人にものを教わるとき、反射的に身構える。
ひらがなや漢字や足し算引き算掛け算を母や父に教わりながら、
泥人形のように叩かれてた痛みが甦るから。
それが社会に出るためだ、社会で生きていくためだ、といわれながら。
特に今後、何か成果や結果を期待される立場には、もう一生立てないと思う。
今までもずっと同じことの繰り返しだったもの。
反射的に子供のとき身に着けた自己防衛反応が出るから。
「私はあなたの期待に応える能力0です」
って全力で態度に出して、相手の期待値を0にして
あきらめて、ほっとかれて、やっとほっとできる。
相手に「期待」があるから、私は「訓練」される。
そこに「期待」があるから、私は「叩かれ」る。
誰からも最初から嫌われて、関係をぶち壊してでも、何も期待されないほうが、全然マシ。
叩かれて痛みと期待に応えて作られた相手の気に入る「誰か」、
それは、わたしなの?
粘土みたいに痛みに叩かれてできた「モノ」は、誰なの?
期待されて、叩かれて、勝手に誰かの望みを押し付けられるくらいなら、
この世界に人間なんてひとりもいなくなっていい。
いつも、私がわたし以外の誰かになることが期待されている世界。
私の周りから、みんな死んじゃうくらい、誰一人いなくなったほうが、全然マシ。
そうやって、みんな大嫌い、みんな死んじゃえ、みんないなくなっちゃえ、
人間なんか滅んじゃえ、世界なんか壊れちゃえ、
ずっと、ひとりでそう祈ってきた子供だったんだから。
