黄昏の空を見つめて-10-12-20_003.jpg



「表現の自由」、「思想の自由」、「発言の自由」、「活動の自由」なんて、


社会主義国家の強制収容所以上に存在しなかった家で、


親に感情を認められなくて、それが、私の中で、


「見てはいけないもの」 「言及してはいけないもの」 「名を呼んではいけないもの」


になったとき、感情と、感情を生み出す私は切り離され、私の周りで渦巻く感情はまるで、


確固として不動にそこにあると思われた「私」を未知の海原に曳き浚う、潮流のように思われた。



だからそれ自体が生き物のような感情のうねりを私から切り離し、


名前の無い、顔の無い、私の中で独立した別人格のようになったとき、


それは、私を飲み込み、私を引きさらい、私をばらばらに打ち砕く、


名前の無い、顔の無い、


私の中にいる、忌まわしい恐るべき未知の怪物的な力、激しい本流、潮流のうねりのように思われた。



たぶん、だから、子供のときから、若干、水恐怖症なんだろうな。