17歳のとき、人を殺したくてたまらなかった。
今にも通りに踊り出て、手あたり次第に殺して回りたくて仕様がなかった。
殺意を意識したのは、9歳のとき、
最初は、家族を皆殺しにしたかった。
それから、私が不適応を起こしている社会を滅亡させ、
人間を全滅させたくなった。
私は、世界中の人間の、誰一人とも、同じではない、
世界中の人間と、私は、対立する。
私は、物心ついたときから、人間が怖かった。
人間の社会が怖かった。
人間のすべてが怖かった。
家族は、私の意志を食い荒らした。
私にとって、他者は、私が私であることを喰らう、化物だった。
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だから、恐怖と闘うために憎悪を武器にした。
これ以上、「私」に侵入したら、殺す。
私の意志、私の感情、私が私であることを、
これ以上、
食い殺したら、
私の殺人もまた、正当化される。
憎悪は恐怖から生まれた自己防衛のためだったけど、
年々肥大し、家族だけではなく、一般人にまで広がった。
17歳のときにピークに達した。
・
よく、「大人しくて普通のイイコ」だった人が、
突然キレて犯罪を犯す、というけど、
それは不思議でもなんでもない。
「大人しくてイイコ」、
「イイコ」という価値観なんて、他者のものであるはずで、
自分自身の価値観を守って生きてたら、
絶対に「誰が見てもイイコ」の人間なんかできるはずがないのだ。
誰かが誰かを「イイコ」だとか「大人しい」だとか「普通の子」
だとか見てる時点で、
その人の、その人がその人であることの根源は、
他者の価値観に蝕まれ、食い荒らされ、
他者の圧力によって剪定されているだけのことなのだ。
・
「自己へのレイプ」。
自分が自分であることの価値への侵食。
もし、「私」が「わたし」である価値も、意味も、存在理由もない、
だから、ずっと永遠に、自分以外の誰かにとってだけ正しい
価値観に従って生きていかねばならないとしたら、
「私」が「わたし」として、ここにいる必要はない。
「私」が「わたし」であることの価値も意味も存在理由も、何もない。
自分の存在理由も存在価値も何もない、と教えられるから、
他者の価値観に従って、「他者にとっての」イイコ、
模範的な「大人しく普通のイイコ」が出来上がるのだ。
そういう「自己へのレイプ」と
「自己の存在価値への殺害」をされ続けたとき、
支配下の「自己」は爆発する。
今まで「殺され」てきた、
「自己存在の価値」と同等の、
「他者の命」による「償い」を求める。
今まで、自分には価値がないとされ、
他者の価値観を押し付けられて、殺されてきた自己の復讐。
・
そういう子は、キレルのではなく、
「キレさせられている」のだ。
誰もその人が本当はどんな人なのか、
本当の名前は何なのか、
そんなことはどうでもよく、
誰もが自分にとって都合のいい投影の中に
存在を押し込めているから。
一度、自己存在の意味を無価値化されたら、
安心して世界に自己を出せなくなり、
その後はずっと、他者の思惑に自ら支配され従うことで
存在意味と価値を見出すことになる。
そうしてどんどん、自分の中の自己、
私の中のわたしがアノニマスになっていく。
・
私も、それまでニュースで見た、
その類の殺人事件に共感するとともに、
明日にでもそうなってしまいそうな自分が怖かった。
たぶん、だから、
ことさらわかりやすいモラルと
道徳的抑圧を自分に課したのかもしれない。
今にも人を殺してしまいそうで怖かった。
だから、もっとイイコになるように勤めた。
わかりやすい価値観で自分の爆発しそうな殺意と破壊を、
枷にはめ、檻に閉じ込めた。
18歳のとき、ヒトラーの台頭を切望した。
私が9歳のとき、兄に、「ヒトラーを尊敬する」と言われて引いた。
世界で戦争が起きて、
世界が滅んで、人間が一人残らず死滅することを望んだ。
世界に血と苦痛の降り止まない雨が降ればいいと望んだ。
私の心みたいに。
私だけが苦しんでいるのが許せなかった。
そういう自分を一生懸命糾弾した。
糾弾しないと、枷を振り切って爆発しそうな自分が怖かった。
一生懸命、「世間的に正しいこと」を主張した。
自分の中の濁流を抑えるために、
彼らと同じ濁流が流れている水源を断つために。
世界が嫌いだった。
世界を憎んでいた。
世界を絶滅させたかった。
世界は怖かった。
世界は醜かった。
世界は汚かった。
人間も、
私も。