今のところロンドン五輪のボートではM2-NZとLM2*GBが印象に残っている。
オリンピックの他にもサッカーW杯など4年のサイクルで開催されるスポーツの大会は数多くあるが、何故4年なのだろうか。
4年と聞いて最初に思い浮かぶ言葉は「大学生活」。
僕の大学生活は入学式の日に方向が定まった。ボート部への入部である。とんでもない方向に舵を切ってしまった。
そこからアスリートニートと称するに相応しい生活が始まり、途中で方針転換し、膨大な時間を戸田で過ごした、過ごしている、過ごしていくのだろう。
様々な困難にぶつかった、ぶつかっていく、ぶつかっていくのだろう。
様々な想いを味わった、味わっている、味わっていくのだろう。
喜怒哀楽、紆余曲折、悲喜交交、、、、、
時間の経過を横軸に、抱く想いを縦軸にとってグラフ化してみると、とんでもない曲線が目の前に現れる。想いの強弱という次元を加えて3次元にしようものなら、最早わけが分からない事態に陥る。
注意点はこのグラフの横軸は予め定められていて、「~していくのだろう」という部分はどんどんなくなっていくということ。
ただし、様々な感情や思考も大切なんだろうが、それは決して目的ではない。
結果。それが全て。
結局のところ、というあまり好きではない言葉を使うが、結果を出すためにはその瞬間その瞬間のベストを尽くすしかないのだろう。100%結果が出るなんてことは世の中にはあり得ないのだから、自分の望む結果が出る確率を少しでも上げていく作業をするしかない。それを言い換えた言葉が「ベストを尽くす」というものになるのではないかと最近では考えている。
しかし、それが簡単ではなかった。だから悩んだ、悩んでいる、悩んでいくのだろう、とも思う。瞬間最大風速型の「頑張る」なんて、はっきり言って一橋の人間ならば誰だってできる。しかし4年間という短くない時間をかけて行う作業であれば瞬間最大風速の風を吹かし続けるなんて不可能に近いのではないか。また風向きがずれていれば厄介なことになる。理想は目標まで一直線のジェット気流を吹かしまくるということだろうが、暴風雨の4年間もあるだろうし、台風一過だけ発現してしまう4年間も、4年間で3度だけ突風が吹いたものの他の時間帯は逆風というようなケースもあり得る。
スポーツのイベントが4年に1度のペースで開催されるものが多い理由は分からないままであるが、分かっていることは、この4年間で私は多くのことを問われた、問われている、問われるのだろう、ということ。そして、その審判の日がこの夏に控えているどいうこと。4年もの時間があれば瞬間最大風速でごまかしが効かない部分が多くある、あるいは殆どと言っても構わないだろう。そのため、この4年間の審判の日には自分自身そのものが問われるのだと思う。
ここまで書いておきながら掌を返すようではあるが、問われているのはチームの艇速である。またはそれに直結するチームの強さである。
これらは共に本音である。
でも、やはり後者だ。
さぁ、ラストスパートです。
再び掌を返します。
瞬間最大風速を記録するならば、今です。
あれ!?「4年間」と「大学生活」という2つの言葉が上手くリンクしない!?なんで!?
答えを知っている人は浅田恭平(4年H組)まで教えに来てください。