こんばんは。代表幹事の山本です。4年です。

そういえばこのブログ、みなさん自分の幹事なり担当の話をしているようなので、今日は代表幹事を題として一筆取らせていただきます。


代表幹事には、会計とか新勧とかきちんと割り振られた担当は一つもありません。
なので、仕事は一つもありません。
毎日がフリーダムかつモラトリアムです。

そんな役職がなんで一橋大学端艇部に生まれたのかといえば、、、、そんなこと知っている人はおそらくこの世に一人もいません。
ちょいと歴史を紐解けば遅くとも1920年には代表幹事と呼ばれる人がいたそうで。時は大正9年、端艇部部長は佐野善作大先生、日本は第一次世界大戦が終わりヴェルサイユ条約に批准、サザエさんの作者が生まれる、そんな時代のお話です。(Cf.端艇部データファイル)

なので、ここからは現役DKが考える代表幹事特論のお時間です。
私の考えます代表幹事の最大の役割、それは一橋大学端艇部を存続させ続けること。
もう少し欲を出せば、一橋大学端艇部を一橋大学端艇部たらしめることにあるのではなかろうか。

最長3年半しか籍を置くことのできない部活です。丁度梅雨時の雨のように次から次に着々と新入部員という名の粒が降ってきます。端艇部という器はすぐにいっぱいになり、4年生から順にこぼれおちていきます。企業と比べれば、なんともダイナミックな人材流動で、当然そこにはドラスティックな変化があります。
その変化の最たるものが、相当極端な話ではありますが、部の消滅・廃部ということでしょう。

124年の歴史があろうがなかろうが、大学の部活である端艇部は今にもなくなりそうです。それでも124年の歴史は確実に存在し、124年目の今年も埼玉県の戸田公園で、他の大学に負けまいと日夜練習が続けられています。

それこそが“伝統”の本質ではないかと。
変わりも変わる現役部員たちではありますが、自分の価値観を信じ真剣に目標と向き合い貪欲に努力してきたってところは何も変わらない。
時代も生まれも信じるものも違う若人たちが、同じ一橋大学端艇部の一員として同じように活動してきたという事実、共通項はその辺にあると思います。

昔、とある人が言ったそうです。
「ボート部は船頭の養成所ではない。」
ボート部は単にボートを漕ぐ人を生産する場所ではないよ、って意味。深い言葉です。


少々話が脱線気味なので、代表幹事の話に戻ります。

これはとある尊敬する先輩に言われた言葉で、私のポリシーでもあります。
「代表幹事は一番端艇部のことを理解してなくてはいけない。」
なぜなら、端艇部の伝統を受け継いで次に繋げていくことの責任は一括して代表幹事が背負っているからです。伝統をリレーする役割はみんなで果たしますが、責任は代表幹事が負います。

代表幹事はいろんな人との窓口です。
四神会との、大学との、他大学のボート部との、お役所との。。。
OBの方のお話を聞くことで、当時の伝統を知ることができますし、外部の方と接することで違う視点での一橋大学端艇部を見ることができます。
代表幹事には、そうして端艇部を理解するためのチャンスがあります。
また同時に自分自身、端艇部について考え、あるべき姿を探る作業ももちろん必要でしょう。

そうやってべき論的に出来上がった端艇部を具現化していく、それが代表幹事の仕事であり、醍醐味であり、かったるいところだと、今感じています。もちろん狙い通りにいくことなんてまずありませんが。

端艇部をあるべき姿にして、存在させ続けせしめること
なんかカッコイイ風ですが、実態は掃除・ゴミ捨て中心の生活です。それが現に必要なことであるならば、それが代表幹事の仕事です。インカレの勝利と借艇と新勧と会計と掃除と遠征と茶番とが同じぐらい重要なものに見えてきたらあなたも代表幹事の素質があるかもしれません。もちろん部の存続に必要だと考えた上でのことですが。

もう終わりますね。
先ほどの触れましたが、現役部員というのは常にリニューアルされ続けます。
となると価値観が違ったり何なりで、その人たちの考えるあるべき姿は変わっていくでしょう。代表幹事もまたしかり。
でも、それはそれでいいんです。もう一度極端な話をすれば、何か大きな変化が起きてその時の部員たちがこんな部なくなってしまえと思ったならば、それはそれでいいんです。昔からこの部はそうやってきたんですから、たぶん。

長きにわたる代表幹事の歴史の中で、誰一人として廃部という選択肢を選んだ人はいないようです。私も選ぶつもりはありません。次の代表幹事はどうでしょうか?

以上です。
。。。やっぱり代表幹事は暇なんですね。


夏には良い結果を。