1/11は、坂東三十三観音巡礼に行ってきました。
まず初めは台東区の浅草寺さまへ。
🌿 浅草寺 🌿
⚫︎2020.1.11参拝
⚫︎住所:東京都台東区浅草2-3-1
⚫︎山号:金龍山
⚫︎宗派:聖観音宗
⚫︎本尊:聖観世音菩薩
⚫︎開基:勝海上人(中興開山慈覚大師)
⚫︎創立:推古天皇三十六年(628)
⚫︎開基:勝海上人(中興開山慈覚大師)
⚫︎創立:推古天皇三十六年(628)
⚫︎御詠歌:ふかきとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草に まいる身なれば
⚫︎概要:推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の投網(とあみ)にかかった仏像があった。これが浅草寺の本尊、聖観音像である。この兄弟の主人、土師直中知(はじのあたいなかとも)と三人で自宅を寺として改めて祀ったのが浅草寺の始まりと云われている。浅草寺の参道入り口には、浅草のシンボルの雷門がある。この雷門をくぐると朱塗りの86軒の商店(仲見世)が軒を並べている。いまや浅草寺は、国際的にも知名度の高い観光地になっている。
浅草寺さまは、年に一度は必ずお参りに伺います。
今年は札所巡礼でのお参りになりました。
二天門
かつてこの二天門には「豊岩間戸命」と「櫛岩間戸」の二柱の神が像として安置されていました。この当時は「矢大神門」と呼ばれ、民衆からもひときわ篤い崇敬が寄せられていました。
しかし、1631年(寛永8年)と1642年(寛永19年)の2回にわたって浅草東照宮が焼失し、その後、浅草寺境内においての東照宮再建は許されず、東照宮は江戸城内の「紅葉山」に遷されることになります。
2体の随身像に関しては浅草寺の脇に建つ「浅草神社」へ遷されて安置される運びとなり、代わりにこの二天門には1883年(明治16年)2月1日に、鶴岡八幡宮(鎌倉)の経蔵から遷されてきた二天像(広目天・持国天)が安置されることになります。
この時に初めて「二天門」と改称されていますが、このときの二天は戦時中の修理先にて焼亡し、灰燼に帰しています。
現在の二天(増長天・持国天)は、その後、寛永寺(上野)境内に建つ、徳川家綱公の霊廟・「巌有院」から下賜されたものです。
過去、この二天門は幾度もの火災に見舞われていますが、皮肉にも第二次世界大戦の戦時下においては奇跡的に戦火から免れており、現在に至っては浅草寺境内における最古の建造物の1つとなっています。
そして1946年(昭和21年)11月29日には、国指定の重要文化財の指定を受けています。
しかし、1631年(寛永8年)と1642年(寛永19年)の2回にわたって浅草東照宮が焼失し、その後、浅草寺境内においての東照宮再建は許されず、東照宮は江戸城内の「紅葉山」に遷されることになります。
2体の随身像に関しては浅草寺の脇に建つ「浅草神社」へ遷されて安置される運びとなり、代わりにこの二天門には1883年(明治16年)2月1日に、鶴岡八幡宮(鎌倉)の経蔵から遷されてきた二天像(広目天・持国天)が安置されることになります。
この時に初めて「二天門」と改称されていますが、このときの二天は戦時中の修理先にて焼亡し、灰燼に帰しています。
現在の二天(増長天・持国天)は、その後、寛永寺(上野)境内に建つ、徳川家綱公の霊廟・「巌有院」から下賜されたものです。
過去、この二天門は幾度もの火災に見舞われていますが、皮肉にも第二次世界大戦の戦時下においては奇跡的に戦火から免れており、現在に至っては浅草寺境内における最古の建造物の1つとなっています。
そして1946年(昭和21年)11月29日には、国指定の重要文化財の指定を受けています。
二天像
増長天と持国天
お水舎
天井には「墨絵の龍」(東 韶光 画)、八角形錆御影石造りの手水鉢の上に、かつて本堂裏にあった噴水に安置されていた高村光雲作の龍神像(沙竭羅龍王像)をまつる。
本堂
本堂の提灯
提灯下に龍がいます🐉
本堂天井画
本堂にあがりおつとめをしました🙏🏻
おつとめの後 初めてお厨子裏の御前立を拝見✨
御前立もお参りしてまいりました。
🍀 納経印 🍀
志納金 300円
志納金 100円
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