嗚咽を伴った涙が止まらないほど、魂の底から感動した舞台

 

一度だけある。

 

演目の途中から込み上げてきて、終演後もしばらく泣き続け、

落ち着いてからも放心状態が続き、しばらくは席を立てなかった。

 

オペラじゃないんです。

能だったんです。お能。

 

もう15年くらい前かなあ。

国立能楽堂のチケットを人からもらって、能は興味はあったんだけど、

なかなか行く機会がなくて、その時が初見。

 

演目は「善知鳥」。

「うとう」と読むんだそうです。

 

善知鳥は鳥の名前。親子間の情が深いことで知られた鳥。

伝説では、親鳥が呼びかけると、幼鳥はそれに声をあげて答えるので、

この鳥を獲るときは親鳥の声を真似て、騙して子を獲るのだそうです。

 

子を盗られた親は、血の涙を流しながら、空を旋回するので、

猟師はそれを避けるため、蓑と傘が手放せないと。

 

その猟師は善知鳥を獲って暮らしていたけど、妻子を残し亡くなります。

修行者がこの男の亡霊と出会い、亡霊は己のいる所を語ります。

 

そこは地獄で、常に大きな鳥から責め苛まれる苦痛を味わっています。

 

親子の間を引き裂き、幼鳥を獲り続けた報いだろう。

しかし己はそうしないと生きていけなかった。

生きていくことで罰を受けるのなら、それもしかたないこと。

ただ、心残りは現世に残した妻子のこと。それを思うと、何より苦しい。

どうかどうか、この思いを妻子に伝えてほしい。

 

それにしても痛い、苦しい、つらい、つらい、助けて、助けて

 

救いのない話でした。

ではこの猟師は、他にどうやって生きていけば良かったのでしょうか。

 

考えてみれば、私たちは常に罪の意識を抱えながら生きています。

特に仕事をするにあたっては、他者につらく厳しくあたり、傷つけ

ときには騙すようなことをして、そしてそれを仕事だからと、

生きるためだからと、自らに言い聞かせています。

 

そして家に帰り、ふと、罪の意識が芽生え、それに怯え、

悩まされ、押しつぶされそうになります。

 

自責の雨は土砂降りで、いくら蓑や傘があっても避けきれない。

 

 

能楽堂の席で放心状態から解け、前方の席を見ると、

僕と同じように顔を真っ赤にして肩を振るわせた男性がいました。

メガネをかけていて、いかにも真面目なサラリーマンといった感じの

痩せた男性でした。

奥さんとお子さんでしょうか、隣で黙って彼の背中をさすっていました。

 

彼もシンクロしちゃったんでしょうね。

 

もうそれ以来、能は怖くて行っていません。

 

なんだ能のことか。オペラはどうした。

 

ええ、ええ、そうっすよね、オペラオペラ。

 

ええっと、日本とゆかりの深いオペラといえば、

 

出ました、ババンっ! 蝶々夫人。

 

いいオペラですよね。大好き、蝶々さん。

まあ蝶々さんについてはいつかじっくり書くとして、他には何かあるか。

 

イリス。

何だそれ

あるんですよ、そういうの。これも隠れた名作。

いや、最近は知名度も上がったから別に隠れちゃいないか。

 

あとは、、、ミカド?

うーん、よく聞くけどよくわかんない、ミカドは。

 

で、その次に思い当たるのが「カーリュー・リバー」です。

 

イギリスの作曲家、ブリテンの作品。

 

彼は来日経験があるんですね。その時能の「隅田川」を

観たらしい。

いたく感動したらしく、自らも能について深く学び、

そして作ったのがカーリューリバー。

 

舞台はイギリス国内に移していますが、ストーリーは

ほぼ、能の隅田川を踏襲しています。

 

ただ、かなり宗教色が強い作品で、オペラ劇場より

教会堂の中で演じられることなどが多いらしい。

 

いわゆる豪華絢爛雨霰なオペラではありません。

 

能の心を踏襲し、静かな感動を心の底から引き出そうとした

作品ですね。

音楽もやたら「調律されていない」小太鼓がバン、ババン、と

叩かれるなど、特異なもの。

きっと能の鼓の感じなのでしょう。しかし真似事ではなく、

別の形に昇華された表現なので、不思議と魂に応える音楽です。

 

「隅田川」は、子を失い狂女となった母が亡き子を求めて彷徨い、

ついには亡き子の塚を見つけ、その幻に出会う話。

 

オリジナルでは愛児の幻が「南無阿弥陀」とつぶやきますが、

カーリューリバーでは「アーメン」に変わっています。

 

能の魂をそのままイギリスの聴衆にも伝えるなら、

この方法は当を得ている。

 

ラストも隅田川よりは救いがある雰囲気になっています。

 

あ、英語です、このオペラ。

でも何言っているのか全然聞き取れないけど。

 

打ち震えるような感動は無いけど、

観終わった後で静かに涙が頬を伝わるような、そんな感じ。