中2から高1までリストカットとアームカットを繰り返していた私。
今もその傷痕は消えずに残っている。
適応障害と不眠症も患っていて、これは今も少し残っている。
それでも、もうリスカをしたいとは思わない。
それは20歳になって、少しは成長できたから。
当時はただ生きてる実感が欲しくて、血を見たらなんとなく安心できたから切ってた。
周りの心配なんて、考えてもいなかった。
父と最後に2人で話した時。
「お前がリストカットしてたことがわかったとき、仕事を辞めようと思った。なんで気付けなかったのかと思っていた。」
その時、私は生まれて初めて、父の涙を見た。
あんなに仕事人間だった父がそんなことを考えていたなんて。
私は、この歳になるまで父の気持ちを考えていなかった。
父は最期までその事を悔いていたのだと思う。
私が"過去のこと"だと忘れかけていたことを、父はずっと忘れられずにいたのか。
決して父のせいでしていた訳じゃないというのに。
父は特に女子は嫁入り前に体に傷を付けてはいけないと考えていたから。
私は父が大好きだった。
その父を私はずっと苦しめていた。
それが何よりも、申し訳なかった。
父は私の一番の理解者だったから。
私が学校を早退したり休んだ日、必ず父は会社を休んで話を聞いてくれていたから。
この傷は一生消えない。
父を最期まで苦しめていた事実も消えない。
私はまだ父の死を受け入れられない。
だって、今だって帰って来てくれるような気がするから。
冗談だよって。
父ともう会えないなんて、信じられないから。
わたしはまだまだ子供なのに、何にもできやしないのに。
まだ何にも恩返しできてないのに、2人で飲みに行く約束だって果たせてないのに。
私、実はいまオーストラリアにいるんです。
5週間、英語研修でシドニーに留学しています。
これは父が最後にくれたプレゼント。
受験前に父のガンが見つかり、入院の度にお見舞いやリハビリを手伝っていた私に対するお礼をくれたんだと思います。
ずっと留学に行きたかったけど、父の病気を気にして母にだけ留学に行きたいと伝えていました。
それを母から聞いていたみたいです。
余命半年を言い渡され、その時に私に「留学したくないんか?」と言ってくれました。
そんなこと、そんなことだったんです。
そんなことより、自分のことの方が信じられなかったはずなのに。
いっつも、最優先は家族。
私たちの前では、"こわい父親"。
でも周りには私たちの自慢ばっかり。
父が亡くなった後、病院の看護師さんから、「志帆がいなかったらこんなに早く歩けてなかった」なんて、言っていたみたいで。
術後、1ヶ月以上寝たきりだった父の歩行のリハビリを毎日手伝っていました。
私にはそんなこと全然言わなかったのに。
私の大学の合格だって、看護師さんや会社の人たちみんなに自慢してて。
そんなこと、恥ずかしいのに。
私たちの前ではいつだって厳しくて、全然褒めてくれなかったのに。
なんで、優しさって、後になって気づくのかな。
この留学はね、親父。
親父と向き合う5週間になりそうだよ。
あとこっちにいるのは2週間だけど、ずっと親父のこと考えてたんだよ。
大好きやもん。
親父以上の父親なんておらんもん。
なんでこんな早くおらんくなっちゃったん?
まだ49やん。まだまだこれからやん。
親父おらんと、何もできないこと知ってるやろ?
また「しっぽこ」って呼んでよ。
もう「親父」って呼んでも、誰も返事してくれないなんてさみしいやん。
女3人じゃ、お前ら3人じゃ不安って言ってたの、親父やん。
みんな、さみしいんよ。
戻ってきてよ。
こんなに"親父がおらん"ってことが、辛いと思わんかったもん。
まだまだ親父と一緒にしたいこと、行きたいとこがいっぱいあったのに。
あたし、しばらくは親父が帰ってくるって信じてる。
だって、会いたいもん。
もう会えないなんて、そんなんおかしいから。
いつまでも待ってるもん。
でもいつか、私が会いに行く日は必ず来るから、それまではバイバイかな。