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小学校一年生の一年間だけ、両親の実家のある、田舎の長野に住んでいた。


そのころ、家から離れたところに、プールの娯楽施設が出来た。

赤と白の煙突のあるごみ処理場から熱を引いて温水プールにしているとのことだった。

母と父が、車で連れて来てくれた。


何の娯楽もない田舎だったので、波のプール、すべリ台のプール、

流れるプール、大小のプール、レストランもある、

それはおしゃれで、わくわくするようなところに見えた。


休日などは、近隣一帯の子供達がここに終結しているのではないかという混雑具合だった。

私達子供は、休日などはほとんど、開館から閉館まで入り浸るという中毒ぶリだった。

毎日暇さえあれば、そこに行った。

閉館1時間前でも行った。


波のプールはお気に入りだった。


浅瀬から一番深いところまであって、押し寄せる波に遊ぶ。

それが終わると、天井から、人工の雨が降ってくる。


雨は大粒で、肌を音がするほど叩いて、痛かった。

波が始まる前にアナウンスで知らされるとほとんど館内中の子供たちが

一斉に波のプールに集まって、芋洗い状態になる。


私たちはそこで毎日、体中の皮膚がふやけるまで水と戯れ、プールで遊んだ。

最初に、父が来なくなった。

最初から一緒に泳ぎもしなかったけど、プール場内一帯を見渡せる2階のレストランにいたけど、

ある時、私たちが遊んでいるところに降りてきて、自分は先に帰るから、

後で歩いて帰ってこいと言い渡して、帰った。


ちらと兄を見ると、ひやりとする勢いで、兄の顔から笑顔が滑り落ちるのが見えた。

ぞっとする気配が漂った。


父と来ていた母も、裏切られたとでもいうように父を非難したけれど、

自分も、夫の後を追った。

母は最初、プール脇のベンチに座って、私たち子供を見ていた。

一、二度だけ一緒にプールに入って泳ぎさえした。


母が一緒にプールに入ってくれたことに、私たち子供は驚喜した。

プールではしゃいでいた兄の、子供らしい笑顔を私は初めて見た。

母と一緒に遊んだ記憶があるのは、このときだけではないかと思う。


父にいたっては一度もない。

いずれこうなることはわかっていたけれど、それでも、

親がひと時でも、自分の世話を焼いてくれることが嬉しくて、

自分達の世話を焼いてくれる人になったのだというかすかな幻想にしがみつきたかったのだ。


自分が、親に関心を持たれるに足る人間だと、世話を焼かれるに足る、

よく出来た人間だという、自分へのリスペクトを、少しでも味わいたくて。

私は、でも信用してはいなかったし、母が、まるで気分を害したとでも言うように、

むっつりと何も言わず急に上がったのを見て、やっぱりと、思った。

母はプール脇のベンチから、プール場一帯を見渡せる二階のカフェテリアへ遠ざかって行った。


母はいつも逃げたがっていた。

母はそこで、見てさえいなかった。

いつも、本の頁の向こう、TV画面の向こうにいて、ここにいなかった。

私たちはもはや、楽しむどころではなかった。


水の上に顔を出して、まず、母がいるはずのところのテラス状のカフェテリアを見上げる。

自分達を置いて、母がいなくなっていたらどうしようと、

怖くて不安で何度もプールから上がり、母の元にいった。

母はその度に、プールに来ているのだから、プールで遊べ、ここには来るなと言う。

ちゃんと見てるから、と追い払われた。


私は、当然そんな言葉を信用していない。

自分たちから、もう帰るといい出したこともあった。

今にも、ここに置き去りにされそうな危さの中、親から、要らない、と言い渡されそうな恐怖の中、

この子捨て場になりうる場所から、時間の問題でしかない、

決定的な体験になりうる場所から、一刻も早く逃げたかったのだと思う。

それでも恐怖を抱きながら、強迫的に通い続けたのは、私たちは、どうしても捨てられるに違いない、

私たちは要らないに違いないという恐怖を確かめたかったからかもしれない。


本当は知っていた、知りたくなかった、知らずにおれなかった。

私たちはその後、子供の足で1、2時間ほどの道程を歩いてプールに行き来するようになった。

私と兄と姉は、自分たちだけで毎日プールに通った。


少しも楽しくも嬉しくもない顔をして、一言も言葉を交わさず、

黙々と何かを噛み締めるようにして。

ヘンゼルとグレーテルのように。

見捨てられた自分達を確認するように、見捨てられたその場所を確認するように。

私たちを捨てた親が、私たちを、そこに置き去りにした場所。

私達の為のゴミ捨て場に、足を運んだ。

私たちは、自分を捨てに行く為に、そこに足を運んだ。

娯楽施設の、広い空間に響き渡る歓声が禍々しく聞こえる。

ここは、私が捨てられた場所。

ここは、要らない子供が捨てられる場所。

ここでは誰もが、お互いに楽しむ誰かと一緒に、楽しんでいる場所。

なのに、私はその誰かに一緒に楽しむことを拒否され、ここに置き去りにされた。

ここにいる全ての人は、私とは関係のない他人だ。


私たちはこの遊び場で、遊んではいなかった。

波のプール、滑り台のプール、施設を一周している、輪っかになった流れるプール。

私は要らないのだ。

私は捨てられたのだ。


いや、親は、本当なら、私を捨てたいのだ。

もしやと思っていた、何とかごまかしていた、それが確かに本当のことだったと確認したこの場所。

ここは仮初めだけど、親の為の、子捨て場なのだ。

私はなぜか、ここにいる子供がみんな、家を追い出され、

このパークに寄せ集められた孤児に見えた。


もし、私がここで死んでも、親は私の死に目にも立ち会わない、というわけだ。

普段から、あれをするなこれをするな、親として子供を気遣っているのだから、と、口では言うが、

死の危険すらあるこの場所、歩いて1時間もかかるこの場所に毎日子供を置き去りにして、

お前なんか、死のうとどうなろうとどうでもいい、と言っているのと同じだった。

大人も子供も、他人がみんな脅威に見えた。

自分の一挙手一投足が、取り返しのつかない過ちを引き寄せるようで、怖かった。

自分の一挙一動が、否定された、罪深い存在なのだ。


流れるプールに、私は強迫観念的に身を浸していた。

思い切りざぶんと飛び込み、泳ぐ意思もなく、そのままずぶずぶと沈むに任せる。


ぐるぐる回っているだけ。

どこにも行かない。

決して海に辿り着けない川のように。

輪になって閉じられている水。

何処にも行けない。

もう、泳ぎさえしなかった。


流れに逆らって苦行のように歩行する、

流れに抗って棒杭のように立ち尽くす、

流れに押し流された。


水の中で、膝を抱えて、ただ、流された。

ただ、抗えない流れに、水の力に押し負けて、なす術がなかった。

水は、死のように、私の目と耳を閉ざした。


その後、東京に住むようになり、東京の小学校に通うようになった。

そのうち、夜、毎日、そのプールの夢を見るようになった。

正確には、夢ではない。

目は覚めていたから。


夜布団の中、闇の中で瞼を閉ざすと、私はいつもそこにいる。

いつも決まって、夜の闇の中の流れるプールの中に立ち尽くしている。

波のプールでも四角いプールでもない、

施設をぐるりと廻って円環に閉じている、流れるプール。


いつも、夜の闇の中のプールだった。

まるで、眠るために布団に入っている、今、ここにいる私が、

同じ時間にも、あのときの時間のまま、そこにもいる。

私はその、始まりも終わりもない、円環のプールの中に立ち尽くしている。


聞こえるのは、水音だけ。

見えるのは、闇と、闇に差込む白い月の灯りと、暗い光をはじく水だけ。

紺のつなぎの水着を着ている私の胸元で、水と空の境界が、たゆたっているのを感じる。


私は半身のような気がする。

水と空に分裂し、水と空のどちらにも、帰ることも、行くこともできない、

水と空の半ばで立ち往生している、半身のような気がする。


私は、首をめぐらせる。

昼間、あんなに喧騒に満ちていたここは、もう、何の声もしない。

誰もがあるべき家に帰り、閉館された後のプール。


私だけがいる。

あるのは、コンクリートに跳ね返る、水の音だけ。

水の中の私がたてる、水音だけ。


向こうにぼんやり緑色に光っているのは、非常口の明かりだろう。

怪物の目みたいに、ぽつんと点いている赤い光は、何だろう ?


何で私は、ここにいるんだろう。

体を滑る、水の生々しい感触さえ感じながら、私は、

滑らかな水音を立てて、水の中を滑るように移動した。


どこにいけばいいのだろう。

ここは、どこだろう。

私には、何処にも行く場所がない。

帰る場所がない。

帰ることを拒否された。それだけ。

ならば、此処にいるしかない。


前面ガラス張りになっているところから、冷たい白い月の光が差し込んでいる。

それとも街灯だろうか。

月影が、いくつもちぎれて水面にたゆたっている。

水の波紋で白くぎらりと光る。

闇と水と、水の音と、月の暗く冷たい灯り。

そこにあるのは、ただそれだけ。


私は、そこで死んだ子供の浮遊霊のように、闇の中の流れるプールの中を彷徨い続けた。

水から岸に上がろうともせずに。


水から出ても、他に行くところがないのだから。

水の中を彷徨う以外に、他の事をしようともせず。

水の中を彷徨う以外に、他にできることなど、私にはないのだから。


毎夜、布団の中の私がいるのは、いつも闇の中、閉ざされた、水の中。

円環のプールは、始まりの場所も終わりの場所もない。

まるで、決して海に行き着けない川のよう。

そこは何処も、何処でもない場所。


上も下も、右も左も、前も後ろも水、どこかである場所などない水の中、

位置のない水の中、どこでもない水の中。


誰にとっても存在していない存在が立てるには大きすぎる音が、

水の音が轟いて、ただ、闇の中に、水の音だけがした。


水が石を打つ音、水が水を打つ音、闇に漂い彷徨う、水の音。

水の音は、どんどん大きくなって、最大音量で音高くこだまして、

耳の中の闇に、頭蓋の闇に轟く。


五感全てが闇に閉ざされている中、水の音と感触が唯一の刺激で、

私は、腹をつつかれた芋虫のように四肢を縮め、

ぎゅっと強く目を閉じ、両手で頭を挟み込むように強く耳を塞いだ。

轟く水の音の間から、私の荒い息遣いが漏れ聞こえた気がした。


闇が水のように私に絡みつき、水が闇のように私に絡みついた、

まるで、そこにはいない、けれど、

ずっと私を見張っている、誰かの視線のように。



私はどこにいるのか、私は誰なのか、

私の中で情報が錯乱し、私の存在がごっそり抜け落ちて、

私のがらんどうの闇の中に、私の中の空っぽの洞窟の闇に、

ただ水だけが打ち寄せ、滴り、水の音だけが、反響している。


両側から強く掌で押さえる耳の中で、

風の鳴るような血の音が幻の水の音を掻き消してくれることに、少し安堵した。


私は、そこではない、ここにいる。

私の中の流れる水の音が、私を侵食する、

私の外から打ち寄せる、流れの音の幻に、

そこに、わたしが攫われるのを、

辛うじて打ち消し、ここに、踏みとどまらせてくれる。


夢ではなかった。

目は覚めていたのだから。


だけどこれは、悪夢だった。

その後1年間近く、毎日続いた。

朝、昼の光の中で努力して思い起こすその闇の水の光景は、

光に追い散らされ霞んでしまう影のような景色だった。


夜、闇の中で瞼を閉じれば、いつも私は、そこにいた。

何処でもない、何処にも行き着かないそこ、何処にも行けないその場所。


閉ざされた、闇と水の円環の中。


ぐるぐるぐるぐる


回っている


そこでは帰るべき家も、家への道程も、闇に塗り潰されたように、

水に流されたように思い出すことはできなかった。


まるで、どこでもない、どこにもいけない水の中、誰にもなれない、

水と空の半身魚でしかいられない円環の中にいる以外、

私には、始めからそんなものは、なかったかのように。


ぐるぐるぐるぐる


回っている


夜と、闇と、夢と、水の中と、


今と、あの時と、ここと、そこを、


ぐるぐるぐるぐる


回っている


帰れもせず、進めもせず、止まれもせずに。



それからしばらくして、その施設の波のプールで、

一人の少女が溺れ死んだという記事が、

東京の新聞に、あの場所の写真とともに一面ぶちぬきで載った。



だけど果たして、あの場所で溺死したのは、彼女だっただろうか。


私だっただろうか。


私は、今も、まだ、あそこにいる気がする。


今も、私の中から、あの水音が、響いている気がする。


どんなに耳を塞いでも、私の、深く遠いところから響く、水の音。


他の全ての感覚を閉ざす、闇に滴る水の音。

私を宇宙の深淵へ連れ去り、私を粉々に打ち砕くような、水の音。


水と空の境界に半身を引き裂かれ、闇と水に閉ざされたそこで、

ただ水の音だけを感じながら、


明けない夜の闇と、醒めない夢と、

流れ行かない水に閉ざされた私は、今もまだ、


どこにも還れず、どこにも進めず、

ただひとり、いつまでも、そこに立ち尽くしている気がする。



それから私は10年近く、水を避け、風呂に入らなくなった。


それか、突発的に息の限界まで湯船に沈んだり、

石ころのように無造作にプールの水の中に身を沈めるようになった。


水と私の境界が、私の中で溶けて消えるまで。



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「僕はずっと水に魅せられてきた」

とゲイリーは言った。


「しかも、片方では水が怖かったんです。

怖くてたまらなかった。

水中から見上げると、水面が銀色に見えます。

それを思い出したんです」


いつも同じ夢だった。

「銀色の水面を見ているんです。」


古い単純な光景に、彼は何も付け加えようとしなかった。

「水の底から水面を見るとどんな風に見えるか、知ってますか ?

子供時代に何百回も見た夢っていうのが、それだった」


・「僕は二度と水面に戻れないと思いました。

水面は頭の上のほうにあって、一面の銀色でした。

冷たい感触。

それに、動きを感じました。

押し流されていくという感じです。

それから、あきらめの気持ちです。


だが、母はいつも僕を水から引き上げました。

どうしてなのか、わかりませんが」


「子供時代ですか ?

ええ、わたしは怖がりの子供だったようです。

わたし、いつも水が怖かったんです。

お風呂にも入れませんでした。

今でもそうです。

シャワーだけ。


それに火も怖いです。

火事とかそういうことですけど」


9歳のパトリシアは家の風呂に入った。

多分、それが最後の入浴で、それから二十年は風呂に入ることができなかったのだが、

そのときの彼女は、少なくともしばらくは自分が透明人間になったと感じていただろう。

「記憶を消す子供たち」レノア・テア



ゼヌの剣の切っ先から、水滴がひとつ、ポタリと落ちた。

ポタリ、ポタリと、水が落ちてくる。

その時急に思い出したのは、ギルヴェルトから聞いた拷問の方法である。

規則正しく水滴を落とす。

その音を聞かせているだけでも、人はじきに狂ってしまうという。

体にではなく心に与えられる苦痛で、簡単にまいってしまうという。


「風の旅路」白井星夜



潮は満ち、潮は退いて、また満ちて、ひと時も静かになることがない。

ここに、溺死した夢がいくつあるのだろうか。

溺死した瞑想、溺死した夢遊病がいくつあるのだろうか。


それが、今も、夢を見ているのだ。


今も、なお夢を見ている。

ベッドの上で身もだえし、寝返りを打ちながら夢を見ている。


その波打つ夢の不安が、鎮まることを知らぬこの海の波動となっているのだ。

そう、瞑想と水は永遠に結婚しているのだ。

触れがたき生の幻の幻、生を巡る一切の謎を解く鍵が、そこにある。


「白鯨」メルヴィル



話すことも考えることも禁じられ、

投獄や拷問や殺人が行われているのは、何も、この小国に限った話ではない。

ヨーロッパでもアメリカでも、アフリカでもアジアでも、

西でも東でも、全世界の三分の二で、同じことが行われている。


人間なんて、常に最悪のものを目指す、汚らわしい動物なのだ。

彼女はおぞましい気持ちで、この敵意ある冷たい世界を眺めていた。

あたしが今、途方に暮れているこの海など、

人類の出現以来、絶えず流されてきた血や涙に比べれば、

何ほどのことでもないのだ。

水の世界は、常にあたしに恐怖感を与えるか、さもなければ、

目の前の大海がそうであるような、形態も色もない、

絶望のイメージしか、生み出してはくれない。


ある魂にとって、水は絶望の物質である。


「水の鏡」