Go-Ko#歌ってみたブログ

Go-Ko#歌ってみたブログ

2020年、好きな歌を歌うブログに生まれ変わりました

2023年、ギター弾き語りデビューしました


ひすいこたろうさんのFacebook投稿を見てすぐとんできました。

https://www.facebook.com/share/19ArwNGi4o/
(以下転載)

●マイケルジャクソンその1

マイケルジャクソンのことを、ひすい式偉人伝「心が折れそうなとき奇跡の言葉」で書かせてもらったことがあるのでシエアさせていただきますね。

━━━━━━━━━━━━━━━
「やるか、死ぬかだ!」
マイケル・ジャクソンはそう迫られていた……。

期限までにアルバムを制作するように。
もし、できないなら、死だと。
レコード会社の催促というのは、それくらい凄いのだそうです。

期限は迫る。

しかし妥協せずにアルバムを作るには、あまりに時間が足りない……。
マイケルたちは不眠不休で頑張りましたが、急ぎすぎたため、アルバムの全体像を見失ってしまった。

そして、とうとう締切りの日がきます。

レコード会社に渡す最終段階のものを聞いたとき、マイケルの瞳に涙があふれた。音があまりに安っぽく聞こえて悲しくなったのです。映画が編集次第でまったく別物になってしまうように、音楽もミックス(アレンジ)次第でぶち壊しになります。しかし、ここでタイムアウトでした。

レコード会社は断固として、締切りを伸ばしてくれない。ここで、マイケルの抑えていた感情が一挙に吹き出し爆発します。

マイケルは覚悟を決めた。

「このアルバムは世に出さない!」

マイケルは断固たる決意で、
このアルバムは絶対に世に出さない!
と決めたのです。
それで、レコード会社もついに折れた。期限を延ばしてくれることになったのです。ただし、延ばす日数はわずか10日。でも、この10日間で、マイケルたちは、ほぼすべての曲のミックスを一からやり直したのです。

こうして生まれたのが、あの伝説のアルバム『スリラー』です。

マイケルだって、最初から好きにやれたわけではないんです。ひとつひとつにこれで死んでも悔いはないというくらいベストを尽くすことで、自由にやれる環境を勝ち取ってきたのです。

このあと、『スリラー』は、史上最高の売上げを叩き出し、ギネスブックの表紙を飾ることになります。2008年11月15日時点でのギネスワールドレコードでは1億1000万枚を記録。この記録は、いまなお更新を続けています(ちなみに、マイケルは、『スリラー』以外にも、個人名義で世界で一番チャリティ事業に寄付をした人物としてギネスブックに載っています。その生涯の推定寄付金額は500億円といわれています)。

●父の前ではいつもビクビク震える日々

ではマイケルの子ども時代にさかのぼってみましょう。
彼の通っていた音楽スタジオの、通りを隔てたところには公園がありました。少年のマイケルは、よくそこで遊んでいる子どもたちを眺めていた。いいな……。公園の子どもたちはあんなに自由があって、何も気にせずに楽しそうに遊んでいる。このまま歩いて、彼らの仲間に入れたらどんなにいいだろう……。

マイケル少年は学校を終えると、そのままスタジオに直行。夕飯もとれるかどうかもわからない中、夜遅くまでレコーディング。家に帰れるのは夜中の0時頃。息が詰まりそうな毎日です。これが、5歳から兄弟でバンド活動を始め、6歳になる頃には様々なトロフィーを獲得するまでに成長を遂げたマイケル少年の日常でした。

マイケルのお父さんのジョセフ・ジャクソンは、子どもたちに容赦のない厳しい人でした。マイケルは、イギリスの放送局のあるインタビューで、兄弟で組んだバンド、ジャクソン5時代にステップを間違えると父からベルトでぶたれたと告白しています。「ぶたれたのはベルトでだけ?」と聞かれると、マイケルは手で顔を覆い涙ぐみました。

実際、マイケルはアイロンコードなどそこにあるものすべてを使って痛めつけられていたようです。身長180センチを超える元ボクサーの父が、ありったけの力で壁に叩きつけるのです。お母さんが、「死んじゃうよ、死んじゃうよ」と叫んで止めるほどでした。

父の前ではいつもビクビク震えるような日々。マイケルは、父の姿を見ただけで嘔吐してしまうほどのトラウマを残します。

一方、マイケルのお母さんは彼や兄弟の演奏する音楽を純粋に愛していました。彼女自身も大の音楽好きでしたが、自分は音楽などできないとあきらめていた過去がありました。彼女は子どもの頃、小児麻痺にかかり、思春期の7年間をずっと片足にギブスをはめて暮らしていたのです。

そんなお母さんは、少年のマイケルにいつもこう言い聞かせていました。
「あなたの歌や踊りの才能は、美しい夕陽や、子どもたちが遊べるようにと雪を残す大吹雪と同じように、神様がお創りになったものよ」

マイケルは9人兄弟。でも、お母さんは子どもが何かに興味を持っているのを知ると、それに関する本を抱えきれないほど持ってきてくれるような人で、9人の子どもたちに、まるでそれぞれひとりっ子のように接しました。

この頃のマイケル少年は、身長がまだマイクに届かず、リンゴ箱の上に立って歌ったこともありました。そして、劇場やクラブ回りで前座の演奏を務めるときは、他の兄弟が休んでいるようなときも、マイケル少年はひとり、ずっとステージ横で他の出演スターたちのマイクのつかみ方や動きをじっと観察していた。とくに帝王ことジェームス・ブラウンには「毛穴から火が出てくるくらい」の存在感を感じ、マイケルは、ブラウンのうなり声、ステップ、スピン、ターン、感情、照明の動き、そのすべてをひとつ残らず目に焼き付けていました。
当時はDVDなんてありませんから、繰り返し見て学ぶなんてできません。すべて一瞬です。テレビにジェームス・ブラウンが出演した際、顔のアップばかりで足のステップが見えないときは、画面の前で「足を見せろ! 足を見せろ!」と本気でマイケル少年は怒っていたそうです(笑)。

続きはまたすぐアップしますね。


(以上Facebookより)




読まないではいられない。

映画は鑑賞済みなんですが、

映画を見たら、「もっとマイケルを知りたい」「ほんの入口にすぎない」というのが、一番の感想でした。

それで、ひすいこたろうさんのアメブロをリブログ致しました。


その2

https://ameblo.jp/hisuikotarou/entry-12971117356.html

その3も書いてありますので、行ってみて。

飛ばしちゃダメな投稿記事です。




今日もバラ色の日を!










リブログ先の日付を見ますと

2023/12/15 

 今日は
2026/6/26  だから、2年半経ったのか〜

今日、ついさっき(お昼に)

Taylorがやってきました。



 


は〜っ!!

兄ちゃんありがとう(涙)

実は、6/7のGo-Koショーに来てくれた兄。

(この中にいました↓)


私が傷つけてしまった(演奏によるものとそうでないものと)Martinを見て、

心に思いを持ちつつ、飛行機に乗って帰って行きました。

で!!

実は6/21に私の友人の結婚式があり、そこでまた「出し物」をしたので、その動画を兄に送ったら、

そこで、心の歯車がカチッとタイミングが合い、

買う決断をしてくれたという話でね。

【「優しい兄貴」。「だから」プレゼントしてくれた。】というのは、もちろんだし、一番にくるしありがたいばかりなんだけど。

それとは別に

物事の起こり方っていうのが、ちょっとしたタイミングによって、辿る道が変わっていくよな〜って思った出来事でもありました。

ますます、自分100%で生きるようにしよう。と思いました。

このギター周り品まで一緒に入れてくれてる(泣)




兄ちゃんありがとうございました!!

それから、この恩恵をくれた宇宙よ(色んなものまとめて、宇宙ね)ありがとう!!

こ、これは
ギターもっとうまくならなきゃー(嬉しい悲鳴)


あ、思い出した、おかげ祭りだった。。。



こちらは、
6/14にTHE YELLOW MONKEYのライブが宮崎県都城市であって、行った時の会場「都城市総合文化ホール」に飾ってあったお神輿です。


「おかげさま」が周りにいっぱいで、溢れかえってます。


なんと、今日は牡牛座1位でした。
しかも、



シェアするといいことがありそう。

ギターがやってきたをシェアして、

さらにいいことがあるなんて!!


【自覚して!もう出会ってる運命の人】

えーっ!!(笑)

うん、わかってる(笑)




ではまた。



こんにちは


6/21の夏至を越えてから、ようやく6/7の話を書いてます。


FBには翌日アップしたんで、そのまま、同じものをこちらにコピーすればよいものを、なぜか、別のものを書きたかったから、


でも、FBの記事を書くのだけで、力尽き(ってほど、長文でも力作でもない)


そのまま放置となってしまいました。


今も、コピペしようかな。。。と思ってます(笑)


でも、こちらには裏話的なことを書きたいのです。





ここは、古賀市駅前西口通り【心の駅】という、缶詰バー店内


こちらは夜オープン、深夜〜明け方までが通常営業のお店なので、そちらを昼の間だけ借りて営業してらっしゃるご夫婦のお店【昼呑み部】さんの主催のもとさせていただきました。


私が古賀にご縁をいただき、このご夫婦に出会えたのも、コロナのおかげです。


(注※コロナ感染症という名の元になされた大規模茶番劇のことをコロナと書いてますが)


振り返りますと、私個人的にはコロナの「おかげで」としか思えない大きな恩恵を今は感じます。大きな破壊、喪失、痛みはありましたが、それがないと、今ここの心境にこれなかったのだなあと。


自分が自分であらねば苦しくなる一方となり、そうせざるを得ない状況になり、人間関係が大きくかわり、いただく情報もかわり、どうありたいか、どうあるかが変わりました。変わりつつあります。


こちらの恩恵が大きかった。


痛みがなくても学べたら良かったのですが、転んでみてしかわからない私でした。


古賀とのご縁で、第一回Go-Koショーを2022/12/22にさせていただいた過去があり、この度4年ぶりに第二回目のGo-Koショーをするに至りました。


そもそもGo-Koショーって何よって話ですが、私は歌もギターもド素人です。が、好きなので、ライブごっこしたいので、それをやらせていただいたのです。


そのきっかけも、古賀で出会った人々とのご縁によるものです。


Go-Koって芸名つけていただいた時には気づかなかったですが、【ごっこ】とも読め、伏線回収してるなと思いました。


演奏はとちりまくるし、歌は歌詞がとぶし、普通のライブじゃあ有り得ないシロモノをそのままに、観に来てくれるお客さんは丸ごと受け止めてくれる人たちなのです。


皆さん楽しみ上手。

いや、お遊戯会に出る孫を温かく見るおじいちゃんおばあちゃんの視線です。


出来の悪いほどに盛り上がる観客席。


ファンの許容に甘えることなく完璧を目指し、当日に間に合わせ素晴らしい完成品を提供するのが、プロフェッショナルの舞台に立つ人たちだなあと、推し活していて思います。


今回Go-Koショーの打診をいただいたのは、主催者さんにも色々な思いがあってのことですが、一つには私のようなやりたいことがある人の背中を後押しする気持ちからでした。


このGo-Koショーを最後に【昼呑み部】は幕を閉じるわけですが、私が最後のライブをさせていただけたのも、感じ入るものがあります。


このタイミングで、そうなるのが決まっていたかのような感覚を覚えました。


(心の駅の「間借り」として始まった昼呑み部、心の駅はまだこれからも、通常営業です。)


打診いただいてから、プログラムをどうしようかと悩むわけですが、


第一部45分

第二部35分


の長丁場。歌いたい歌をピックアップすれば、すぐその時間は埋まるのですが、いかに、

【ド素人の歌と演奏】で、退屈することなくもっていくかに、腐心しました。


第一回Go-Koショーの時もそうでしたが、


アイデアが、湧いちゃってくるんですよ。


ブログには、この過程をぜひ、かいつまんで書き残したくて。


結果としては、ミュージカル的に、一つの物語を歌で表現するという形にしました。


脚本、演出、ナレーション、歌、演奏、すべて、Go-Ko一人です。


この「アイデアと自分とのやりとり」がものすごーく!!面白くて、夜な夜なニヤけながら、創作していました。


アイデアが閃くたびに、「私って天才かも!」ってドヤ顔しながら、つくってました(笑)


その自分愛に溢れる時間が、今回何より【エネルギー量最大化】の時間で、私は宇宙に貢献したと自負してます(笑)


なので、あとは、どんな批評にあおうがものともしないなと思います。(が、大前提で、じいちゃんばあちゃんが見守ってくれる孫の心境ですから、なんら問題ないです。)


第一部の完成に、満足したので、第二部は、自分が遊ぶのみ。


しかし、このアイデアもまた、ドヤ顔の連続で、決めていきました。


そろそろ長文に飽きてきた(私が)ので、


後は写真を載っけます。




昼呑み部の【おみぃ】が作ってくれたフライヤー

この写真撮影は友人がGo-Koショーのための、写真撮影しようと提案してくれて、日時設定して付き合ってくれて実現し、
この写真をセレクトしてくれて、飛ぶ格好のこれにおちつき、
ジェミニで服を着せたらあこがれのナウシカになったのですが、別の友人がロッテンマイヤーさんにそっくりといい、
見たら本当にそのとおりだったという

一連の流れのなかにも、ナウシカ、ハイジ、シンクロが入り、シンクロって、私の中でしかヒットしないから、説明が面倒なのでしないんですが、とにかくシンクロして、動いていったのです。

題名のLOVE&PEACEは、吉井和哉さんのソロ曲。これから、着想も得て、すらすらと脚本が。

SMILEは第二部をイメージしたキャッチコピーですが、THE YELLOW MONKEYのアルバム名でもあります。

かといって、THE YELLOW MONKEYの曲、吉井和哉さんの曲ばかりを歌ったわけではないです。



第一部で弾き語るわたくし



第二部衣装替えのうちの一着

誰かのつもり。だーれだ?


第二部衣装替えのうちの一着

こちらも、誰かのつもり、だーれだ?

後2人【ゲスト】がいましたが、載せない。


この服についても裏話があり、私には、天からのお導きとしか思えない衣装提供だったのです。

事実は、息子が着なくなった服を処分しといてと、まとめて渡した。それだけ。

なんですが、私は金の斧を渡されたような気がしました。これでGo-Koショーのアイデア、ほれ、アレ、やれるでしょーが?みたいな。

ここらへんが、なかなか人には伝わらないぜ!(笑)



集合写真撮影

17名のお客様をツメツメで入れてもらいました。
第二部はスタッフとして働いてくれた友人たちは、控えめなので撮影時にはいらず。

では、みなさま、いつかは、Go-Koショー来てね。

孫を見る目でお願いします。



ここまで読んでくださりありがとうございました。

今日もバラ色の日をお過ごしください赤薔薇赤薔薇赤薔薇