トコロテンのブログ

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茂木健一郎と武田修宏の講演会の為、浜北文化会館に向かう。12:15着、第5駐車場まで誘導された。受付して12列目中央付近に着席。13:00開始。第一部は茂木健一郎の講演。浜松ついてから走ったとの事、東京マラソンに出る。認知症にならない為には、ドーパミンを出す。これは幸福にさせるホルモン。ドーパミンを出すには新しい事にチャレンジする。ピアノ、語学、墨絵等楽しい事をやると良い。茂木自身朝ドラ、花子とアンの最終3回に出たが緊張して棒読み。本も英語でも3冊出した。最初の生きがいは四苦八苦したがだんだん慣れた。個性は短所と長所の合体したもの、生きがいは個性を伸ばす。自分自身を肯定的に受け入れる。その場所で好きな事をやって喜びを感じる事。例として堀江貴文のバナナ半分が嬉しい。絵コンテが大好きな宮崎駿。茂木健一郎はユーモアと自虐ネタを取り混ぜ笑いを取りながら話しが上手、他の人を持ち上げるのも上手。第二部は武田修宏の講演。話が下手との事でスライド80枚と最後まとめの5分のビデオを準備。生い立ちから佐藤小、丸塚中、50m5.9秒、陸上からもお誘い。清水東1年10番での準優勝、川崎ベルディでセミプロ、勝ち10万、引き分け5万、負け0円と競争が厳しい。ジェフ市原、ジュビロ磐田、ジェフ市原、パラグアイ、ブラジル、最後に川崎ベルディで引退。ポリプロ所属でコーチ、試合解説しながらレポート100枚のS級取得、日本テレビアナウンサー養成学院、スペイン語学んだ。1993年紅白出場、読書が好き、変化の時代に生き抜くには観察力、対応力、予想力が大事。挫折はチャンス。2023年ホリプロやめフリーになりサッカーに関わる。スライド多くて早くて見たい箇所が見れず残念。休憩挟んで座って体操、第三部は武田と茂木の対談。茂木健一郎の質問、小中はスポーツ万能。サッカー論、フィールドにいれば一瞬で誰が何をしようとし空いた空間が把握できる。サッカーの為1日に試合5試合とか見る。ドーハの悲劇時これまで出場機会無かったが高木レッドカードで交代、活躍して最後2試合出た。会場にサッカーやってる子質問、積志中の子が壇上にしょうた。ボランチ、聖隷クリストファーに決まる。今は部活引退で友達とサッカー。武田は14〜16は伸び盛り、部活休みはどこかクラブで練習すべき。世界基準では10代〜20代前半が活躍、周辺にアルゼンチン、ブラジル、ヨーロッパ等強い選手が多く切磋琢磨している。自己主張して自信を持つ。日本も日本一ではなく世界一の技術まで高めるべき、日本のJリーグはその養成所になるべき。最後に武田の夢は監督、サッカーの普及。、結婚は?で締めくくり。楽しめた講演会ではた。




ハープアンサンブルレザミの演奏会に行く。クリエイト浜松の1階は誰もいなくて2階のホールでの14:00からの開演にギリで間に合う。客席はほぼ満席。ハープの4重奏で上品で綺麗な音色である。弦は47本貼ってある。ハープは白鳥と言われるがペダルが7個ありそれで1弦で3音出すので足を白鳥の様にバタバタさせて弾くとの事。音域は6オクターブ半出せるとの事。日本では青山ハープ一社のみの製造。途中、色々な場面でのハープトレモロ演奏あり、表現力の違いの解説や小学生の体験コーナー有りと楽しめた。アンコールで富士山を演奏して15:00終了

 

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12:00みをつくし文化センターに行く。センターの駐車場は一杯、気賀関所の西の臨時駐車場に止めた。入場券見せて5番目右手に着席。13:30開始。小和田哲男氏の講演会、現在の大河に関わっていれば浜松が第1回に出たかもとの事。題目は遠州における豊臣兄弟の足跡。秀吉と秀長は3歳違い。秀吉の最初の武家奉公は頭陀寺城主の松下加兵衛、針売りの行商で遠江に来た時声をかけられて奉公した。行商時話術が巧みになったと思われる。加兵衛は半農半武で織田信長との接点はない。3年で出奔して織田信長に小者(雑用係)として仕える。ここで話術が生き美濃斎藤臣他への計略を命ぜられ戦いを有利にした。秀長は秀吉に呼ばれて、北近江支配には一緒に戦っている。その後秀吉の分身としての役割を果たす事により天下統一に結びつけた。浜松城主時代の家康とは妹旭と母の説得に当たり秀吉との関係を繋げた。秀忠を人質にするように進言。また聚楽第内に家康の屋敷を建てた。まとめとして秀長は秀吉の黒子だけでなく分身として活躍。講演後質疑応答があり15:45終了。豊臣秀吉しか知らなかったが弟の秀長の働きも重要だった事が分かり面白かった。