朝、駅に行くたびに、毎日、1~3人、死んでる。
もしも、一日中、電車に乗っていたら、一日、どれくらいの「人身事故」をカウントするんだろう。
日光華厳の滝、東尋坊以上の自殺名所になってる、線路。
道の中で、自らの道を轢断する、この道が、どこにも行かない道だと知っているように
電車に揺られるたび思う、この私の道は、どこかに繋がってるんだろうか、この道は、どこかに行くんだろうか。
最初から、何も始まりも終わりもしないループの道なんじゃないか。
だとしたら、道そのものを壊さなければならない。
私なんて最低最悪の親を苦しめる極悪糞野郎なんだから、
通り魔に刺されてもバラバラにされてもどんな鬼畜行為されても抵抗しちゃいけないし、
笑って殺されてあげなきゃいけない、でなきゃ「いいこ」になれない、
という強迫観念に駆られていた子供時代。
だから、全ての人間が、恐怖と憎悪の対象だった。
今でも、何かあるごとに、気持ちと無関係に自動的に笑ってしまう自分が怖い。
「感情が表情を作るのではない、表情が感情を作るのだ」
といった心理学者がいたけど、
確かに、機械的に発作的に笑えば、なんか可笑しい気分にもなる。
でも、私の場合、殺される間際にも笑いそうだから、怖い。
自分の気持ちと身体と命を裏切って、笑って自分を敵に差し出す自分が、
一番の不信と恐怖と憎悪の対象だった。
自分の気持ちを裏切って笑うごとに、どんどん、自分がすりきれていくんだよ。
「ここで僕が心のままにわあわあと泣きだすことができたならばいいんだが
泣いては幼児を泣かせてしまっていけないし 僕も人がいっぱいの電車では 泣けもしないから
僕は笑いつつ苦しくて困る そういう笑いは僕には困る」
高見順 「そういう笑いは僕には困る」
電車に飛び込み自殺する人は、泣くのでも、怒るのでも、絶望することでもなく、
きっと、笑うことに疲れた人なんだと思う。
いつか、線路に献花をしに行きたいけど、電車が命をバラバラにしたように、
きっと、花もバラバラにされるね。
私も、疲れた。 笑うことに。
自分を裏切って笑う以外の感情も持てない。
花のように、バラバラになりたい。
