このうさぎはミニうさぎなどではなく、ただの子うさぎが普通に成長しただけの、普通のうさぎだとわかるころには、


大人の体格になっていた。


ある日いつものように、うさぎの肉の柔らかさを、猫の牙が食い込むようにうっとりと確かめ、


青灰色の毛並みや、どこからどうみても、完成された芸術品のようなフォルムを愛でていると、


急に腕にうさぎが抱きついてきた。



いつものようになめるのかと思うと、まるで小さな子供が親に必死に抱きつくようにして腕に手足をからませ、


体をすりつけてくるので、微笑ましく見守っていると、


興奮して啼きはじめ、腕をかんでくるようになったので、びっくりして払いのけようとすると、


腕から離れたうさぎの脚の間から、赤くて長いものが伸びていて、それをこすりつけるようにしているので、


またびっくりした。


うさぎは発情していたのだ。


愛くるしい外見から、メスだと勝手に思い込んでいたけど、ナナは、オスだったのだ。


それから発情期になったうさぎは頻繁に、交尾行動をするようになり、興奮状態も続いた。





通っていた小学校で、わたしはいつも、「飼育係」で、


小学校には、アヒル、小鳥、鶏、魚、それからうさぎがたくさん飼育されていた。


小学校には、うさぎのえさ用の、ポリバケツいっぱいのウサギ用ペレットがおいてあり、


わたしはそれをときどき盗んでうちのうさぎに与えていた。



わたしはここで、やはり、真剣に考えた。


うちのうさぎをこっそり、学校のうさぎの中に混ぜてしまおうか。


教師にバレることだけが不安だった。


このときは、親のことは心配してなかった。


親の関心は、もううさぎの命にはない。


うさぎは逃げた、といえば、むしろほっとされるだろう。


一番心配したのは、教師に見つかり、咎められることだった。


わたしの、権威と大人への人一倍の恐怖が、親から教師に移っただけだった。





学校のうさぎは毎年のように新しく子供を生んでは、


小学生のずさんな関心と飼育によって次々と命を落としていた。


学校の片隅で起こっている、命の激しいサイクルなど、教師は誰一人、自覚していないだろう。


わたしや他の子が毎日いじめられて、命を踏みにじられていることに気がつかないように。


世界の片隅にうずくまる、うさぎの、わたしの命の声は、水槽のガラスを越えて、誰にも届かない。


水槽の壁を作り上げ、うさぎとわたしを水槽に突き落とすのは、彼ら自身なのだから。



だからわたしの思いつきも、誰の関心も惹かないことが幸いして、


やろうとすれば、誰にも気づかれず、できないことはないのではないか。


仲間もできる、交尾もできる、小学生の手だけど、ある程度、


うちにいるよりはマシな世話もされる。


わたしは真剣に検討した。





小学校の動物の中でも、うさぎが特に多くて、


中庭のうさぎ小屋に10数羽と、繁殖して増えたうさぎのために、


校庭の隅っこのウサギ小屋にもうさぎが10羽くらいいた。


飼育係りだったわたしとクラスメイトは、よく飼育小屋に行った。


動物を可愛い、と思ったことはあまりなかった。


けれど、動物たちの動きを見るのは好きだった。


動物は、人間じゃないから、好きだった。



中庭のうさぎ小屋のうさぎはよく繁殖して、次々に子供を産むのだけど、


床が地面から浮いていて、すのこ状で、木の板の間に広い隙間が開いていて、


小屋の中で生んだうさぎの子供が、床の隙間から下の地面に転がり落ちていた。


隙間には子供の手でも入らなくて、


隙間に落ちて取れなくなった子供は放置するしかなかった。



放置されたうさぎの子は、地面に転がって啼いていたけれど、


やがてミイラ状になって死んだ。


私たちは、親うさぎの元から転がり落ちて啼いている仔ウサギを、


いずれ死ぬとわかっていながら、見殺しにし続けるしかなかった。


不可解で非合理的な設計をする大人の思考回路にわたしは苛立った。





中庭の小屋で繁殖したうさぎのために、校庭にウサギ小屋が新しく作られた。


こちらのほうが設備もよくて、環境がいいので、


わたしたちは休み時間の時間つぶしにはもっぱらここにきた。


床に不可解な隙間があいている事もないし、


巣箱はちゃんとあるし、何より、小屋の隅っこに、


石造りの小さな池のように作られた「水のみ場」があるのがよかった。


それを見ているだけで、わたしの渇きが癒えるように、わたしは安堵した。


ただ、池周辺に埋め込まれている岩のディスプレイの段差が気になった。



そのうさぎ小屋にいて、勝手気ままに走り回るうさぎを見てると、それだけで楽しかった。


小さかったうさぎが、パン種のように、勝手に大きくなっていくのを、魔法のように思った。


通い続けると、模様や顔を覚えてきて、特に可愛いと思う馴染みのうさぎができたりした。


そういう自分の心境の変化も面白かった。


抱くと人懐こくすりよってきて可愛かった。





ある放課後、校庭のうさぎ小屋に行くと、


いつもの馴染みの、灰色一色のうさぎがいない。


最初は小さな子ウサギだったのが、だんだん大きく元気に成長していて、


その変化を見るのが楽しかった。



わたしとクラスメイトたちは、何処を探してもいない、逃げたのかな、と言い合った。


たまに、うさぎ小屋から放してあそんだりするし、うさぎが小屋から脱走することもよくあり、


そういうイベントを楽しんでもいたけれど、


やはり野放しにするとうさぎが危険だという気がして、わたしたちは小屋の周りを探してみたりした。



いくら探してもいないので、おかしいね、といいあって、再び小屋の中をぐるりと見渡したとき、


小屋の隅の、一番暗いところにある池がわたしの心を惹いた。


池の水が、黒い闇のようにわだかまっていた。


その周辺の岩が、いつもより黒ずんで見えたのかもしれない。


池の周辺の空気が、乱雑というか、どことなく揺らいで感じられたのかもしれない。


小屋を見回しているクラスメイトを背後に残して、


どこか抵抗感を感じながらゆっくりと池に近寄って見てみると、暗い水面に、水に濡れて、


灰色の毛並みが黒ずんだ、あの子うさぎが浮いていた。


もう動いていなかった。



私の背後から近寄ってきて池を見たクラスメイトとわたしは、


声をそろえてわっ!!と叫んで、咄嗟に小屋から飛び出して、脱兎のごとく駆け出した。


走り出してから、何で走っているのか、どこに走っているのか、わからなかった。


一気に職員室まで走ろうと思った。


大人に助けを求めるためではなかった。


ただ、走らずにはいられなかった。


あの黒いうさぎは、私たちが、一番可愛がっていたうさぎだった。


一番だっこして、柔らかな毛並みに手を這わせ、温もりを感じたうさぎだった。



ずっと、たっぷりの水を与えてもらえるここのうさぎを、


うちのうさぎと比較して、いいなと思っていた。


でも、今、水面で死んでいるうさぎは、私が羨み、


ナナには許されていない、「たっぷりの水」に殺されたのだ。



まるで、ナナを渇いた水槽から救うためにここに連れてきたら、


今度は、ナナはここで、水に殺されるだけなのだ、


どうしたって、私のすることは、うさぎを殺すんだ。



うさぎたちを殺すわたしの背後から決して去らない死神の、


嘲笑しながら高らかに言う言葉が聞こるようで、


わたしは、私の中でわんわんと響き渡る死神の嘲笑と、


私を指差して私の罪を暴きたて、私を指弾する死神の言葉から逃げるために、


全力で風を切って、死神の声の木霊する耳を風の音で締め出した。



どんなに走っても、逃げ切れないものがあった。


私の中で、銅鑼の音のようにガンガンと響き渡る声があった。


わたしは、何をやっても、うさぎを殺すんだ。


わたしは、何をやっても、必ず、最悪の結果をもたらすんだ。





暗い水に浮いている、もう走らないうさぎの光景が、


底が見えなくて、闇のような水底からゆっくりと浮かび上がってくるように、


私の中の闇の水面にぽっかりと浮かんだ。



私はどんなに走っても、私の中に生まれたうさぎの光景から逃げることはできず、


目を背ける場所はどこにもなかった。


どんなに走っても、目の前から拭い去れない、水面に浮かぶうさぎを見つめていると、


自分の中の動かない、暗い闇の水面に引き込まれそうで、怖かった。


わたしは、私の中で、いつまでもプカプカと水面に浮いているうさぎの光景を振り払うために、走った。





灰色のうさぎは、ナナには許されていない水をちょっと飲むために、


水面に身をかがめたのだ。


でも、子供で小さかったから、池の周りに岩で作られた段差があったから、


かがんでもすぐに水面に口が届かなくて、


それで身を乗り出しすぎて、水に濡れた岩で脚を滑らせ、水に落ちたのだ。



ナナが呑むことを許されてなくて、灰色のうさぎが呑みたかった水は、


うさぎの足がつかないほど深くて、


うさぎは水の中で、足場を探して必死に壁に爪をたてたけど、


石はつるつるしていて、段差があって、石の壁はうさぎを拒み、


水は深く、うさぎを飲み込んだのだ。


どれだけウサギは水に抵抗しただろう。


うさぎが溺れ死ぬまでの時間はどれだけだっただろう。


死にいたるまでのどれだけの時間、うさぎは、死への恐怖に耐えねばならなかっただろう。


息絶える瞬間、うさぎの最後の命の吐息は、どれだけ漏れて、どれだけ水に呑まれただろう。





ナナに与えてやりたいと望んでいた環境の中で、


水を与えられることが許されない空っぽの水槽からナナを解放したかったところで、


水に飲まれて、うさぎは死んだ。


水が禁じられた水槽の空虚の底で、溺れ死につつあるナナと、


水に命を閉ざされて、死んだうさぎと。



まるで、ナナが、あのうさぎを突き落としたみたいだ、


まるで、ナナが、どこにいてもナナが決して出られないあの空っぽの水槽の底からじっとわたしを見つめていて、


私たちに一番可愛がられ、好きなだけ水も飲め、自由に走り回ることのできた、


ナナには許されない全てのことが許されていたあの灰色のうさぎを、


ナナが、許しはしなかったように、ナナが、あのうさぎを殺したように、


わたしには、感じられた。


わたしの中の、暗い色のうさぎが浮かんだ、暗い水面から逃げるために、


わたしは、全力で走った。





咄嗟にわたしと一緒に走ってきたクラスメイトは途中であきれたように立ち止まり、


ちょっと、まってよ!と背後で声を上げたけど、わたしは、振り返りもせず、


走らずにはいられなかった。


わたしの中の、水に濡れて黒ずんだうさぎが浮かんでいる暗い水面に、追いつかれるわけにはいかなかった。


うさぎの死を抱きかかえながら、私を嘲笑し、罵倒し、


私の罪を糾弾する死神の声に、捕まるわけにはいかなかった。


職員室まで一気に走り、教師に説明し、うさぎ小屋まで来てもらった。



わたしに置いていかれたクラスメイトは、怒って帰ってしまったようだった。


教師とうさぎ小屋に戻ると、姿がなかった。


わたしは体面ばかり気にして、クラスメイトに気に入られる演技に努め、


それは同時に、自分の演技に気をとられるばかりで、別世界のように他人に無関心でもあり、


自分の演技に穴が開くと、自暴自棄なまでに他人に嫌われようともするが、


このときも、いつも気にかけている人の反応を、


シャットダウンするようなスイッチの切り替えが入り、


怒って帰ったクラスメイトの存在は、わたしの中で切り離された。


わたしは彼女に何か感じる動機も持たず、もう彼女の顔も思い出せなかった。





うさぎ小屋で、灰色のうさぎが水面に浮かんでいる、


小屋の一番隅っこの闇がわだかまった池の場所にかがみこむと、


教師は、あらら、とつぶやいて、水に濡れないように注意しながら、


水面に浮いているうさぎをつついて手繰り寄せ、うさぎを掬い上げた。



教師の、失われた命への楽観的態度が救いになるかと期待したけど、


目の前の光景と教師の態度のギャップに禍々しいものを感じてぞっとしただけだった。


もしもこの教師の目の前で、水面に浮かんでいるのが、黒ずんだうさぎではなく、


わたしだとしても、この教師は、あらら、とつぶやいて、


水面に浮かんだゴミを掬うように、自分が濡れないように注意しながら、


わたしの死体を引き寄せるのではないか、という気がした。





池からやっとうさぎを引き上げて、うさぎが死ぬまで渇望した地面に横たえると、


うさぎの周辺の地面が黒く濡れた。


うさぎは死後硬直を起こしていた。


もし、わたしたちがくるのが、もうちょっと早かったら、間に合ったのではないか、


という思いは、わたしたちが来ようが来まいが、


うさぎは、いずれ、いつも、人間が掘った、運命という逃れられない穴に落ち、


水面に浮かぶ運命なのだ、という諦念に変わった。



うさぎは、逃げることに特化した生き物だ。


逃げるための速くて長い足、危険を遠くから聞き取る長い耳。


しかし、逃げるために、どんなに速い足を持っていても、


どんに遠くの危険を聞き取る長い耳を持っていても、


人間という、うさぎを苦痛と死に落とし込む運命の穴を掘る死神からは、


うさぎは、決して、逃れられないのだ。


自ら上げられた灰色のうさぎの周りに広がった、


穴のような闇のような、暗い水面のような水のしみは、もう乾いていた。





わたしと、帰らなかったほうのクラスメイト、幼馴染は、消沈して帰った。


わたしは、水の中のうさぎを一目見た瞬間から取り付かれた思考を、いつまでも反芻していた。


人間の手は、うさぎから水を取り上げることで、うさぎを水に突き落とすことで、


どうしたって、必ず、うさぎの命をひねりつぶす。



水のない渇いた水槽の底にうさぎを突き落とすことで、


落とし穴のように深く掘った水の中にうさぎを突き落とすことで、


必ず、人間の手は、うさぎを、うさぎが自由に走ることができない水に閉じ込める。



家のうさぎも、学校のうさぎも、人間の手で行われていることは、同じなのだ。


わたしがそうであるみたいに。


だったら、ナナを少しでもマシな環境に移そうと学校のうさぎ小屋に移転することは、無意味なのか。


わたしは、ナナを学校のうさぎ小屋に移転する計画を諦めた。





家に放すと、だれかれ構わず発情して抱きつくうさぎは、


失笑と冷笑を持って遇された。


愛くるしい、かわいい、だけが、うさぎへの関心をつなぎとめる防御だったのが、


動物の本能を丸出しにして必死になっているうさぎへの関心は急速に冷め、


まとわりついてなめるうさぎをうっとうしがって、足で蹴り払ったりしていた親やきょうだいやわたしは、


今まで以上にうさぎを突き放すようになった。


まとわりつくうさぎがうっとうしかった。



たぶん、きっと、もう、飽きてきたのだ。


うさぎが、わたしたちが思っていたような、


ただ気が向いたときにだけ愛玩していればいいぬいぐるみじゃなくなって、


初めて激しい自己意思を見せ付けられたから、わたしたちは、シラケたのだ。


わたしがほしいぬいぐるみじゃない、もう、こんなの、いらない、


という声を、わたしはかろうじてこらえた。





冬が始まる季節だったと思う。


うさぎを入れた水槽は、玄関の横が定位置になっていた。


うさぎには、「雪ウサギ」のイメージがあったので、寒さも平気だろうと思うと同時に、


自然界の中にいるうさぎみたいに、巣になるものが何もないガラスの水槽の中とは条件が違うとも思ったし、


結局正しい飼育方法を知らないから、飼いウサギが、冬の寒さにも耐性があるのかないのかわからないまま、


結局は、玄関横に、犬小屋みたいに放置されていた。



成長したうさぎは、後ろ足で立ち上がると、頭ひとつ分、水槽から出るほど、大きくなった。


そして、水槽以上の大きさの巣箱を用意する気は、誰にもなかった。


うさぎはよく、ガラスの壁を後ろ足でけったり、立ち上がろうとして、ふたのスノコに頭をぶつけて、


そのままごんごんふたに頭をぶつけて、力ずくでふたをずらし、水槽のふちを飛び越えて、


水槽から脱走を試みたりした。



ハムスターならそのまま、どこかの隙間にもぐりこんで、勝手にいなくなるのだろうが、


うさぎはそうはいかず、脱走したはいいものの、どこにいくあてもないまま、


水槽の周辺をうろついているところを発見され、いつも水槽の中に連れ戻された。


そのたびに、うさぎを連れ戻しながら、脱走した勇気を誇らしく嬉しく思うと同時に、


どこにも逃げられないうさぎを哀れみ、このままいなくなってほしいと思いながら、


わたしの手でうさぎを水槽に戻さなければならないことが嫌だった。



母は、うさぎが脱走しないように、スノコの上に、漬物石を置いた。


うさぎはそれから、二度と、水槽のふちを飛び越えられなくなった。


跳ね除けられないフタにむなしく頭をごんごんぶつけているうさぎも、


それを見ているわたしも、絶望的になった。



うさぎの命は、もう、水槽のふちを越えて、どこにも流れていかないのだ。


うさぎの命は、このまま、水のない水槽の底で、干上がって、渇いていくだけなのだ。


うさぎの命は、頭上の水槽のふちを境目として、完全に、断ち切れたのだ。


母は、うさぎを手元においておきたいと思ってそうしたというより、


いちいち脱走したうさぎに気を取られることが面倒だったからそうしただけだということもわかっていた。



少しずつ寒くなってきた季節、


玄関の横に、糞尿で薄汚れた水槽は、ガラスも汚れて中が見えないほど曇り、


中にいるうさぎの生死の確認は、うさぎのきれいな青灰色の毛並みが、


曇った白いガラスの壁のむこうにうっすらと見え、


ごそごそ動いているのを、学校帰りに一瞬ちらと見て確認するだけになった。





ある日、朝、「大変、ナナちゃん、死んじゃったよ」と、


母が、抑揚のない声で告げた。


わたしはその言葉より、どこかでぼんやりその言葉を待ち望んでいた自分に、


どこかでぼんやりショックを受けた。



わたしは、玄関の横の水槽を見に行った。


水槽は汚れきっていて、くさく、ガラスに付着物がいっぱいついていて、


中にしきつめられた土に小さな羽虫が沸いていて、残飯のような野菜の切れ端が転がっていて、


糞尿は垂れ流しで、水槽の底には、乾いて硬くなったうさぎの死体以外、命の形跡は跡形もなく、水もなかった。



水槽の底に閉じ込められた命は、もう蒸発してしていた。


わたしの気持ちも、心も、思考も、表情も、動かなかった。


わたしは13歳になっていた。


わたしは機械として完成していた。


どこかで、この決まりきった結末を、痺れを切らして待っていただけだ、と思った。


その思考だけが、ほんのわずかなショックを、わたしに与えた。



四肢は伸びきって、水槽の底に横たわっていた。


水槽の底で、青い空の中を自由に遊泳している、青いうさぎに見えた。


わたしは、乾ききった水槽の底から、うさぎの体を抱き上げた。


青灰色の毛をなでると、うさぎの毛並みはごわごわし、その下の柔らかい体は硬直し、


冷たくなっていた。


土が毛並みを汚していた。


死体を抱き上げると、ぼたぼたと尿が垂れた。



あんなに水に飢えていたのに、うさぎはまだ水を排泄することができたのだろうか。


ささいなことが、少しずつ、残酷なことに思えた。


ガラスが汚れてること、毛並みが土に汚れてること、野菜のクズの切れ端が散らばってること、


あんなに気持ちよかった、ふわふわの毛並みが、冷たく硬直し、


土に汚れ、もう、毛づくろいできれいにされることもなく、


わたしの手に気持ちいい感触を与えることもなく、


うさぎ自身の体なのに、もううさぎの手を離れて、放り出されてしまったこと。



もう二度と、うさぎのやわらかい毛並みをわたしは楽しむことができなくなったことに気づいた。


どの他のうさぎの毛並みでもない、


「ナナ」だけが持っていた毛並みの色とやわらかさを楽しむことができなくなった。


毛並みを楽しめれば、それで、代価のどのうさぎでもいいのではないことに、わたしは気づいた。


柔らかく穏やかな温もりを初めて拒否し、


ナナが初めて示した、体の硬い抵抗と毛並みを感じながら、わたしは、初めて気づいた。





今までの動物たちのように、この家に来たナナもすぐに死ぬわたしは知っていた。


だから割り切って、ぬいぐるみのように愛玩するだけにした。


でも、わたしが愛玩してきたのは、ナナ以外のどのうさぎでもなく、


やわらかい毛並みと暖かさがあれば、他のどのうさぎでもかまわないわけではなかった。



わたしにとって、ナナを飼うこと、ペットを飼うということは、


生きたぬいぐるみのように、柔らかい毛並みと、


家では得られない温かい体温を楽しむだけ、とわりきったとしても、


ひとつの命と向き合った瞬間から、命と命との、膨大な情報の交換と交歓が行われ、


唯一無二の、記憶の物語がそこに刻まれていく。



お互いの命の中に、どの宇宙にも探し出せない、何ものとも交換の利かない、記憶の物語が刻まれる。


わたしは、ナナの命を、ぬいぐるみのように買い求め、結局ナナは、


近いうちにそうなるだろうとわたしが予見したとおりに、


使い物にならなくなったぬいぐるみのように、その役目を終えただけだ。





でも、わたしが本当に楽しんで、求めていたのは、


柔らかい毛並みと、暖かい体温という、ほかのどの動物とも替えが利くものではなかったのだろう。


わたしが、ナナや、動物たちに求めるものは、できるだけ気持ちが暖かくなるような、


心が温かい水で満たされるような、その命としか持てない、


唯一無二の記憶の物語を、共に作ることだったのだと思う。



わたしに刻まれてるのは、ぬいぐるみのようなナナの愛らしさでも、


青い毛並みの柔らかさ、体の温もりでもなく、


共に生活する中で、ナナが折々に見せた、目の中の表情、顔つき、


生きて今ここにいることを、命の全身で訴えていたナナの、声と言葉と、


わたしの命がそれに共鳴した、わたしとナナとの間だけで作られた、


唯一無二の、記憶の物語だったと思う。





ナナを失うということは、柔らかい毛並みを失うこと、


愛玩できるぬいぐるみを失うことでもなく、


ナナとわたしの物語を失う、ということだった。


ナナの生の頭上で、人間の手によって、決して開かない水槽のフタが閉められたように、


死と庭の土と人間の手が、ナナの体も鳴き声も、永遠に閉じ込め、埋め立てた瞬間から、


もう、ナナとわたしの物語は、二度と続きが書かれないし、


二度と、永遠に、始まりはしないのだ。





うさぎが死んで以来、わたしは二度と、動物を飼わなくなった。


それまで飼育したハムスターやシマリスやうさぎ、どの動物も、一年足らずで死んだ。


ナナも、一年もしないで死んだ。


そうなることは最初からわかっていた。



私は、なんだか、動物の寿命を憎み、否定しなければならないような感じがしていた。


命の管理を、自分の手でしなければならないように感じた。


生かすことをしなければならないと同時に、


殺すこともしなければならないような気がしていた。


相手の生と死を支配することが、命を管理し、世話し、面倒を見ることだと、どこかで、感じていた。


たぶん、親が、わたしに対して、そう感じていたように。





ナナが死んだとき、わたしが一番感じたことは、


先を越された、置いていかれた、これでひとりになった、仲間を失った、ということだった。


わたしは泣かなかった。


鳴き声のないうさぎのように。



一年足らずで死んだうさぎは、うさぎを閉じ込めた水槽の底から、


わたしの家の前にある庭の土の底に、 今度は、走り回る足もなく、


泣く声もなく、永遠に閉じ込められた。


ただ、死んで初めて、人間に縛られた名前からだけは、解放されたのだ。





うさぎは、ひとりだと、寂しくて死ぬんだと、誰かロマンチックなことをいっていた。


一年足らずで死んだウサギは、命の温もりの何もない、空っぽの水槽の底で、


冷たいガラスの壁に包囲されて、さみしさに凍えて、


ひとりぼっちの命は冷たく干からびて、それで、死んだのだろうか。



うさぎは、さみしいと、ひとりぼっちになると、死ぬ生き物だ、という。


ガラスの壁の向こう、水槽の底、


抱き上げられた次の瞬間、突き落とす人間の手の中で、


ずっと、ひとりぼっちのうさぎだった。





水の干上がった水槽の底、時間が進まない水槽の中、時間が囚われた水槽の中、


どこにもいけない水槽の中、


命が蒸発して乾いて干上がるまでの、さらさら落ちていく、


砂時計のような時間があるだけ。


うさぎは、水のない水槽の底に閉じ込められ、命が干上がる時間が来るのを待っているだけだった。



わたしとうさぎは、


水槽の壁を破ることも、フタを吹き飛ばすことも、壁を乗り越えることもできず、


命の時間が干上がる刻を待つしかない、


水槽の底、ひとりぼっちの、にひきの青いうさぎだった。





水槽に閉じ込められたひとりぼっちのうさぎが、水に渇いて死ぬと、


巨大ながらんどうに、世界はすっぽりと捕らわれていた。


いくら世界を見回しても、世界は、空っぽだった。


そこに命はなかった。


空虚だけが満ちている、水のない水槽みたいに。


空虚とともに、一匹の青いうさぎが閉じ込められている、水槽の底みたいに。



私の記憶の水槽の底には、名前を呼ぶことのできない、青いうさぎが沈んでいる。


水の枯れた水槽の底、時間だけが、絶え間ない雨のように降る闇の底で、


たった一人で、何かを待っているみたいに。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ウサギだよ。


ウサギは何も知らないんだ。


ほんとうにばかだから。


だから、外に出て草を食べてもだいじょうぶだと思ってるの。


すごく危険なものが、自分をつかまえようと待ち構えているかもしれない、なんて考えてもみないんだよ。」



シナリオは先ほどとほぼ同じだった。


プテロダクティルスが絶壁の上から飛び降りてきてウサギを襲う。


目玉をえぐり、ウサギの体を引き裂き、あたりじゅう血の海にする。


それから死んだウサギをその場において、どこかへ飛び去る。


前と同じように、プテロダクティルスはすでに死んでいるウサギをさらに数回殺し続けた。





「今度は何になるの?」


「まだウサギだよ」


「どうしてウサギなの?」


「だから、さっきもいったでしょ、ウサギはほんとうにばかだからだよ」


とカサンドラは答えた。



「なんでウサギはばかだって思うの?」


「ほんとうに弱いからだよ」


「何で知ってるの?」


「だってウサギって、だれにでもされるがままになっていて、戦おうともしないもの。


声さえ出さないじゃない」


とカサンドラはいった。


「霧の中の子」トリイ・ヘイデン







ある日の朝、父が母に兎のローストをつくるように命じた。


そして、わたしが呼び出され、「兎を一羽つかまえて、学校へ行く途中、肉屋にもっていきなさい」


と命じられた。


「母さんが夕食用に料理するから、昼休みにもって帰るんだ」


わたしはあまりのことに呆然としながらも、黙って命令に従った。


その日の夜は、家族が「わたしの」兎を食べるのを見つめていた。


一口でいいから食べてごらん、と父にいわれたときは、のどが詰まりそうだった。


「これはたぶん、脚だな」と父が言った。


何ヶ月にもわたって同じドラマがくり返され、とうとう、いちばんお気に入りのブラッキーだけが残った。



大きな雄の兎で、まるまると太り、黒い毛がふわふわしていた。


いつも抱いてかわいがり、どんな秘密も打ち明けていた。


とても聞き上手な、すばらしい精神科医だった。


この世でただ一人、無条件でわたしを愛してくれる生き物だと確信していた。





恐れていた日がやってきた。


朝食が済むと、父はブラッキーを肉屋に持っていけと命じた。


ブラッキーを抱き上げて、父に命じられたとおりのことを告白した。


ブラッキーはわたしの目を見つめていた。


桃色の鼻がぴくぴく動いていた。



「できないわ」


わたしはそういうと、ブラッキーを地面に下ろした。


「逃げるのよ」


と促した。


「さあ、早く」。


兎は身じろぎもしなかった。





時間がなくなった。


わたしはブラッキーを抱き上げ、肉屋に向かって走り出した。


哀れなブラッキーは恐ろしい運命が待ち受けていることを感じ取っていた。


肉屋に手渡すとき、ブラッキーの心臓が、わたしのそれと同じく、早鐘のように打っていた。


わたしはさよならもいわずに学校に走った。



もう殺されているだろうか、


わたしが愛していたことを、一生忘れないことを、知っていてくれただろうか。


さよならをいわなかったことだけが悔やまれた。





肉屋は店の戸口で待っていた。


ブラッキーの肉の包みを手渡しながら、肉屋が言った。


「こいつをつぶしたとは、惜しいことをしたもんだ。


あと一日か二日待てば、赤ん坊が生まれたのに」


(わたしはブラッキーが雄だとばかり思っていた)。


わたしはまだあたたかいブラッキーの包みをカウンターに置いたまま逃げ出した。



夕食のテーブルで、家族がブラッキーを食べるのを見ていた。


わたしは泣かなかった。


わたしにどんなにひどい仕打ちをしたのかを、当の両親に知られたくなかった。





その日、自分がしたことと、自分に問いかけたことのすべてが、


それ以降のわたしの仕事に影を落としている。


「人生は廻る輪のように」 エリザベス・キューブラー・ロス







昔、兎と狐と猿の三匹が仲良く暮らしておりました。


三匹は前世の行いが悪かったので、今はこのような動物の姿にされているので、


世のため人のためになるように頑張ろうといつも話しておりました。


帝釈天はこの話を聞いて、何かよいことをさせてあげようと、


老人の姿になって三匹の前に現れました。






三匹は老人のために色々と世話をしてあげました。


猿は木に登って果物や木の実を採ってきてあげましたし、


狐は川の魚をつかまえてきてあげました。


兎は色々考えましたが、老人を世話してあげることがみつかりません。





うさぎは考えに考えた末、老人に焚き火をしてもらい、


「私には何もお世話をすることができませんので、せめて私の体を焼いて召し上がってください。」


と言うや、火の中に飛び込んで黒こげになってしまいました。



これを見た老人は帝釈天の姿に戻り、「お前たち三匹はとても感心したものだ。


きっとこの次に生まれてくるときには人間として生まれてくるようにしてあげよう。


特に兎の心がけは立派なものだ。


この黒こげになった姿は、いつまでも月の中においてあげることにしよう。」


と言われたそうです。


こうして月には今でも黒こげになった兎の姿が見えるそうです。


ジャータカ神話「月兎と帝釈天」