来年のベックのライブに行くので、最近はもっぱらベックをよく聴いている。
よく聴いているといっても、普段僕が音楽を聴く時間は眠る前の一時間程度なので、音楽漬けという生活には程遠い。本当はもっと音楽のために時間を割きたいのだが、読書もしたり、小説を書いたり、ギターを弾いたりという時間もほしい。それに狭い狭い実家に住んでいるので、家族団欒の時間というものもないがしろにはできないと、歳を重ねるごとにしみじみ感じたりもするので、どうしてもこんな感じになってしまう。
なので、その限られた時間に何を聴くか。これは非常に由々しき問題である(雰囲気で「由々しき」という言葉を使ってしまったが、意味がまったくわからない。これも由々しき問題だ)。
最近は、チケットも手に入ったのでベック熱が高い。よって、ベックの音楽をよく聴く。
それはいいのだが、ふと気付けば、一番好きなアーティストであるホワイト・ストライプスの音楽を、もう長らく聴いていない。
実は、ニック・ドレイクやボブ・ディランなんかも満足に聴けていない。もっと時間に余裕があれば、「今日はザ・サウンズでも聴こうかな」とか、「よし、今日はレッチリをシャッフルして聴いちゃおう」なんてことも可能だが、一日たった一時間ほどの時間しかなければ、やっぱりその時に一番熱中しているアーティストや、最近買ったばかりのCDを選んでしまう。だから、聴きたい聴きたいと思っていながら、全然聴けていない音楽がたくさんある。休日など、少し多めに時間が取れるときに少しずつ消化しているが、新しいCDを買うスピードには到底追いつかない。
今思えば、音楽を聴くのってもっぱら通勤や通学の時だったなぁってつくづく思う。僕も学生の頃は、片道一時間弱の高校に通っていた。アルバム一枚くらいのこの時間が音楽を聴く上でとても大切だったなぁ。前の仕事では通勤に二時間近くかかっていたが、音楽を聴ける大切な時間だから苦になんてならなかった。しかし、今の職場はチャリンコで十分ほど。音楽を聴くには近すぎる。
社会人になってからは、家でコンポの前に胡坐を書いて音楽を聴くなんてこともなくなった。そもそも学生の頃は、持っているアルバムは全曲口ずさめたし、イントロからアウトロまで曲の構成も完全に把握できていた。しかし、今じゃ、まったくからっきしダメ。大好きなホワイト・ストライプスの曲ですら「あれ、ここ、こんなだっけか?」なんて、何度も聴いていたはずなのに、ギターソロのあとまたサビに戻ることに驚いたりしてしまう。
当たり前だが、音楽には時間という長さがある。もっと当たり前だが、70分のアルバムを聴くのには、どうしたって70分かかってしまうのだ。そして、もっともっと当たり前だが、人生には限りがある。どうしたって世界中の音楽を全て聴くわけにはいかない(そんなことをしたいわけではないが)。大好きなアルバムに出会ったら、一生を通して、そのアルバムを何度も何度も聴き続けるわけだから、それだけの時間、人生を拘束される。
ニック・ホーンビィの小説に音楽オタクの青年たちを扱ったものがある。その小説の中に、音楽オタクの一人が主人公(こちらもオタク)に飲みに誘われ、「聴かなきゃいけないテープがあるんだ」と悲しそうに断る場面がある。音楽に憑かれた男の悲しくも可笑しい性である。
音楽をたくさん聴くことに意味があるとは思わない。たくさん聴きたいという欲求はあるだろうが、それも、自分の手に負える範囲での話だ。一度だけ聴いて後は二度と聴かずに忘れていく、そんな音楽を果たして聴いたと言えるだろうか。この世の中に、聴かなきゃいけない音楽なんてない。聴きたい音楽があるだけだ。
しかし、聴きたい音楽さえ聴けないという日常には、やっぱり「なんだかなぁ」と思ってしまう。やっぱり僕も、もっとたくさんの音楽を聴きたいし、その音楽が気に入ったなら、その全てを口ずさめるくらいに聴き込みたい。
音楽を愛するには、人生は短すぎるなぁと感じなくもない今日この頃です。
ってか、最近なんだか長々(ダラダラ)と書くことが増えてきたなぁ…気をつけねば(反省)。
マルーン・5の『グッナイ・グッナイ』のMVを昨日ダウンロードしたが、これ、めちゃめちゃいい。この曲、私も大好きだぞ~っていう方でまだ観ていない方がいらっしゃたら、是非観てみてくださいな。
ってか、ってか、僕のiTunes store USの残金がもう何も買えないくらいに減ったのを見計らっていたかのように、『モダン・ギルト』のビデオが発売されてるじゃんか(涙)。
ふふふ、甘いな。今日は給料日なのだ。20$分追加して買っちゃおう(何だか知らないけれど、iTunes card US版が特価だし、嬉)。
でも本当、これからは無駄遣いは程々にしよう…。
よく聴いているといっても、普段僕が音楽を聴く時間は眠る前の一時間程度なので、音楽漬けという生活には程遠い。本当はもっと音楽のために時間を割きたいのだが、読書もしたり、小説を書いたり、ギターを弾いたりという時間もほしい。それに狭い狭い実家に住んでいるので、家族団欒の時間というものもないがしろにはできないと、歳を重ねるごとにしみじみ感じたりもするので、どうしてもこんな感じになってしまう。
なので、その限られた時間に何を聴くか。これは非常に由々しき問題である(雰囲気で「由々しき」という言葉を使ってしまったが、意味がまったくわからない。これも由々しき問題だ)。
最近は、チケットも手に入ったのでベック熱が高い。よって、ベックの音楽をよく聴く。
それはいいのだが、ふと気付けば、一番好きなアーティストであるホワイト・ストライプスの音楽を、もう長らく聴いていない。
実は、ニック・ドレイクやボブ・ディランなんかも満足に聴けていない。もっと時間に余裕があれば、「今日はザ・サウンズでも聴こうかな」とか、「よし、今日はレッチリをシャッフルして聴いちゃおう」なんてことも可能だが、一日たった一時間ほどの時間しかなければ、やっぱりその時に一番熱中しているアーティストや、最近買ったばかりのCDを選んでしまう。だから、聴きたい聴きたいと思っていながら、全然聴けていない音楽がたくさんある。休日など、少し多めに時間が取れるときに少しずつ消化しているが、新しいCDを買うスピードには到底追いつかない。
今思えば、音楽を聴くのってもっぱら通勤や通学の時だったなぁってつくづく思う。僕も学生の頃は、片道一時間弱の高校に通っていた。アルバム一枚くらいのこの時間が音楽を聴く上でとても大切だったなぁ。前の仕事では通勤に二時間近くかかっていたが、音楽を聴ける大切な時間だから苦になんてならなかった。しかし、今の職場はチャリンコで十分ほど。音楽を聴くには近すぎる。
社会人になってからは、家でコンポの前に胡坐を書いて音楽を聴くなんてこともなくなった。そもそも学生の頃は、持っているアルバムは全曲口ずさめたし、イントロからアウトロまで曲の構成も完全に把握できていた。しかし、今じゃ、まったくからっきしダメ。大好きなホワイト・ストライプスの曲ですら「あれ、ここ、こんなだっけか?」なんて、何度も聴いていたはずなのに、ギターソロのあとまたサビに戻ることに驚いたりしてしまう。
当たり前だが、音楽には時間という長さがある。もっと当たり前だが、70分のアルバムを聴くのには、どうしたって70分かかってしまうのだ。そして、もっともっと当たり前だが、人生には限りがある。どうしたって世界中の音楽を全て聴くわけにはいかない(そんなことをしたいわけではないが)。大好きなアルバムに出会ったら、一生を通して、そのアルバムを何度も何度も聴き続けるわけだから、それだけの時間、人生を拘束される。
ニック・ホーンビィの小説に音楽オタクの青年たちを扱ったものがある。その小説の中に、音楽オタクの一人が主人公(こちらもオタク)に飲みに誘われ、「聴かなきゃいけないテープがあるんだ」と悲しそうに断る場面がある。音楽に憑かれた男の悲しくも可笑しい性である。
音楽をたくさん聴くことに意味があるとは思わない。たくさん聴きたいという欲求はあるだろうが、それも、自分の手に負える範囲での話だ。一度だけ聴いて後は二度と聴かずに忘れていく、そんな音楽を果たして聴いたと言えるだろうか。この世の中に、聴かなきゃいけない音楽なんてない。聴きたい音楽があるだけだ。
しかし、聴きたい音楽さえ聴けないという日常には、やっぱり「なんだかなぁ」と思ってしまう。やっぱり僕も、もっとたくさんの音楽を聴きたいし、その音楽が気に入ったなら、その全てを口ずさめるくらいに聴き込みたい。
音楽を愛するには、人生は短すぎるなぁと感じなくもない今日この頃です。
ってか、最近なんだか長々(ダラダラ)と書くことが増えてきたなぁ…気をつけねば(反省)。
マルーン・5の『グッナイ・グッナイ』のMVを昨日ダウンロードしたが、これ、めちゃめちゃいい。この曲、私も大好きだぞ~っていう方でまだ観ていない方がいらっしゃたら、是非観てみてくださいな。
ってか、ってか、僕のiTunes store USの残金がもう何も買えないくらいに減ったのを見計らっていたかのように、『モダン・ギルト』のビデオが発売されてるじゃんか(涙)。
ふふふ、甘いな。今日は給料日なのだ。20$分追加して買っちゃおう(何だか知らないけれど、iTunes card US版が特価だし、嬉)。
でも本当、これからは無駄遣いは程々にしよう…。