わたしが見た夢の話、夢に見たということを忘れていた話、自分の苦しさに形を与えようとして考えた物語、
わたしの、夢であり、忘れられた記憶であり、刻の向こうの物語であるものを、
初対面のある女性が、ある時、わたしにした話、
ある、むかし話、ある物語、ある夢、時間の彼方に忘れられたある記憶の物語。
・
彼は、ある村の青年だった。
彼は、動物の言葉が分かる青年だった。
鳥の言葉、蛇の言葉、牛の言葉、いのししの言葉、くまの言葉、動物たちの魂と、
彼の魂は、時間と空間を超えて触れ合い、戯れていた。
でも誰も、彼を理解しなかった。
彼は村で排除されていた。
ある日、彼は動物たちの言葉を聴いた。
彼の村と敵対しているグ村の集団が、ここに攻めてくる。
彼は村に走った。
彼は村人たちに伝えた、動物たちの言葉を。
逃げろ、と叫んだ。
彼は仲間を愛していた。
ここは彼の居場所、ここは彼の家だった。
逃げろ、生き延びろ、生き抜け、生きろ、死ぬな、助かってくれ、彼は仲間に叫んだ。
村人は、誰一人、彼を信じなかった。
彼を哂った、彼を白い目で見た、彼を責めた。
彼をうそつきと責めた。
彼は愕然とした、彼の居場所の、家の、家族の死を、座して待つしかない。
彼の村を滅ぼすために、別の村の集団が彼の村を蹂躙しに来たとき、
彼は、燃え盛り、蹂躙され、殺戮される、かつての仲間たちを見て、彼は、あきらめ、怒り、おおいにせせら笑った。
・・・・・・・馬鹿どもが。
いい気味だ、いい薬なのだ、思い知るがいい。
何を聞くべきで、何を聞くべきでないか、自分を過信したものの末路を、
彼の言葉に耳を貸さなかったものの末路を、とくと味わうがいい。
彼を嘲笑し、責め、排斥した、今は殺戮されている村人たちは、もはやもう、彼の仲間などではなかった、
かつての仲間たちが蹂躙されるのを見て、彼は、溜飲を下げていた、ざまあみろ、と思っていた、
燃え盛る村の家々は、彼の中で燃え盛る業火だった。
彼は、仲間たちを殺戮している、敵の感情そのものだった。
彼は泣いた。
殺戮され、燃え上がり、滅んでいくかつての自分の村と、かつては結ばれていた仲間たちのとの信頼が自分の中でも滅んでいくのを感じて。
その後生き残った村人たちによって彼は、裁きを受けた。
なぜ敵が攻めてくるのを事前に知ることができたのか、彼は最初から敵の人間だったのだ。
彼は村から、仲間から追放された。
彼は裁きを受けた村人が追放される「死の谷」に追放された。
そこは動物たちの墓場だった。
人間から人間であることを追放された人間の墓場でもあった。
彼を死の谷に突き落として村人たちは、焦土と化した村をもう一度再建するために彼をひとり、闇の底に残して去った。
彼は、生を終えた動物たちの屍骸が月に白々と浮かび上がる闇の底で、
まだその生を終えておらずとも、早くその生を終えることを期待されて、
動物たちの屍骸とともにここに残された死の谷に、うずくまった。
彼は思った。
美しいと思った。
世界を美しい、と思った。
闇の底から浩々と闇を白く照らす月を見上げ、美しいと思った。
何百という星が闇夜にちりばめられているのを見て、美しいと思った。
囁くように闇夜をわたり、今は誰も触れなくなった彼の肌にそっと触れる風を、美しい、と思った。
ひとりぼっちの彼を毛布のように包む闇を美しいと思った。
彼を残して立ち去る仲間たちの姿が思い浮かんだ。
仲間たちは、彼を、罰として、ここに置き去りにした。
けれど、これは、罰なんかじゃない。
これこそ、彼にとっての、最後の祝福だった。
人間には聞こえない動物たちの声を聞き、
人間には理解されない動物たちの言葉と戯れ人間のいない動物の世界に安らいできた彼が最後に見出した、
人間たちに拒絶され、動物たちの最後の姿が彼を迎え入れてくれる場所、そこが、彼の本当の安息の場所だった。
最初から、こうするべきだったのだ。
彼を理解しない人間に背を向けて彼にしか理解できない世界に、動物たちの世界に、彼は、帰るべきだったのだ。
彼は、美しいと月と星の空を仰いだ。
人間のいない世界を美しいと思った。
人間がいないからこそ世界は、人間がいなくなって初めて美しくなったと思った。
人間がいない世界には憎しみも対立も殺戮も、血も叫喚もなかった。
人間さえいなければ孤独はあっても疎外は存在しなかった。
人間さえいなければ世界は平和で美しく調和を保っていた。
人間がいない世界にはまた愛もなかったかもしれなかったが彼はそのことに気がつかなかった。
彼は、人間たちに捨てられた死の谷の底で、月しか彼を見ていない闇の底で、
生を終えた動物たちの白い骨が彼の生の終わりを待つ場所で、
月と、星と、風と、闇と、死の中でひとり、人間のいない美しい世界を彷徨っていた。
・
ある少女がある村にいた。
少女は、不思議な力を持っていた。
遠くのことが聞こえ、遠くのものが見えた。
動物たちの言葉も聴くことができた。
でもそんな少女を、村人たちは、無邪気なうそつきだと思って、ほほえましく見守っていた。
誰にも同じ世界を分かち合えない少女が、唯一心を開ける人は、祖父だけだった。
祖父は村の首長だった。
少女は首長の孫娘だった。
だから村人は、誰にも理解できない少女を、大目に見ていた。
祖父は偉大だった。
人々の偉大な指導者だった。
祖父なら、自分に理解できないことだからといって、
少女の言葉を、単なる戯れだとか、うそだとか、本当ではないものだなどといって、
自分に理解できないものと向き合うことから逃げるような卑怯なことはするまい。
少女は偉大な首長の祖父を信じていた。
少女が唯一、少女の不思議な力の秘密を、物語のようにして打ち明けられるのは祖父だけだった。
ある日、少女の目に、村に向かってくる敵が見えた。
村を滅ぼそうとする敵の歓呼の声が聞こえた。
動物たちが啼く警告の声が鋭く耳をさした。
少女は走った。
村人に?
だめ、信じてもらえない。
首長の孫というだけで大目に見てもらってるだけなんだから。
祖父に。
おじいちゃんなら、わたしを信じてくれる、わたしを信じるように、村のみんなに言ってくれる。
村のみんなを助けてくれる。
少女は息せき切って祖父の小屋に走りこみ、伝えた。
大変なの、敵が攻めてくる、動物たちも、みんな、あぶないっていってる。
少女は訴えた。
わたしを信じて、わたしの言葉を信じて、
わたしの言葉を聴いて、わたしの声を聞いて、みんなを助けて。
おじいちゃんなら、わたしを信じてくれる、わたしを信じて・・・・・・。
必死に訴える少女から、祖父がふっと目をそらしたとき少女は、真実の絶望というものを体中で味わった。
祖父は、そんな縁起でもないうそはやめなさい、と少女を静かにたしなめた。
自分を分かっていない子供に対応する、何が正しいかを分かっている、大人の態度だった。
祖父の目には、少女への、静かな失望が揺れていた。
少女は、真っ暗な穴の中に、墜落していった。
祖父の家から、振り向き、ゆっくりと、出て行った。
今は長閑な村の小道を歩いていった。
途中ですれ違った村の女に少女は長閑に話しかけた。
ねえ、わたし、聞いたの、見たの、あの敵の村が、今からこの村に攻めてこようとしてる、
だから、今すぐみんな逃げないと、みんな、死んでしまう、動物たちも、気をつけなさい、って、いってた。
女は少女に長閑に微笑み返した。
まあ、今度はそんなお話を思いついたの?あなたは動物とも話せるのね?楽しそうでいいわね。
少女は笑い返した。
うん、そうなの、そんなお話を思いついたの、女と少女は笑って手を振り分かれた。
同じ言葉を話してても、言葉が不和になれば、言葉が信じてもらえなければ同じ村にいても、あの敵の村のように、敵同士の村のように、
わたしたちは、今、ここにいて、こんなにも隔てられることができる。
同じ言葉をしゃべり、同じ村に住みながら、言葉の通じるもの同士との、不和と、敵対と、
異なる言葉を話し、異なる村に住み、言葉の通じないものとの、不和と、敵対と、どちらが正当なのだろうか。
陽を浴びて屈託なく輝いている女の顔を見て、同じ陽の光を浴びても自分の中で目の前のこの女には想像も理解もできまい、
黒々としたものが自分の中に渦巻いているのを感じながら、少女は悟った。
・
それは、言葉が通じるもの同士、同じ圏内にいるもの同士は、味方の村同士、という前提で成り立っていた信頼が、壊れた瞬間だった。
山向こうの敵の村が、言葉が違うから、習慣が違うから、敵になるように、
同じ共同体内部で、すべてを理解しているわけではない人間同士の、
不可解の領域、未知の他者としての領域、理解の及ばない人間内部の闇が、
互いの暗黙の了解の前提で成り立っていた信頼を壊し、不信感の亀裂が走り、不和へと、対立へと、戦争へと繋がらないことがあるだろうか。
言葉が通じるかどうかが、味方の証なのではない、言葉を信じ合えるかどうか、言葉を疑わずにいられるかどうか、
常に言葉を吟味し、言葉を模索する努力の中でしか、本当の信頼を繋ぐ共同体ではないし、
本当の信頼がない村は、いつでも、敵同士の村になりうる。
みんなが、同じ現実を共有している、という、根拠のない信頼、そこを破り、少女は、はみ出てしまった。
みんなと同じ現実を共有していない自分を発見してしまった。
そして、戦争とは、敵とは、敵国とは、異なる言語、異なる習慣を持った、山や海の向こう、境界を隔てた向こう側にあるものではなく、
同じ現実を共有している、という幻想の信頼感を破り、向こう側へ行ってしまった者との間に横たわった境界を隔てて生じる、
不信感から生まれるのだということを知った。
誰もが同じ現実を共有しているなどという根拠を、どこに見つければいいのか。
それは幻想に基づいた、幻想の信頼感でしかない。
幻想の信頼感だから、いつどこのほころびから裂け目が生じていつ向こう側の住人になってしまうかわからない。
そして、幻想のほころびは、境界を引いて山や海の向こうにいる人間よりも、
今、ここ、自分たちのすぐ側に、隣にいる人間の中にこそ、見つけやすいものだということも。
何よりも敵になりやすい人間とは、姿の見えない他者ではなく、今、ここ、共同体の中、すぐ隣の人間の中、
みんなとは、自分とは異なる現実を認識をしている他者。
共同体の共通認識を外れ、境界の外に身を置いた他者、みんなと同じ現実を認識するのをやめて、
みんなと同じ約束の中にいることを破って、境界の外へ出て行ってしまった、みんなと同じ信頼を共有できなくなった、すぐそこにいる、他者なのだ。
共同体のみんなにとって同じ現実の同じ共通認識という幻想の上に成り立っていた約束を破り、
「みんなにとって同じ現実」の裏側にある、もうひとつの現実の真実を知ってアウトサイドしてしまった少女は、
人間が、人間の中でたったひとりになったときにしか知ることができないものを、たったひとり、そこで、知った。
今は長閑な村人たちの歓声を少女の耳が素通りしていった。
今は長閑な村の青空を、少女は、最後に、振り仰いだ。
少女は、最後まで少女を信じなかった村人たちと少女の最後の信頼を打ち砕いた祖父とともに、燃え盛る村とともに、命滅んだ。
・炎の揺らめきの向こうで、少女の最後の信頼が断ち切れた祖父の目があった。
祖父の目に、炎とともに揺らめくものを少女は見た。
少女を信じなかった祖父の、偉大な指導者としてのプライドによる、後悔、恥。
そんなものは少女は見たくはなかった。
祖父が後悔し、恥じているので、少女は、初めて、大好きな祖父、村で唯一信頼していた祖父を、憎んだ。
大好きな祖父が、自分のせいで、自分を恥じている姿など、見たくなかった。
大好きな祖父のプライドをずたずたにしたのは、自分なのだ、偉大な指導者としての祖父のプライドを汚したのは、自分なのだ、
祖父を、村、村人全てを滅ぼした裏切り者にしたのは、自分なのだ、
何も知らなければ、祖父は、裏切り者にならずに済んだ、自分を恥じなくて済んだ、
それなのに、わたしが、祖父に不完全な情報を与えてしまったために、祖父を、知っていたことをしなかった、裏切り者にしてしまった、
全ては、自分のせいなのだ・・・・・
少女と祖父の、全ての後悔の念とともに、全ては、焼き尽くされた。
・
彼はその村で、孤独だった。
彼に村人たちは、よそよそしかった。
彼は、気のせいだ、と自分に言い続けていた。
彼が、ほかの子供のように親に甘えると、親が身を固くした。
やんわりと、抵抗の気配が伝わってきた。
彼は、ほかの家族から離れて、一人でいるようになった。
彼は、ほかの村人たちとも、毛色がちがっていた。
どこがどう、とはいえない、村人たちが彼を避ける空気、彼がまとう空気が、村人たちと、なじむことができなかった、
家族とも、村人たちとも、彼は、水に沈んだ石ころのように、異物である自分を感じさせられていた。
彼は、恐怖にとらわれるようになった。
村人たちと違う自分は、家族とすら違う自分は、そのうち、村人たちに、家族たちに、
排斥されるのではないか、殺戮されるのではないか。
多数からの疎外感は孤立感を生み、孤立感は恐怖心を生み、恐怖心は、憎悪を生んだ。
やつらが俺の敵だというのなら、やられるまえに、やらなければ・・・・
時折、衝動的な殺戮衝動に衝かれる、そういう自分を、彼は最も恐れた。
17歳のときだった。
17歳になったら、おまえに話そうと思っていたことがある。
親は彼を呼んだ。
彼は、何かが自分の中で、ゆっくりと形をなしてくるのを感じた。
親は言う。
お前は、わたしたちの本当の子供ではない。
本当の親は?
彼は問う。
ずっとひとりぼっちだった、俺の本当の親は?
どこにやったんだ。
彼の目の前の親に言う。
お前の親は、わたしたちの敵の村の人間だった。
わたしたちは、17年前、その村に攻め入り、村を滅ぼした。
女、子供、男、動物、一人残らず村人を殺戮し命ひとつ残らないように、完全に、その村を滅ぼした。
彼らは油断していた、わたしたちは奇襲をかけ、わたしたちは勝利した。
焦土と化した村を歩いているとき、赤子の泣き声がした。
赤子が一人、焦土の中で、殺戮の中で、生き残っていた。
わたしたちの首長は、赤子を殺そうとした。
そのころ夫婦になっていたわたしたちは、それを止めた。
わたしたち夫婦には、まだ子供ができません、
どうかその子供を、わたしたちに育てさせてください。
首長は受け入れた。
わたしたちは、その焦土の中で、殺戮の中で啼く赤子を、抱いた。
わたしたちにこどもができなかったから、その赤子がほしかったのも事実、
また、わたしたちとは違う人間、わたしたちの村とは違う、異種の人間がどのように育つのか、わたしたちと同じ姿に育つのか、
それを見てみたかった、首長はそのためにお前を育てることを許した、お前は、わたしたちの、村の、実験だった。
親は言った。
彼は、自分の周りの空気が、きりきりと渦巻いていくのを感じた。
彼の目は見ていた。
彼の仲間が、本当の仲間が、目の前の親に今まで彼とともに育ってきた村人たちに、陵辱され、殺戮されていくのを。
彼の耳は聞いていた。
彼の親が、首を切り落とされ、叫び声すら、血海にかき消されたのを。
彼の本当の故郷が、目の前の親に燃やされるのを、彼の本当の仲間が、今までともに育ってきた村人たちに、殺されていくのを。
・
一瞬後、彼は、すばやくナイフを抜いて、目の前の親の首に深々とつきたて横に引き、血飛沫をあげた。
声を上げる暇は与えなかった、つづいて、もうひとり、彼の実の親を葬ったのと同じ手法で、目の前の親を葬ってやる、
彼の実の仲間を葬ったのと同じ方法で今までの彼の仲間を葬ってやるしかない。
それが、今、彼にできる唯一の、故郷への帰路にしかならない。
最初から、時のかなたに、故郷も、仲間も、居場所も、家族も全てを奪われ、失っていた彼が、
唯一できるあの失われた時間への帰郷の方法は、それしかない。
彼は目の前にいた親をふたり血祭りにあげるとゆらりと立ち上がり、血まみれのナイフを下げていつもと変わりない長閑な村の風景の中に出た。
いつもと変わりない長閑なむらの風景の中にいた村人たちは彼の姿に気がつくいとまもなく、気がついても、長閑な反応しかせず、
(やあ、牛の解体でもしてたのかい?)次々に彼の凶刃に倒れた。
彼は出会う村人を片っ端から殺戮していった。
村人ひとりひとりの命を奪う分だけ彼がこの村人の命に奪われた、あの日の時間に、彼の本当の故郷に、
本当の家族の命の下に、戻っていける気がした。
命をあがなうものは命しかなく、時間をあがなうのは時間しかない。
彼の時間と、彼の真実と、彼の本当の居場所を奪った村人の命と時間であがなうことで彼が奪われていたものを、取り戻すしかない。
取り戻すしか、方法はないのだ、
最初から、ここになど居場所のなかった彼が、ここになど、本当の親も家族も仲間もいなかった彼が、
唯一、彼の本当の居場所、本当の仲間、家族、親を慕う、彼自身を、取り戻すためには。
目の前の親と、今までともに育ってきた仲間と、ここに居場所らしきものを構えてきた村に、
今まで、彼から奪ってきたものを、取り戻すためには。
彼自身であるためには。
彼の本当の故郷に忠誠を抱き、彼自身のルーツに忠実であるためには彼を欺き、彼から奪ってきたこの敵の村を、滅ぼすしかないのだ。
かれはいつしか、累々と倒れる人間の屍と血海の中に、ひとりで立ち尽くしていた。
17年間、村の中で、家族の中で、今までずっとそうだったように、
彼を理解する言語を持たない、黙す人間の屍の中に、たったひとりで、立ち尽くしていた。
どこへも行くこともできず、どこへも帰ることもできずに。
・
そこまで夢想して、彼は目覚めた。
目の前では相変わらず、今までのように話は終わったとばかりに、彼の心中に頓着しない親が、やれやれと腰を上げていた。
彼の中では疾風が渦巻いて、彼自身はきりきりと吹き飛ばされそうだった。
殺さなくては。
今すぐに。
この親だと自分を欺いてきた、この親を、この村を。
でなければ、帰れなくなってしまう、どこにも、帰れなくなってしまう。
本当の仲間を裏切ってしまう、仲間を殺したこの村と本当の親を殺して、俺の親になり済ましてきたこの親を許すことは、
自身が、自分の村を滅ぼしたこの村に、寝返ることになる、本当の親と、本当の仲間と、本当の故郷を、裏切ることになる、
今、ここで、すぐ、殺さなければ・・・・・・
もうどこにも帰ることも、いくこともできなくなる。
自分のルーツである故郷への忠誠にも、この偽りの村にも、どこにもいけなくなる。
だけど、彼は、指一本、動かさなかった。
彼は立ち上がることさえできなかった。
そして彼はそのまま、どこにもいくことができなかった。
彼の目の前で、殺戮される、親、家族、仲間、村が見え、彼自身が殺戮している、親、村、村人たち、仲間たち、が見えた。
そして、その間には、17年という、時間が流れていた。
17年、彼を欺き、彼を阻害し、彼を異物にした、17年、彼から奪い続けた、村人、親、村、
17年前の復讐をするために、17年前に失われた故郷と家族に帰るために、17年間、親と思い込み、仲間と思い込み、故郷と思い込んできた時間を、
彼は、彼のまやかしのルーツを、破壊することが、できなかった。
一度奪われた故郷を、今度は、故郷を破壊することで、取り戻すことは彼には、できなかった。
一度殺された親を、今度は、親を殺すことによって取り戻すことは、彼には、できなかった。
彼は裏切り者、彼は臆病者、彼は寝返り、本当の親を、仲間を、村を、故郷を裏切り、欺き、彼自身のルーツを欺き、彼自身を、裏切った。
それ以来、彼は、彼自身として生きることができなくなった。
17年間欺かれた彼は、その後の人生を、自分自身を欺きながら彼を欺き続けた村で、死ぬまで生きた。
彼は、死ぬまで、死んだように生きた。
・
そんな話が、むかし、あった。
わたしである彼らは、何万年もの時間と空間の彼方から問う。
人間は醜い、人間は愚かだ、人間は汚い、人間は憎む、人間は殺す、
人間がいると争いが起きる、人間が人間を滅ぼす、人間は人間によって滅びる、
そんな人間をどうやったら信じられるのか、今、ここにいるわたしは、今もまだ、知らない。
戦争と、殺戮と、不信の人間の歴史を歩みながら何万年もの時間と空間を経て、今、ここにいるわたしが、
見つけられない問いの答えを、未来のわたしなら見つけられるのか、わたしは、知らない。
共同体の信頼関係からはぐれ、仲間、居場所、家族、家を失くして、彷徨い、
何万年もの時間と空間を、家路を失い、迷子になった彼らは、今もなお、安息の地を、知らないのだ、今もなお、漂流者なのだ。
・
この話をわたしにした初対面の女性の前に座るときこの状況の馬鹿馬鹿しさを表現するため、
初めての状況への怖さのため、まず嘲笑の表情を作ろうとして、彼女が話を始めた瞬間、それは抑えようのない嗚咽に歪んだ。
彼女が話し続ける20分の間馬鹿馬鹿しい嘲笑から、自分の反応が不可解な動揺へ、
そして完全に気持ちを飲み込まれた号泣に変わり、からだが二つ折りになるような慟哭のために、
その後の20分間、顔を上げて、彼女と顔をあわせることもできなかった。
彼女の話は、わたしの忘れられた夢を物語り、わたしの中に何万年もの時間と空間を経て、
忘れられ置き去りにされていた彼らの記憶を物語った。
彼女が話を終えるとき、彼女は、
「・・・・さんは、間違ってはいなかった。・・・さんは、正しかった。」
そういって、わたしはまた、慟哭した。
20分後、ぐったりと深い涙の底から彼女と目を合わせ、彼女の話が続いていた20分間、
わたしの中に埋もれていた、遥かな時間と空間を超えた物語を共に歩んだ同士をわたしは今、初めて見つめ、
「初めまして・・・ただいま」
口走ったわたしを、彼女は、あけっぴろげな笑顔で迎えた。
「おかえりなさい。」
物語の空白の中に置き去られていた真実を取り戻し、帰還したわたしを祝福した。
わたしの、夢であり、忘れられた記憶であり、刻の向こうの物語であるものを、
初対面のある女性が、ある時、わたしにした話、
ある、むかし話、ある物語、ある夢、時間の彼方に忘れられたある記憶の物語。
・
彼は、ある村の青年だった。
彼は、動物の言葉が分かる青年だった。
鳥の言葉、蛇の言葉、牛の言葉、いのししの言葉、くまの言葉、動物たちの魂と、
彼の魂は、時間と空間を超えて触れ合い、戯れていた。
でも誰も、彼を理解しなかった。
彼は村で排除されていた。
ある日、彼は動物たちの言葉を聴いた。
彼の村と敵対しているグ村の集団が、ここに攻めてくる。
彼は村に走った。
彼は村人たちに伝えた、動物たちの言葉を。
逃げろ、と叫んだ。
彼は仲間を愛していた。
ここは彼の居場所、ここは彼の家だった。
逃げろ、生き延びろ、生き抜け、生きろ、死ぬな、助かってくれ、彼は仲間に叫んだ。
村人は、誰一人、彼を信じなかった。
彼を哂った、彼を白い目で見た、彼を責めた。
彼をうそつきと責めた。
彼は愕然とした、彼の居場所の、家の、家族の死を、座して待つしかない。
彼の村を滅ぼすために、別の村の集団が彼の村を蹂躙しに来たとき、
彼は、燃え盛り、蹂躙され、殺戮される、かつての仲間たちを見て、彼は、あきらめ、怒り、おおいにせせら笑った。
・・・・・・・馬鹿どもが。
いい気味だ、いい薬なのだ、思い知るがいい。
何を聞くべきで、何を聞くべきでないか、自分を過信したものの末路を、
彼の言葉に耳を貸さなかったものの末路を、とくと味わうがいい。
彼を嘲笑し、責め、排斥した、今は殺戮されている村人たちは、もはやもう、彼の仲間などではなかった、
かつての仲間たちが蹂躙されるのを見て、彼は、溜飲を下げていた、ざまあみろ、と思っていた、
燃え盛る村の家々は、彼の中で燃え盛る業火だった。
彼は、仲間たちを殺戮している、敵の感情そのものだった。
彼は泣いた。
殺戮され、燃え上がり、滅んでいくかつての自分の村と、かつては結ばれていた仲間たちのとの信頼が自分の中でも滅んでいくのを感じて。
その後生き残った村人たちによって彼は、裁きを受けた。
なぜ敵が攻めてくるのを事前に知ることができたのか、彼は最初から敵の人間だったのだ。
彼は村から、仲間から追放された。
彼は裁きを受けた村人が追放される「死の谷」に追放された。
そこは動物たちの墓場だった。
人間から人間であることを追放された人間の墓場でもあった。
彼を死の谷に突き落として村人たちは、焦土と化した村をもう一度再建するために彼をひとり、闇の底に残して去った。
彼は、生を終えた動物たちの屍骸が月に白々と浮かび上がる闇の底で、
まだその生を終えておらずとも、早くその生を終えることを期待されて、
動物たちの屍骸とともにここに残された死の谷に、うずくまった。
彼は思った。
美しいと思った。
世界を美しい、と思った。
闇の底から浩々と闇を白く照らす月を見上げ、美しいと思った。
何百という星が闇夜にちりばめられているのを見て、美しいと思った。
囁くように闇夜をわたり、今は誰も触れなくなった彼の肌にそっと触れる風を、美しい、と思った。
ひとりぼっちの彼を毛布のように包む闇を美しいと思った。
彼を残して立ち去る仲間たちの姿が思い浮かんだ。
仲間たちは、彼を、罰として、ここに置き去りにした。
けれど、これは、罰なんかじゃない。
これこそ、彼にとっての、最後の祝福だった。
人間には聞こえない動物たちの声を聞き、
人間には理解されない動物たちの言葉と戯れ人間のいない動物の世界に安らいできた彼が最後に見出した、
人間たちに拒絶され、動物たちの最後の姿が彼を迎え入れてくれる場所、そこが、彼の本当の安息の場所だった。
最初から、こうするべきだったのだ。
彼を理解しない人間に背を向けて彼にしか理解できない世界に、動物たちの世界に、彼は、帰るべきだったのだ。
彼は、美しいと月と星の空を仰いだ。
人間のいない世界を美しいと思った。
人間がいないからこそ世界は、人間がいなくなって初めて美しくなったと思った。
人間がいない世界には憎しみも対立も殺戮も、血も叫喚もなかった。
人間さえいなければ孤独はあっても疎外は存在しなかった。
人間さえいなければ世界は平和で美しく調和を保っていた。
人間がいない世界にはまた愛もなかったかもしれなかったが彼はそのことに気がつかなかった。
彼は、人間たちに捨てられた死の谷の底で、月しか彼を見ていない闇の底で、
生を終えた動物たちの白い骨が彼の生の終わりを待つ場所で、
月と、星と、風と、闇と、死の中でひとり、人間のいない美しい世界を彷徨っていた。
・
ある少女がある村にいた。
少女は、不思議な力を持っていた。
遠くのことが聞こえ、遠くのものが見えた。
動物たちの言葉も聴くことができた。
でもそんな少女を、村人たちは、無邪気なうそつきだと思って、ほほえましく見守っていた。
誰にも同じ世界を分かち合えない少女が、唯一心を開ける人は、祖父だけだった。
祖父は村の首長だった。
少女は首長の孫娘だった。
だから村人は、誰にも理解できない少女を、大目に見ていた。
祖父は偉大だった。
人々の偉大な指導者だった。
祖父なら、自分に理解できないことだからといって、
少女の言葉を、単なる戯れだとか、うそだとか、本当ではないものだなどといって、
自分に理解できないものと向き合うことから逃げるような卑怯なことはするまい。
少女は偉大な首長の祖父を信じていた。
少女が唯一、少女の不思議な力の秘密を、物語のようにして打ち明けられるのは祖父だけだった。
ある日、少女の目に、村に向かってくる敵が見えた。
村を滅ぼそうとする敵の歓呼の声が聞こえた。
動物たちが啼く警告の声が鋭く耳をさした。
少女は走った。
村人に?
だめ、信じてもらえない。
首長の孫というだけで大目に見てもらってるだけなんだから。
祖父に。
おじいちゃんなら、わたしを信じてくれる、わたしを信じるように、村のみんなに言ってくれる。
村のみんなを助けてくれる。
少女は息せき切って祖父の小屋に走りこみ、伝えた。
大変なの、敵が攻めてくる、動物たちも、みんな、あぶないっていってる。
少女は訴えた。
わたしを信じて、わたしの言葉を信じて、
わたしの言葉を聴いて、わたしの声を聞いて、みんなを助けて。
おじいちゃんなら、わたしを信じてくれる、わたしを信じて・・・・・・。
必死に訴える少女から、祖父がふっと目をそらしたとき少女は、真実の絶望というものを体中で味わった。
祖父は、そんな縁起でもないうそはやめなさい、と少女を静かにたしなめた。
自分を分かっていない子供に対応する、何が正しいかを分かっている、大人の態度だった。
祖父の目には、少女への、静かな失望が揺れていた。
少女は、真っ暗な穴の中に、墜落していった。
祖父の家から、振り向き、ゆっくりと、出て行った。
今は長閑な村の小道を歩いていった。
途中ですれ違った村の女に少女は長閑に話しかけた。
ねえ、わたし、聞いたの、見たの、あの敵の村が、今からこの村に攻めてこようとしてる、
だから、今すぐみんな逃げないと、みんな、死んでしまう、動物たちも、気をつけなさい、って、いってた。
女は少女に長閑に微笑み返した。
まあ、今度はそんなお話を思いついたの?あなたは動物とも話せるのね?楽しそうでいいわね。
少女は笑い返した。
うん、そうなの、そんなお話を思いついたの、女と少女は笑って手を振り分かれた。
同じ言葉を話してても、言葉が不和になれば、言葉が信じてもらえなければ同じ村にいても、あの敵の村のように、敵同士の村のように、
わたしたちは、今、ここにいて、こんなにも隔てられることができる。
同じ言葉をしゃべり、同じ村に住みながら、言葉の通じるもの同士との、不和と、敵対と、
異なる言葉を話し、異なる村に住み、言葉の通じないものとの、不和と、敵対と、どちらが正当なのだろうか。
陽を浴びて屈託なく輝いている女の顔を見て、同じ陽の光を浴びても自分の中で目の前のこの女には想像も理解もできまい、
黒々としたものが自分の中に渦巻いているのを感じながら、少女は悟った。
・
それは、言葉が通じるもの同士、同じ圏内にいるもの同士は、味方の村同士、という前提で成り立っていた信頼が、壊れた瞬間だった。
山向こうの敵の村が、言葉が違うから、習慣が違うから、敵になるように、
同じ共同体内部で、すべてを理解しているわけではない人間同士の、
不可解の領域、未知の他者としての領域、理解の及ばない人間内部の闇が、
互いの暗黙の了解の前提で成り立っていた信頼を壊し、不信感の亀裂が走り、不和へと、対立へと、戦争へと繋がらないことがあるだろうか。
言葉が通じるかどうかが、味方の証なのではない、言葉を信じ合えるかどうか、言葉を疑わずにいられるかどうか、
常に言葉を吟味し、言葉を模索する努力の中でしか、本当の信頼を繋ぐ共同体ではないし、
本当の信頼がない村は、いつでも、敵同士の村になりうる。
みんなが、同じ現実を共有している、という、根拠のない信頼、そこを破り、少女は、はみ出てしまった。
みんなと同じ現実を共有していない自分を発見してしまった。
そして、戦争とは、敵とは、敵国とは、異なる言語、異なる習慣を持った、山や海の向こう、境界を隔てた向こう側にあるものではなく、
同じ現実を共有している、という幻想の信頼感を破り、向こう側へ行ってしまった者との間に横たわった境界を隔てて生じる、
不信感から生まれるのだということを知った。
誰もが同じ現実を共有しているなどという根拠を、どこに見つければいいのか。
それは幻想に基づいた、幻想の信頼感でしかない。
幻想の信頼感だから、いつどこのほころびから裂け目が生じていつ向こう側の住人になってしまうかわからない。
そして、幻想のほころびは、境界を引いて山や海の向こうにいる人間よりも、
今、ここ、自分たちのすぐ側に、隣にいる人間の中にこそ、見つけやすいものだということも。
何よりも敵になりやすい人間とは、姿の見えない他者ではなく、今、ここ、共同体の中、すぐ隣の人間の中、
みんなとは、自分とは異なる現実を認識をしている他者。
共同体の共通認識を外れ、境界の外に身を置いた他者、みんなと同じ現実を認識するのをやめて、
みんなと同じ約束の中にいることを破って、境界の外へ出て行ってしまった、みんなと同じ信頼を共有できなくなった、すぐそこにいる、他者なのだ。
共同体のみんなにとって同じ現実の同じ共通認識という幻想の上に成り立っていた約束を破り、
「みんなにとって同じ現実」の裏側にある、もうひとつの現実の真実を知ってアウトサイドしてしまった少女は、
人間が、人間の中でたったひとりになったときにしか知ることができないものを、たったひとり、そこで、知った。
今は長閑な村人たちの歓声を少女の耳が素通りしていった。
今は長閑な村の青空を、少女は、最後に、振り仰いだ。
少女は、最後まで少女を信じなかった村人たちと少女の最後の信頼を打ち砕いた祖父とともに、燃え盛る村とともに、命滅んだ。
・炎の揺らめきの向こうで、少女の最後の信頼が断ち切れた祖父の目があった。
祖父の目に、炎とともに揺らめくものを少女は見た。
少女を信じなかった祖父の、偉大な指導者としてのプライドによる、後悔、恥。
そんなものは少女は見たくはなかった。
祖父が後悔し、恥じているので、少女は、初めて、大好きな祖父、村で唯一信頼していた祖父を、憎んだ。
大好きな祖父が、自分のせいで、自分を恥じている姿など、見たくなかった。
大好きな祖父のプライドをずたずたにしたのは、自分なのだ、偉大な指導者としての祖父のプライドを汚したのは、自分なのだ、
祖父を、村、村人全てを滅ぼした裏切り者にしたのは、自分なのだ、
何も知らなければ、祖父は、裏切り者にならずに済んだ、自分を恥じなくて済んだ、
それなのに、わたしが、祖父に不完全な情報を与えてしまったために、祖父を、知っていたことをしなかった、裏切り者にしてしまった、
全ては、自分のせいなのだ・・・・・
少女と祖父の、全ての後悔の念とともに、全ては、焼き尽くされた。
・
彼はその村で、孤独だった。
彼に村人たちは、よそよそしかった。
彼は、気のせいだ、と自分に言い続けていた。
彼が、ほかの子供のように親に甘えると、親が身を固くした。
やんわりと、抵抗の気配が伝わってきた。
彼は、ほかの家族から離れて、一人でいるようになった。
彼は、ほかの村人たちとも、毛色がちがっていた。
どこがどう、とはいえない、村人たちが彼を避ける空気、彼がまとう空気が、村人たちと、なじむことができなかった、
家族とも、村人たちとも、彼は、水に沈んだ石ころのように、異物である自分を感じさせられていた。
彼は、恐怖にとらわれるようになった。
村人たちと違う自分は、家族とすら違う自分は、そのうち、村人たちに、家族たちに、
排斥されるのではないか、殺戮されるのではないか。
多数からの疎外感は孤立感を生み、孤立感は恐怖心を生み、恐怖心は、憎悪を生んだ。
やつらが俺の敵だというのなら、やられるまえに、やらなければ・・・・
時折、衝動的な殺戮衝動に衝かれる、そういう自分を、彼は最も恐れた。
17歳のときだった。
17歳になったら、おまえに話そうと思っていたことがある。
親は彼を呼んだ。
彼は、何かが自分の中で、ゆっくりと形をなしてくるのを感じた。
親は言う。
お前は、わたしたちの本当の子供ではない。
本当の親は?
彼は問う。
ずっとひとりぼっちだった、俺の本当の親は?
どこにやったんだ。
彼の目の前の親に言う。
お前の親は、わたしたちの敵の村の人間だった。
わたしたちは、17年前、その村に攻め入り、村を滅ぼした。
女、子供、男、動物、一人残らず村人を殺戮し命ひとつ残らないように、完全に、その村を滅ぼした。
彼らは油断していた、わたしたちは奇襲をかけ、わたしたちは勝利した。
焦土と化した村を歩いているとき、赤子の泣き声がした。
赤子が一人、焦土の中で、殺戮の中で、生き残っていた。
わたしたちの首長は、赤子を殺そうとした。
そのころ夫婦になっていたわたしたちは、それを止めた。
わたしたち夫婦には、まだ子供ができません、
どうかその子供を、わたしたちに育てさせてください。
首長は受け入れた。
わたしたちは、その焦土の中で、殺戮の中で啼く赤子を、抱いた。
わたしたちにこどもができなかったから、その赤子がほしかったのも事実、
また、わたしたちとは違う人間、わたしたちの村とは違う、異種の人間がどのように育つのか、わたしたちと同じ姿に育つのか、
それを見てみたかった、首長はそのためにお前を育てることを許した、お前は、わたしたちの、村の、実験だった。
親は言った。
彼は、自分の周りの空気が、きりきりと渦巻いていくのを感じた。
彼の目は見ていた。
彼の仲間が、本当の仲間が、目の前の親に今まで彼とともに育ってきた村人たちに、陵辱され、殺戮されていくのを。
彼の耳は聞いていた。
彼の親が、首を切り落とされ、叫び声すら、血海にかき消されたのを。
彼の本当の故郷が、目の前の親に燃やされるのを、彼の本当の仲間が、今までともに育ってきた村人たちに、殺されていくのを。
・
一瞬後、彼は、すばやくナイフを抜いて、目の前の親の首に深々とつきたて横に引き、血飛沫をあげた。
声を上げる暇は与えなかった、つづいて、もうひとり、彼の実の親を葬ったのと同じ手法で、目の前の親を葬ってやる、
彼の実の仲間を葬ったのと同じ方法で今までの彼の仲間を葬ってやるしかない。
それが、今、彼にできる唯一の、故郷への帰路にしかならない。
最初から、時のかなたに、故郷も、仲間も、居場所も、家族も全てを奪われ、失っていた彼が、
唯一できるあの失われた時間への帰郷の方法は、それしかない。
彼は目の前にいた親をふたり血祭りにあげるとゆらりと立ち上がり、血まみれのナイフを下げていつもと変わりない長閑な村の風景の中に出た。
いつもと変わりない長閑なむらの風景の中にいた村人たちは彼の姿に気がつくいとまもなく、気がついても、長閑な反応しかせず、
(やあ、牛の解体でもしてたのかい?)次々に彼の凶刃に倒れた。
彼は出会う村人を片っ端から殺戮していった。
村人ひとりひとりの命を奪う分だけ彼がこの村人の命に奪われた、あの日の時間に、彼の本当の故郷に、
本当の家族の命の下に、戻っていける気がした。
命をあがなうものは命しかなく、時間をあがなうのは時間しかない。
彼の時間と、彼の真実と、彼の本当の居場所を奪った村人の命と時間であがなうことで彼が奪われていたものを、取り戻すしかない。
取り戻すしか、方法はないのだ、
最初から、ここになど居場所のなかった彼が、ここになど、本当の親も家族も仲間もいなかった彼が、
唯一、彼の本当の居場所、本当の仲間、家族、親を慕う、彼自身を、取り戻すためには。
目の前の親と、今までともに育ってきた仲間と、ここに居場所らしきものを構えてきた村に、
今まで、彼から奪ってきたものを、取り戻すためには。
彼自身であるためには。
彼の本当の故郷に忠誠を抱き、彼自身のルーツに忠実であるためには彼を欺き、彼から奪ってきたこの敵の村を、滅ぼすしかないのだ。
かれはいつしか、累々と倒れる人間の屍と血海の中に、ひとりで立ち尽くしていた。
17年間、村の中で、家族の中で、今までずっとそうだったように、
彼を理解する言語を持たない、黙す人間の屍の中に、たったひとりで、立ち尽くしていた。
どこへも行くこともできず、どこへも帰ることもできずに。
・
そこまで夢想して、彼は目覚めた。
目の前では相変わらず、今までのように話は終わったとばかりに、彼の心中に頓着しない親が、やれやれと腰を上げていた。
彼の中では疾風が渦巻いて、彼自身はきりきりと吹き飛ばされそうだった。
殺さなくては。
今すぐに。
この親だと自分を欺いてきた、この親を、この村を。
でなければ、帰れなくなってしまう、どこにも、帰れなくなってしまう。
本当の仲間を裏切ってしまう、仲間を殺したこの村と本当の親を殺して、俺の親になり済ましてきたこの親を許すことは、
自身が、自分の村を滅ぼしたこの村に、寝返ることになる、本当の親と、本当の仲間と、本当の故郷を、裏切ることになる、
今、ここで、すぐ、殺さなければ・・・・・・
もうどこにも帰ることも、いくこともできなくなる。
自分のルーツである故郷への忠誠にも、この偽りの村にも、どこにもいけなくなる。
だけど、彼は、指一本、動かさなかった。
彼は立ち上がることさえできなかった。
そして彼はそのまま、どこにもいくことができなかった。
彼の目の前で、殺戮される、親、家族、仲間、村が見え、彼自身が殺戮している、親、村、村人たち、仲間たち、が見えた。
そして、その間には、17年という、時間が流れていた。
17年、彼を欺き、彼を阻害し、彼を異物にした、17年、彼から奪い続けた、村人、親、村、
17年前の復讐をするために、17年前に失われた故郷と家族に帰るために、17年間、親と思い込み、仲間と思い込み、故郷と思い込んできた時間を、
彼は、彼のまやかしのルーツを、破壊することが、できなかった。
一度奪われた故郷を、今度は、故郷を破壊することで、取り戻すことは彼には、できなかった。
一度殺された親を、今度は、親を殺すことによって取り戻すことは、彼には、できなかった。
彼は裏切り者、彼は臆病者、彼は寝返り、本当の親を、仲間を、村を、故郷を裏切り、欺き、彼自身のルーツを欺き、彼自身を、裏切った。
それ以来、彼は、彼自身として生きることができなくなった。
17年間欺かれた彼は、その後の人生を、自分自身を欺きながら彼を欺き続けた村で、死ぬまで生きた。
彼は、死ぬまで、死んだように生きた。
・
そんな話が、むかし、あった。
わたしである彼らは、何万年もの時間と空間の彼方から問う。
人間は醜い、人間は愚かだ、人間は汚い、人間は憎む、人間は殺す、
人間がいると争いが起きる、人間が人間を滅ぼす、人間は人間によって滅びる、
そんな人間をどうやったら信じられるのか、今、ここにいるわたしは、今もまだ、知らない。
戦争と、殺戮と、不信の人間の歴史を歩みながら何万年もの時間と空間を経て、今、ここにいるわたしが、
見つけられない問いの答えを、未来のわたしなら見つけられるのか、わたしは、知らない。
共同体の信頼関係からはぐれ、仲間、居場所、家族、家を失くして、彷徨い、
何万年もの時間と空間を、家路を失い、迷子になった彼らは、今もなお、安息の地を、知らないのだ、今もなお、漂流者なのだ。
・
この話をわたしにした初対面の女性の前に座るときこの状況の馬鹿馬鹿しさを表現するため、
初めての状況への怖さのため、まず嘲笑の表情を作ろうとして、彼女が話を始めた瞬間、それは抑えようのない嗚咽に歪んだ。
彼女が話し続ける20分の間馬鹿馬鹿しい嘲笑から、自分の反応が不可解な動揺へ、
そして完全に気持ちを飲み込まれた号泣に変わり、からだが二つ折りになるような慟哭のために、
その後の20分間、顔を上げて、彼女と顔をあわせることもできなかった。
彼女の話は、わたしの忘れられた夢を物語り、わたしの中に何万年もの時間と空間を経て、
忘れられ置き去りにされていた彼らの記憶を物語った。
彼女が話を終えるとき、彼女は、
「・・・・さんは、間違ってはいなかった。・・・さんは、正しかった。」
そういって、わたしはまた、慟哭した。
20分後、ぐったりと深い涙の底から彼女と目を合わせ、彼女の話が続いていた20分間、
わたしの中に埋もれていた、遥かな時間と空間を超えた物語を共に歩んだ同士をわたしは今、初めて見つめ、
「初めまして・・・ただいま」
口走ったわたしを、彼女は、あけっぴろげな笑顔で迎えた。
「おかえりなさい。」
物語の空白の中に置き去られていた真実を取り戻し、帰還したわたしを祝福した。



