「文学を読むことで、言葉の文脈を無視する行為に対して非常に敏感になれます。権力者やメディアが言葉を文脈から剝奪(はくだつ)して用いているとき、文脈を読むことに慣れていれば、その不自然さに気づくことができるようになります」

 ――侵攻が終結した後も残るであろう憎しみを超えるために、言葉ができることはありますか。

 「言葉によってしか超えられないものはたくさんあります。たとえば第2次大戦後何年も経ってから、ドイツ政府が謝罪の言葉を発したことには大きな意味がありました。政治レベルで、加害側の政府が謝罪の言葉を発するのが重要なのは当然です。しかしもっと重要なのは、一般の市民レベルの関係も、言葉を交わすことからしか始まらないということです」

踏み絵にされた言葉

 ――語り合うために使う互いの言語に対してさえ、憎しみが生まれているのではないでしょうか。

 「ウクライナ語でパンを表す『パリャヌィツャ』という言葉があります。ロシア語話者はこの言葉を発音しづらいため、ウクライナでは現在、この言葉を言わせて『ロシアのスパイ』をあぶり出す行為が呼びかけられているそうです。パンは平和やだんらんの象徴であると同時に、スラブ語圏ではもてなしの象徴でもあります。その言葉が踏み絵に用いられている。ウクライナ人の中に相当な数のロシア語話者がいることを考えても、言語道断です。関東大震災の時に、『15円50銭』と言わせて日本人と朝鮮人を識別していた例にも通じることが起きている。言葉を、人を敵か味方に分類するための道具として用いてしまう悲しい例です」

 ――ウクライナの人には、それだけの憎しみを抱く理由があるのではないでしょうか。

 「そうだとしてもロシア語話者全員が悪いということはないわけです。どんな言葉が武力と対立につながり、どんな言葉が平和と和解につながるのかを、片時も忘れずに考え続けることが必要だと思います。人を『分類する』ことには暴力性が伴うことを、『何々人は本質的にこうである』といった言葉は、その内容がたとえ肯定的なものであったとしても、人を国籍や人種によってひとまとめにしてしまう言葉であることを、忘れないことです」

ロシア語を学ぶ意味

 ――大学でロシア語を教えています。どんな話をしていますか。

 「今年も例年と同じく、バレエや音楽が好きという理由でロシア語を選択している学生がいます。その気持ちを大切にして欲しいと話しています。そうした文化はこの先、人々が和解するためにとても重要なものです。私も、侵攻があっても、自分が好きだった文学や人からは、何も裏切られていないと感じています」

 「『ロシアと聞いて爆弾しか思い浮かばなくなりそうだから学びたい』という学生がいて頼もしく思いました。国家同士が友好関係にない時、とりわけ言語は重要です。無理解はさらなる憎悪と暴力につながるからです。他言語を学びその言語を使って生きる人々を深く知っていくことは、それぞれが無理解と憎悪を絶つ術を学ぶことにつながります」(聞き手・高重治香)

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 なぐら・ゆり 1982年生まれ。ロシア国立ゴーリキー文学大学卒。博士(文学)。ロシア詩、現代ロシア文学を研究。著書に「夕暮れに夜明けの歌を」「アレクサンドル・ブローク 詩学と生涯」。訳書にミハイル・シーシキン「手紙」、サーシャ・フィリペンコ「理不尽ゲーム」ほか。