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子供のとき、世界で唯一、「好意」というものに近い感情を抱くことができたのは、



7人いる母の姉妹の一人、「きよこおばさん」だけだった。



単純に、「優しい良い人」だった。


母みたいに怒らない、母みたいに怒鳴らない、母みたいに叩かない、母みたいに侮蔑しない、



それだけで、私にとって、世界で一番、唯一、好きになれた人だった。



おばさんはやわらかい声で私に話した、おばさんは私にやわらかく接した、


おばさんは私にやわらかい言葉をかけた、おばさんはよく私にお菓子やお小遣いをくれた。



子供のころ、よくおばさんの家にお泊りした。



というか、私にとっては、家族からの「避難」だったけど。



私がおばさんにとって迷惑だ、と顔をしかめる母を尻目に、



私が、迷惑な存在だというのは、いちいち説明する必要もないくらい自明なことだけど、


私は、母のもとから、あの家庭から、あの家族から逃げずにはいられなくて、



おばさんの家を避難所にしていた。



おばさんは私に、一食分、魚一匹とか、目玉焼き一つとか、野菜炒め一握りくらいのおかずと、



スズメの涙くらいのご飯しかよそわない母と違って、



いつも山盛りの賑やかな食卓を用意して、山盛りのカレーやおいしいご飯を出してくれて、



けれど、いつも胃に重さと吐き気を抱えていた私は、それを元気に平らげたかったのだけど、



殆ど残してしまって、罪悪感でいっぱいになった。


おばさんには、家族の誰ともとらないスキンシップをたくさんとった。



だっこしたり、おんぶしてもらったり。

おばさんには高校生か大学生のお兄さんが二人いて、旦那さんもいて、



その人たちもおばさん同様、すべてがやわらかくできているような人たちだったけど、


私はそのひとたちにも警戒を解けなかったけれど。



何日もおばさんの家に泊まりこんで、母や父が車で迎えにきたときは、



絶望的な気持ちになった。



車でおばの家から離れるときは、実の親から、人さらいに引き離されるような気持ちだった。



いつまでも家の前で私にさよならの手を振ってくれるおばさんに、私は心の中で、



声に出せない声で叫んだ。



たすけて、おかあさん



5歳のときは、毎晩、夜、布団の中で、声を殺して泣いていた。



人さらいにさらわれた、私のものではない家族の中で、



私のものではない家の中で、



私のものではない親の中で、



「本当のお母さん」、おばさんを想って泣いた。



「おかあさん」のところに帰りたい、と泣いた。


「おかあさん」、私を迎えにきて、私をたすけて、と泣いた。



毎晩毎晩泣いた。



親にぶたれるから、絶対声を出さないようにして泣いた。



喉に声と涙を詰まらせて泣いた。



まるで存在しない幽霊のすすり泣きのように、夜の闇の中で、ひとりぼっちで、毎晩、泣いた。



おばさん、おかあさんを求めて泣いた。



寂しくて泣いた。


私が親と呼んでいるあの人たちを殺してくださいと、



神仏に手を合わせて祈る自分が耐えられなくて泣いた。




気持ちが地獄の底まで落ちたようになったとき、私はふっと、泣くのをやめた。



そこには何もなかった。



そこは全てが無意味なところだった。



私の気持ちも涙も存在も、闇に塗りつぶされて呑まれて喰われて、意味を持たないところだった。



全てが無駄だった。



そこで私は何かを知った。



何かを悟った。



私は泣かなくなった。



ただ、闇を見つめていた。



泣かないまま、夜、ただ、毎晩毎晩、闇を見つめているだけになった。





おばさんとは、会えないときは、よく手紙をやりとりした。



電話でもよく話した。



おばさんが電話をかけてくれて、長々と話した後、電話を切ることができなくて、


どっちかが電話を切るまで、ぐずぐず先延ばしにしたりした。



おばさんと電話で話してると、いつも横で母が聞き耳を立てていて、



私の話にいちいちケチをつけたり、せせら笑ったりしていた。



おばさんの手紙には、日常の日記的なものを書いた。



交換日記みたいに毎日のようにやりとりした。



時々、「ほんとうのこと」をおばさんに話したくて、喉が詰まった。



わたしを、たすけて



そういいそうになるたびに、私はわたしの口をふさいだ。



私はわたしの喉を絞めた。



言えない言葉と、誰にも見られない闇の中の涙と、押し殺された泣き声で、



私の喉は、潰れていた。



結局私は、世界で一番好きで唯一信頼している人にまで、





嘘をいい、裏切っている、という自分に耐えられなくなった。



ほんとうの声と言葉を詰まらせている私の喉が何を言っても、



それは全部、嘘で、裏切りだった。



「おばさん、○○のこと、おばさんの娘だと思ってるから・・・・」



というおばさんに、ほんとうのことを言えない自分に耐えられなくなった。



だって、ほんとうのことをいえないとは、裏切られることを先回りして予想して、



結局、おばさんのことを信じてない、ということだったから。



結局、私は、おばさんのことを、信じていなかった。




おばさんには、たくさん可愛がられた、たくさん甘えられた。



でも、甘えるということは、信じる、ということと同じではなかった。



子供好きのおばさんは、「可愛がれる一般的な子供」としてだけ、私を見ていたのであって、



私が私であることを、本当に、見つめてくれていたのだろうか。


それで、いつからか、私は、喉を使うのをやめた。



だって、私の喉は、最初から、使い道なんてなかったから、



私の喉は、最初から、存在意義なんてなかったから。




私の声を、外に出すことを禁じられた私の喉に、



存在する意味なんて、なかったから。



私は、私の喉を使うことをやめた。




私の声を出せない喉、ほんとうのことを言えない喉、



嘘しか出せない喉なんて、存在していなくてよかった、存在していないのと同じだった。



死んでいるのと同じだった。



私は親、家族、おばさんに対して、全ての扉を閉ざした。



おばさんの旦那さんが癌で亡くなっても、



私の喉は、言葉を詰まらせているままだった。



何かあったら、と携帯電話番号を渡されようとしたけど、



私の喉は、声を詰まらせたままだった。



声は何一つでなかった。



言葉は一つもでなかった。



ほんとうの声を出せない喉、ほんとうの声を出すことを禁じられ、縛られ、



言葉と声を閉じ込められた喉からは、声も言葉も、何一つ、出てこなかった。




自分の親を批判するしかない私の気持ちを、



「親もきっと大変なことがあったんだよ・・・・」



という無難な一般論で、片付けた気になる人には、



何をいっても、無駄だって、思うんだ。



結局、私、認めたくなかったんだね。



おばさんに失望したこと。



世界には、信じられる人は、一人もいない、という現実を見つめること。