これが公開されているのは、11月3日の夜分でしょう。
書いているのは少し早い時期になります。
まず皆様、病気(潰瘍性大腸炎)の件で沢山のご心配をおかけしたこと、まことに申し訳ございません。
難病なんて恐ろしい言葉が纏わりついてはおりますが、少しずつ普段の生活に戻るようにしています。
療養していることに変わりはないのですが、11月3日にどうしても元気だよ!ということを伝えたく、
今この文章を打っています。
twitterで発表させていただきましたが、この度「表現天使クリオネ」という団体を立ち上げることになりました。
様々なプロジェクト、コラボなどはさせてもらっていましたが、正式な所属団体をもつのははじめてになります。
しかも主宰。誰かを引き連れての団体を立ち上げるなんて思ってもいなかったので正直今でもふわふわしています。
女優・山内琴実と共にダブル主宰として活動していきます。
活動内容は演劇は勿論被写体や占い、動画関係・・・私たちがやりたいと思った表現は全てやっていく集団になります。
最初の活動になるのはどれかわかりませんが・・・粛々と動いています。続報をお待ちください。
並びに私、竜木悥個人、相方・山内琴実個人の活動も楽しみにしていただけると幸いです。
ここから自分のことと、琴実との話です。
公表している通り、私は発達障害のADHDです。発覚したのは大人になってからでした。
ぼんやりとしていて忘れ物は多く、手癖足癖が悪く落ち着きがない。
自分ではアスペルガーも疑っており、とにかく周囲と合わせることができない子どもでした。
友達がいないわけではありませんでしたが、「常に一緒」にいる意味が分からず、
1人で帰りたいからと帰り、次の日からしばらく女の子たちから口をきいてもらえなくなったり、
整理整頓も苦手で担任の先生にお道具箱の中をクラスに晒されて怒られたこともありました。
人見知りも相まって、「属する」ということが極端に苦手でした。
中学では以前ブログに書いた祖母の変化も影響し、中学2年生から完全に不登校になり、
高校は自由度の高い通える通信制高校に進学し、最初こそ同好会などに入り青春しようと思っておりましたが、
それも上手くいかず、高校2年になって1人で学食にいたときにいきなり声をかけてきた女の子と親友になり
その子とずっと2人きりでいました。
その後の進学先でもなんとなく仲のいい子はできても、グループには属さず、多くて3人組。
クラス替え後、卒業後は個々の友人とは会うにしても、みんなで集まるなんてものはほとんどなくなりました。
卒業後1度クラス会に参加しましたが、それきりでしたね。
在学中は「週明け会うやん」って気持ちになってしまい行事の打ち上げとか行かない子だったので・・・
演劇でもそうです。
ぴょこっと芝居塾に参加し、たくさん可愛がってくれる方がいる中、約5年間野良でやってきました。
様々な劇団・プロジェクトに首を突っ込ませてもらいました。
友人・倉田京太朗が「スミコ演劇隊」を立ち上げた時、本当は所属するつもりでいました。
ですがつい、尻込みしてしまったのです。
沢山の言い訳をあの時は考えましたが単純に怖かったんだと思います。属すということが。
倉田さんには失礼なことをしたと思っております。
だけどあの時の私に決断はできませんでした。
その場の集まり。公演という同じ目的をもった座組。終わったら、解散。また逢う日まで。
私にとってとても過ごしやすい環境だったのです。
学校行事なんかでは、クラス一丸となるといいつつ、モチベーションが違う同世代のわちゃわちゃなので
どうしても統一感がなくやる気が出なかったのです。
公演の座組は多少個人の感情が入ったとしても、同じ目的意識をもった、色々な世代、色々な人生を歩んだ人がいる環境。
なにより、公演が終わったらとりあえずさようなら。
集まりたきゃ集まればいいし、縁を切りたきゃ切ればいい。
そういういい意味で縛りのない集まりに私は魅力を感じていました。
琴実とは実は、1回も共演をしたことがありません。
面識はありましたが、琴実は私のことを「面倒くさそう」。私は琴実のことを「怖そう」。
あんまり深く関わらないでおこう。というかなりマイナスな関係でした。
なのに
「ときめきメモリアルGSシリーズがお互い好きだった」
それだけで仲良くなったのです。
気づけば毎日のように連絡を取り合い、本当に大切な無二の親友となってくれました。
琴実も公表した通り、心の病を抱えていました。
私の主な治療は障害ですが、メンタルの病院に通っている友達がいる。というだけで私はかなり支えになりました。
笑うしかないほどの薬の量をブラックジョークに変えて笑い飛ばせる。
障害・病の症状をあるあるネタにして笑い飛ばせる。
それだけで私は救いでした。
舞台に立つ琴実の魅力も知っていたので、親友として、女優として本当に尊敬していました。
そんな琴実が、表現の世界に帰ってきてくれた。
それだけで本当にうれしいことでした。
仲良くなったころから「1回共演したいね。」と言っていた目標が叶うかもしれない。と、
お互いの体のこともあるので本当にゆるく、ゆる~く。いつか、いつか。と思っていました。
ですがまだ非公開情報ながら、急速に物事が動く出来事がありました。
琴実から「みちる、クリオネだ。」と電話がかかってきたとき「は?」となったのをよく覚えています。
本当に目まぐるしく「表現天使クリオネ」は企画されることになりました。
突発的なものになると思っていたのですが、私から言い出したのです。
「琴実となら団体の名前背負える気がする」
と。
自分の心情の変化や、何を思ってそういったのかは、わかりません。
ただ、本当にぽろっとそう思ったのです。
琴実はすぐOKを出してくれました。
「属す」ということ。とても怖かった。かえりたいproject.も本当はよいしょしてくれた浦部紗加とW主宰の予定を、断ったのです。
「自己責任」以外で好きなことをするのが怖かった。なにかに責任をとるのが怖かった。
だけど私はきっと「山内琴実のためなら責任をとれる。」また「山内琴実なら私の責任をとってくれる。」と
直感で思ったんだと思います。
プライベート仲の良い、心が不安定な二人。とても周りに心配をかけると思う。お友達の馴れ合いだと、思われるかもしれない。
ですが「不安定で馴れ合いでも、いいもの創れちゃえばいいんじゃない?」と、思います。
内情、公演を打つというのは、とてもお金がかかります。
かえりたいproject.はとても小規模な公演でしたがそれでも1人ではかなりのお金でした。
お金の切れ目は縁の切れ目というのは事実だと思います。お金が絡むと友達でいれなくなる。
そんな演劇の先輩方も、目の当たりにしてきました。
親友として最高の琴実、友達でいれなくなるかもしれないなんていう恐ろしい一線だと思います。
ですがそれを乗り越えたいと思えるほど、山内琴実という表現者は魅力的で、憧れの女優さんです。
先日、琴実に私の初脚本演出作「各駅停車、「追想」行き。」の映像を観てもらう機会がありました。
わざわざ電話をくれて、
「みちる、凄いよ。正直馴れ合いでやるつもりだった。だけどできない。こんな凄い子捕まえたなんて私の誇りだ。
私はみちるより5年長く舞台をやってる。先輩として言う。貴女には脚本演出としても役者としても才能がある。
みちるが表現続けないって言ったら木刀で殴るよ。私とやろう。沢山面白いことしよう。」
と、表現の先輩として言葉をかけてくれました。
最初は「友達贔屓かな」と思いました。ですが彼女は演劇に嘘がつけない人です。真摯に私に「才能がある」と伝えてくれました。
尊敬する女優さんに才能があると言われるなんて、こんな幸せがあってもよいのでしょうか。
改めて私は「表現天使クリオネ」に責任と誇りを持とうと、決心しました。
私は頭の容量が少ないので、ぽぽぽーんと違うことを考えています。
何か壁にぶつかった時、このブログを読み返して私がどんだけ幸せ者かを思い出せるようにしたいと思います。
琴実への愛と尊敬も、隣にいるのが当たり前になったって忘れてやるものか。
琴実が私を認めてくれていることも、どんなに私の心の闇が蝕んだって忘れてやるものか。
まだ公表できませんが、私と琴実を支えてくれる仲間がどれだけ尊いかも、忘れてやるものか。
未熟者の私、竜木悥の誇り、「表現天使クリオネ」を、どうかよろしくお願いいたします。











