「サーシャ!その体はもしかして…」
「そうこれは君が出会ったアンリーのものだ。私が君に姿を見せるために借りている。私はもう君が知るかつての姿ではないからね。なぜなら一度バラバラに砕けて死んでしまった。しかしこの星もまた死にかけていて、新たなリーダーを探していたんだ」
「バラバラ…じゃあ、あなたはあの流れ星さん?」
「そう。その記憶が私の一部を占めていて、私のすべてが完全にそうとは言えないが、その全部は私に含まれている」
「よくわからないけれど、あの嵐の時に死んでしまったの?」
「星としての体は死んでしまった。しかし、この星もまた死にかけていて、新たな変化を求めていた。だから、嵐をおこしてそれを待っていたんだ。あの時、私はその星と取引をした。つまり、この星として生きる代わりに、君を助けると」
「やっぱりそうだったのか。あの時流れ星さんに助けられたんだ」
にわかにサーシャの体が金色に輝いて言いました。
「言ったろう?僕が力の限り君を守ると」
「流れ星さん!」
「さぁ、君をこの星の外へ送り届けてあげよう。君がもう一度、君の探しているものを探しだせるように。だいぶ時間を費やしたと思うだろうが、重力の関係でこの星の時間はゆっくりなんだ」
「ありがとう!…でも、僕アンリーに教えなきゃ」
「彼にはその事実は受け入れられないよ。彼は…幻なのだから」
背を向けたまま王子は尋ねました。
「どういうこと?」
「君がアンリーに真実を伝えても、彼はそれを覚えてはいられないだろう…」
「そんな!…それでも、僕はアンリーに本当のことを伝えたい。だって彼はもう、僕にとっての大切なんだ!」
王子は走り出しました。そんな王子を止めるでもなく、急かすでもなく、いつの間にか風は静かにその体を休めていました。
「あっここにも、あそこにも描きかけが!」
アンリーが焦っています。王子と過ごしたここ数日の間、まともに絵を描いていなかったのです。大きな畑のキャンバスをまっさらにするために、汗を垂らしながら走り回っていました。懸命に均していると、視界に小さな足が入りました。
「アンリー」
王子でした。体中砂まみれで、滝のような汗を流し、肩で息をしています。アンリーはそのただならぬ姿に言葉を失いました。
「アンリー。僕は、あんたのことを大切だと思う。何故なら、今あんたに抱いている気持ちが、僕の星で喧嘩しちゃった一輪の花への気持ちに似ているから。何故大切だと思うのかわからない。でも、本当のことを伝えなきゃって、そう思うんだ。だから、一緒に丘へ行こう!」
そう言った王子に、半ば強引に手首をつかまれたアンリーはその場に鍬を落としていました。しかし、うつむいて何も言わず、王子に従いていきました。
丘の麓へ来たときです。王子は突然前のめりに倒れました。振り返るとアンリーはそこにいます。とても悲しそうな顔をしていました。王子は自分の手のひらの感触を不思議に思い、その手を見ました。倒れる直前、握りなおそうとしたアンリーの腕の感触がふつと消えてしまったからです。王子はもう一度アンリーに駆け寄り、手をとろうとしました。
「そんな…」
アンリーの体に触れることが出来ませんでした。アンリーは重く閉ざしていた口を開きました。
「知ってたんだ…」
「え?」
「言えなかった。いや、言わなかった。認めたくないから。
俺はただの幻だ。お前さんがつかんでいたのは、このブレスレットだ。お前さん、出会ってから今まで俺に触れたことあるか?ないだろう!俺から触れることはあっても、誰かから触れられるなんてことはない。この星に来た連中はそれを知った途端、怯えた目で俺を見てどこかへいっちまう。次の嵐が来たときにはそいつらの姿もかたちもない。
風の声だってそうだ。俺は孤独と恐怖の中で、すがるものがほしくて、それに寄り掛かってきた。大したことなんてしちゃいないんだ。いてもいなくても同じような存在なんだ。それに…」
それまでにない悲しい声でアンリーは言いました。王子の視界はみるみる滲んでその表情をとらえることができません。
「この星が変わったのだろう?新しい感情や光景が流れ込んで、本当の俺は薄れてなくなってしまいそうだ。小さな王子よ、早く行ってくれ!俺が俺でなくなってしまう前に!」
王子はボロボロと涙を流して泣きました。そうして丘の頂へ向かって振り返ることなく走りました。
「…思うままに生きていられるってのは、いいもんだよなぁ。つらぬきたいことや守りたいことがあると、そうもいかない。それに、死んじまったらそれまでだ。拾ったものは全部捨てなきゃならない。ちいさな王子、我が友よ、俺は決めたよ…決めた!」
独言るアンリーの顔は清々しさで溢れていました。
丘の頂上ではサーシャが待っていました。泣いてぐじゃぐじゃの顔の王子に気づきましたが、気づかないふりをしてたずねました。
「準備はいいかい?」
王子はぐっと悲しみを飲み込んで言いました。
「うん。僕、この星でのことを忘れない。アンリーのことも、サーシャのことも」
「ああ、いっそ君が星だったら!私達の欠片を君のなかに預けられたのに。そうすればずっと一緒だから。
いつか君にとってもっと大切な人が現れたとしても、忘れてしまっても、思い出してくれないか。私達もそうするよ」
「サーシャこれからどうなるの?」
「サーシャという名前はもとはあの星のものだ。彼に言わせるなら、『旅することは何もどこかへいって満足することだけじゃない。これからの大きな旅路を僕はこの星として全うすることにした。それが、今の僕にとっては生きるってことだと思う。王子も精一杯生き抜いてほしい。アンリーのような人たちのために』小さな王子、君とサーシャが現れてくれて本当に良かった。ありがとう」
「さようなら」
王子の体をやさしく風が包みました。その風はやわらかくて、あたたかで、もう怖くありませんでした。
空へ向かう途中で、王子はふと下を見ました。すると、山の麓と畑の間に十字架のように鍬が刺さっていました。畑には何も描かれておらず、まっさらで、アンリーの姿はどこにも見えませんでした。
人は本当に大切なことについて、進んで話をしようとしない。本当のことばかり話していると何もない自分に気づくから。目の前にあるやるべきことに、なんとなくしがみついて考えないようにすれば、自分を観ずに済むからだ。下手な絵にしがみついている私もきっと、そのひとりなのだろう。だけど、あなたの中にきっと一緒にいる王子なら、何か知っているかもしれない。今夜、眠る前にでも少し、話しかけてみてください。そして、この物語が何を描いたのか気づいていただけたらうれしいです。