第6回です。
どうにかこうにかこのブログをバズらせて、このブログ、ひいてはHUBCを、ついでに僕の名前も広めたいとひとり企んでいるのですが、コンテンツ作りというのはなかなか難しいもんですね。
〇通さんとか〇報堂さんとか、取り上げていただけないでしょうか。
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一橋大学端艇部では毎年1月ごろにその年の抱負を色紙に書いて食堂に飾る文化がある。
所信表明というか書初めというかなんというか。
毎年見かける言葉もあれば、見たことも聞いたこともないような四文字熟語も現れる。画伯による大作や迷作も生まれる。大喜利を始める奴もいれば、くそ真面目に書く奴ももちろんいる。個人的には、文字に覇気が微塵も感じられない作品が好き。
個性もIQもセンスも字の上手い下手もすべてが露見する、それが一橋大学ボート部における色紙文化なのだ。
ちなみに書くのは学生だけで、私は今年書いていない。何か書けばよかった。
昨年、私は小学校の国語で4番目くらいに教わるだろう一文字を色紙に書いた。
ラストシーズン、相手のことを想って艇庫生活を送ろう、クルーのことを想ってボートを漕ごう、とかなんとか考えていたのだろう。
それに関して、ここ一年くらい、とりわけ最近になって強く、思うことがある。
人間の方がよかったかも。
突然だが、
山口あかり作詞・小林亜星作曲の歌は誰もが聞いたことくらいはあるだろう。
知らなかったら調べてね。
この歌を雑に説明すると、
クマの子やモグラがいろいろあって「にんげんってごっつええなあ」と感じるわけだが、
この「にんげん」という表現がいい。
クマの子やモグラからしてみれば「人(ひと)」でもいいわけだ。
しかし、ひとではなく「にんげん」となっている。
「人」といえば、連想されるのは坂本だが、
最近Paraviに出現したと噂の坂本金八先生は、
「人という字は互いに支え合ってヒトとなる。」と説いている。
その一方で、
3rdシーズンに会えるのが待ち遠しい古美門研介先生は、
「人という字は人と人とがお互いに支え合ってできているわけではない。一人の人間が両足を踏ん張って大地に立っている姿の象形文字だ。人は一人で生まれ、一人で生き、一人で死んでいく。」と一蹴している。
ちなみに僕は古美門キッズだ。
あくまでも人は一人だ。一人ひとりだ。だから人と人が支え合っているわけではないと思う。
にんげんは、漢字で書くと人間。そう、人の間となる。
人と人との間にいるのが人間なのである。
関係性の中にいてこそ、人間だと思う。
関係性の中にいてこそ、人が人間らしくなるのだと思う。
いまCOVID-19が猛威を振るっている。
そして少しずつ、ニンゲンがヒトになりつつある。
感染が拡がらないよう、密はダメ、マスク着用、不要不急の外出は自粛、自粛、自粛。
僕もきちんと田舎で自粛している。友達と遊ぶこともなければ、外出するわけでもない。
ただ食っては寝て、寝ては食っての繰り返し。
関わりといえば、飯の時間に親父とお袋と話す程度。
唯一の楽しみと言えば、親父が買ってくる日本酒を嗜むことくらい。
一橋大学端艇部も艇庫を閉鎖して一カ月以上が過ぎた。
前例のない事態に困惑しているだろうし、悩むだろうし、萎えもするだろう。
特に4年生の想いは、僕の小さな頭では想像つかない。
そんな中でも、学生は各自トレーニングや勉強に励み、いろんな取り組みも講じている。
彼らに掛ける言葉を必死に探しているが、見つかりそうもない。
多分、クマの子とかモグラと一緒で、COVID-19も人間が羨ましかったのだろう。
―――いいな いいな にんげんっていいな
ただ嫉妬するのもいい加減にしてほしいところだ。
なにせ被害がデカすぎる。
変なところからヘイトを買わないよう学生スポーツにだけ触れるが、
大学4年生、高校3年生、中学3年生はとりわけ辛い思いをしているだろう。
彼、彼女らは今年がラストシーズン。誰よりも強い想いを抱いているのは間違いない。
なんとかならないものか。
インカレやインターハイなど大きな試合やレースだけでも開催されるのを願う。
―――ぼくも帰ろう お家へ帰ろう でんでんでんぐりがえって バイバイバイ
COVID-19こう口にするのはいつになるんだろうか。
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実家に1カ月ほどいます。石川県は安全圏かと思っていたら危険地帯でした。
いいところではありますが、観光に来るのは落ち着いてからにしていただきたいです。
それと、意外とファンの方がいると伺いました。ご感想やご意見、ご指導ご鞭撻のほどございましたら、「いいね」や「コメント」などいただけると幸いです。頑張れます。
肩書模索中 高崎善貴