ある日、いつもの部屋のドアを開けたら、いつもの家族が、
いつもの家族を殺している場面に出会ったら、
どうしたらいいですか。
9歳のとき、ある日、いつものように、
粗相をした知的障害の姉を母はヒステリックに罵詈讒謗し、
布団たたきで布団をたたくみたいにたたきまくり、布団たたきでも叩き、
私は、いつものように自分に被害が及ばないようにだけ考えて、
空気に擬態して、見て見ぬ振りをして別の部屋に避難していた。
いつものようじゃなかったのは、いつもの母のぎゃあぎゃあ騒ぎが、
ふと、やんだとき、今まで、経験したことのないような静寂が訪れたとき。
ドアを開けると、そこには、
人が人を殺している光景があった。
家族が家族を殺している光景があった。
「お母さん、みさこのことを、天使だと思ってるの」、
とまでいっていた、姉の首を母が、息を詰めて渾身に絞めていた。
姉の顔は紫色に変じていた。
母は、自分が首を絞められているように喉の空気を詰まらせていた。
静止画の様にどちらも、とても静かだった。
彫刻されたように、二人とも微動だにしなかった。
死とは、まったきの静寂、絶対の静止、 そのものなのだと思った。
こういうとき、私の脳みそは、目の前の光景と、私を置き去りにして、
勝手にしゃべり始める。
死とは、ある日、いつものドアを開けたら、
その一歩先、一秒先に、いつもの光景を裏切って、いつもの部屋の光景の中、
いつもの家族の顔の中に、現れるのだと思った。
死とはいつも、生きるための食餌をもたらすのと同じ手でもたらされるのだと、思った。
そして、わたしは、家族が家族を殺す光景に対して何もいわなかった、
何もしなかった、
私は人が人を殺している光景に対して何もいわなかった、
何もしなかった。
私は、目の前で人が人を殺していても、自分に被害が及ばないなら、
何もいわない、何もしない、見て見ぬ振りをする人間だった。
自分に被害が及ばないなら、目の前で人が人を殺していても、
目の前で何事も起きていないかのように無視することができる方法を、
身につけている自分のグロテスクさに呆然とした。
一番身近な他者が、もう一人の一番身近な他者を殺している場面で動機ひとつしない私は
何もいわず何もしない私は、
私の目の前で死んで、私の目の前で殺されて、
私が動揺したり哀しんだり怒ったりする人は、この世界に、
一人もいないんだろうと思った
人が人を殺す場面で言葉ほど、無力なものはない。
私は、その瞬間から相手に言葉を伝えあって互いを共生させるという、
言葉が言葉の役目を果たす世界から、
言葉が何の役にも立たない世界へと転落した。
言葉の、絶対的な無力と敗北、言葉の絶対的な空隙こそを信じ、
言葉のがらんどうを身内に抱えた。
人の命を奪うという行為は、相手の言葉と声の息の根を断つ
絶対的な意思表示だ。
今後一切二度と相手の言葉と声に耳を傾けないという絶対的な宣言だ。
命を奪うとは相手から言葉と声を奪う、
表現の絶対的な殺戮だ。
そのとき、人が人を殺す光景に、
自分の心拍数が普段と変わりない速さで打っている事を私は確認していた。
いつもより自分の鼓動がくっきりと感じられたくらいだった。
姉の鼓動は私の鼓動以上にはもう打たないのだろうと思った。
ここで、ここで、死んだほうが、これ以上生きるより、
姉は、幸せかもしれない、と、思った。
姉を殺して罰を受ける母を尻目に、ここで死んで、姉は
今より、母より、
幸せになったほうがいいかもしれない、
と思った。
母も、姉をこれ以上苦しめないために、
これ以上生きても不幸しか用意されていない人生から姉を助けるために、
姉を殺しているのかもしれないと思った。
そのとき、私の思いは、
母の手と重なって、
姉を殺すために、
姉の首を絞めていた。
姉の顔が紫色に変じてから数秒後、
「・・・・・・・・」
息を詰めていた母は、雑巾を絞るように姉の首を絞めていた手を離した。
姉は、激しく咳き込んだ、
ヒィィィ~~~~~
と裏返った、甲高い悲鳴を、一呼吸ごとに挙げた。
姉が粗相をして裸にされて打たれたり、熱湯を浴びせられたり、
真冬に冷水をかけられて外に放り出されたときなどに挙げる悲鳴だった。
母は、肩で息をした。
あと3秒、母が手を放さなかったら、
姉は、窒息死していただろう。
死とは、ある日、いつもの光景の中で、
3秒後にくるものなのだと思った。
家族が家族を殺す光景に、
まったく変わらない速度で打つ私の鼓動が、
あと3回、打ったら、
人は、あるとき、わたしの目の前で、死ぬものなのだと、思った。
人に許されなかった人間は、私的な罪に問われた人間は、
私刑され、命を奪われ、その死を、見て見ぬ振りされるんだと思った。
その日以降たがが緩んだように、
激昂が最高潮になると母は姉の首を絞めるようになった
私はいつものように
一歩間違えば姉が母に殺されるかもしれない光景を
いつもの光景として受け入れるようになった。
「ああ、またか。」
とだけ思うようになった。
うんざりするだけになった。
うるさいから殺すのも死ぬのも勝手によそでやってくれと思った。
よく事件で、
「いつものように子供を折檻していたら気がついたら死んでいた」
という供述の心境は、
母が姉の首を絞める光景がいつものことになり、
見慣れた光景になり、
姉が首を絞められることが、ああ、またか
という感慨しかなくなった延長にあるのだろう。
「ああ、またか」
が、いつ実際の姉の死につながっても不思議でなかったのだし、
どこかで「いつもの」光景を見ながら姉の死の予行演習をしているような、
姉の死を受け入れる心の準備をしているようだったから。
殺すならさっさと殺せよくらいに思った。
殺したい、という意思表示だけして自分の選択と決断で手を下さないのは、
卑怯だ、と思った。
殺したい、憎い、消えろ、
とネチネチ意思表示だけしてくる親に追い詰められて、
子供が自分から破滅するように仕向けてるの?
殺しかけては、首を絞めては、殺す前に、寸止め。
子供の苦しみに、不幸しかない人生に終止符を打つよりも、
自分が罪を犯す怖さを優先するの。
卑怯だ、と思った。
殺したいなら、自分で、殺せ。
子供を殺そうとしている親と一緒に暮らさなくてはならないんですが
どうしたらいいですか。
1、おとなしく殺される
2、殺す
3、親が気に入らない子供のうち、
自分以外のメンバーを、スケープゴートとして
徹底的に親と一緒になって敵視することで
親との仲間意識、共生関係意識をはびこらせる。
相手を殺したっていいから、親と緊密な共犯関係を作る。
3が一番妥当かな。
4、誰かにたすけを求める。
ない。
誰も助けてくれないから今の私の現実があるわけだし。
私の現実は他の誰のものでもないから、
たすけを求めたって誰も私を助けられない。
私の現実から私をたすけることは、できない。
そのためには、私の現実を他の誰かの現実と交換しないといけないけど、
そんなことはできない。
油断したら殺されそうで
お風呂に入るとき裸になったら
無防備でヤられそうで怖くて
眠ったら無防備で
殺されそうでヤられそうで怖くて
絶対仰向けで寝ないようにしてるんですが
絶対横向きで寝るようにしてるんですが
とても眠れなくて布団の下にハサミと果物ナイフを入れないと
安心して眠れないんですけど
どうしたらいいですか
学校で今までで一番ひどいいじめにあってるんですが、
家で親にされてることに比べたらへでもねーやって思えるのは
喜んでいいことですか
私が9歳のとき、浮かんで、沈んだ、言葉
誰にも問えなかった言葉
誰にも答えられなかった言葉
闇から浮かんで、闇に沈んだ言葉
2009-12-14 00:18:01



