お疲れ様です、4Cの高野です。
さあやちゃん、紹介ありがとう。
さあやちゃんの素直で真っ直ぐなところとか、最後までこだわりを持ってやり遂げる姿勢とか私の方こそ羨ましいなと思うことが多々あったよ。本当に4年間ありがとう🙇
次はけぶかわです。
我らが代表幹事です、ほんとにお疲れ様でした。正直結局仕事できるけぶに頼りっきりだった気がします。まじで感謝してます、リスペクトもしてます。
スピーカーの音量が大きすぎるとこだけ直してほしいな。
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なぜか私のボート部生活でのターニングポイントに興味津々な後輩がいたので、MGとしての転機について書きたいと思います。本当に色々なことを経験させてもらった4年間だったので、沢山ありますがご容赦ください。
①常駐MG転向(1年1月)
ボート部に入部してから初めて沢山悩んで大きな決断をした時でした。
2カ月の通いMG期間、2カ月の漕いでた期間を経て私はこれから何をしたいのか一生考えてた気がします。
この時は「日本一」にどう貢献できるかとか組織のこととか何も考えてなかったし、ただ自分が楽しいと思えることは何かなーくらいにしか考えてなかったと思います、まだまだ若いですね笑
結局最終的には新人担当をやりたくて、常駐になる決断をしました。かなり遅くに入部した私が同期とうまく話せなくて馴染めるか不安に思っていた時期に1-3の新人担当の先輩方が沢山声をかけてサポートしてくださったことが嬉しくて、先輩方とお話できるのが楽しみで連日ワクワクしながら戸田に向かっていた頃が忘れられず、自分も誰かのモチベーション的存在になりたいと思ったのが決め手でした。
勿論、自分自身が一番ワクワクして選んだ道ではあったけど、自分のためではなく「誰かのために」何かをしたいと思って行動したのはこれが初めてだった気がします。部に貢献したいという感情が芽生え始めたという意味で第1のターニングポイントでした。
②初めての新人担当(2年春)
そんなこんなで常駐として活動してる中で、想像の何倍も早く新人担当が巡ってきました笑
最初は補佐的な役割の予定がいつの間にか中心的な役割まで任せてもらえるようになって、正直めちゃくちゃ忙しかったです笑 けど、本当に楽しかった。
日々新人の成長を身近に感じる中で、新人の成長の手助けがしたいという思いがどんどん強まっていったのを覚えています。だからこそ、自分に何ができるか考えて相談しやすい存在になろうとか積極的にコミュニケーションを取ろうとか、基本受け身人間の私が珍しく自分からアクションを起こした滅多にない機会だったと思います。正直もっとできることあったなと思うばかりですが、私自身新しい1歩を踏み出すことができたという点で1番大きなターニングポイントでした。
組織に関して考え始めたのもこの頃だった気がします。一緒に新人担当を務めた椿さんが先輩後輩関係なく同じ新人担当として対等に見て下さったことが嬉しくて、部の一員としての自覚を多少なりとも持ち始めました。存在意義とかそういうことは殆ど考えない人間だけど、少しは部に良い影響をもたらす存在でありたいな、そのために身を粉にして動こうと決心した時でした。多分成田がよく私に言う部畜人間誕生のきっかけです笑
③幹部入り(2年秋)
これもまた想像の何倍も早く幹部入りが決まりました笑
最上級生に囲まれる中、かのんちゃんと2人で2年生ながら混ざってたのが懐かしいです。
正直幹部入りした当初は責任感とか全くなかったです笑、1個上の先輩方がなんとかしてくれるだろくらいの軽い気持ちでいました。実際代幹のことさんをはじめ、先輩方のおかげで私が考えることは少なかったと思います。
でもシーズンが進むに連れて、解決しなければならない課題が沢山出てきました。
幹部の一員として動くにはまだ未熟で経験値も少なくて、部全体のためになんとかしたいという気持ちと実際の技量の間の板挟みでずっと苦しかった覚えがあります。能力不足に絶望する日々の中で、自分なりに解決法を考えては迷宮入りしての無限ループを繰り返してました。今までの人生の中で初めて沢山の悔しさや自分への怒りが露わになった時期という意味で大きなターニングポイントでした。この時期以降は引退を間近に控える今でもなおずっと自分の不甲斐なさに押しつぶされそうになる感覚は消えなかったです。
でもこれは悪いことだけじゃなくて、学年が上がるにつれての責任の増加を正面から受け取れた証なのかなとも思っています。目を背けたいことにも向き合い続けるきっかけとなった2年生の幹部入りは本当に貴重な経験でした。
④学連(2年冬)
新人戦を境に新人担当という大きな役目が終了し、若干の燃え尽き感と幹部としての不安に少しずつ苦しさを覚え始めた時にモチベーションを高めてくれたのが学連の繋がりでした。
ポンドでビデオ撮ってるだけで毎朝知り合いに会えたり(M大学の後輩Sさんにこの時めっちゃあった気がする笑)ボートとは離れた場で会う機会が増えたり、HUBC以外のコミュニティに属していなかった私にとって色々な大学の人との交流は新鮮で本当に救われました。基本的に周りのポジティブなエネルギーに元気をもらって自分も頑張ろうと思うタイプなので、絶対普通の大学生じゃできないことを当たり前のようにこなす同期先輩後輩で溢れている学連の環境にすごく刺激を受けていました。
交友関係の広がりはもちろんですが、他大の組織運営だったり練習内容を知ることは自分にとっての大きな糧になったのも事実です。HUBCだけでは考えられない世界を知って本当に勉強になったし、私の視野を1番広げてくれた場でした。部内でうまくいかないことがあった時、解決の糸口を見つけるキッカケになることが本当に多くて学連の一員で本当に良かったなと思う日々を過ごしていました。素敵な出会いに感謝しかないターニングポイントでした。
⑤幹部入りpart2(3年秋)
MG長決めが最後のターニングポイントでした。正直前年の幹部入りを通して自分の不向きさを自分自身が強く実感してたので、話し合いを通してもなお拒否反応を示していました。最後まで駄々をこねてしまって本当にすみません…。部のためを考えた時にやらない選択を取ろうと考えていた私を最終的に変えてくれたのは同期や後輩からの意見でした。さちかさんしかいないという言葉を沢山聞いて後押ししてもらいました。正直前シーズンの時の苦しいこと辛いこと全部加味した上でラストイヤーの覚悟を決めた瞬間だったので、私にとってはかなり大きな決断でした。
この1年間を振り返って私がMG長としてやってきたことは本当に少なかったと思います。正直やっぱり向いてないなーと思うことばかりでした。副マネ長を務めてくれた朱宮を中心に仕事のできる沢山の同期後輩には本当に感謝しかないです。私の判断を通して苦しい思いをさせてしまったことも多々あったと思うし、距離を感じさせてしまった点もあるので、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でもやっぱり最初に常駐になる決断をしたときに抱いていた誰かのモチベーションになりたいという思いは最後まで強かったです。だからこそ、組織の中での立ち振る舞い方とか組織がどうすれば少しでも良くなるのか一番考え続けた1年でした。最後まで正解はわからなかったけど、もがき続けて苦しんだからこそ充実した1年間でした。リーダーシップのない私にとって本当に貴重な経験でした、MG長にしてくれてありがとう、みんな。
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私にはありえないくらいの長さになりました。
ここまで読んでお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、基本的に私は過去の記憶が風化されてしまうタイプの人間なので、深い話できなくてすみません。
私の自分史みたいになってしまいましたが、気長に読んでいただけたら嬉しいです。
後輩たちへ
私は私だけのボート部の人生を歩んだし、これまでの先輩方も十人十色で誰一人同じ人はいないはずです。
だから正直私から皆に伝えられることはないです笑
強いて言えば、あまり他の人のボート部人生を参考にしすぎないでねということです。他の人と全く同じ状況なんてないし、隣の芝はどうしても青く見えてしまうものです(私も沢山苦しみました)。だから小説くらいのテンションで読んでもらえたらいいのかなと思います。
それと、引退してからも誰かのモチベーションになりたいという気持ちは変わらないと思います。だから、もしふとした瞬間に高野に話したくなったら全然気楽に声かけてください、私でよければいくらでも飛んでいきます。
長くなりましたが、今まで本当にありがとうございました!
インカレ最終日まで「日本一」に向けてサポートし続けます!