成山孟去の『御摩桐抄』にこんな一節がある。
「水鏡に我が身を映すよりも、その背後に立つ者の心を映すべし」
なにやら禅僧の言葉か、兵法書の一節か、極意を伝える文言かと思いきや、意外にも当時の武士が借金をするときの心構えを示した言葉らしい。
だが、そうと知って読み直しても、すんなりとは腑に落ちない。
そこで、以前話題になった磯田道史著『武士の家計簿』をはじめ同氏の著作が参考になりそうなのでいくつか読んでみたが、手掛かりになりそうな記述は見当たらなかった。
このことでしばらく頭の中がモヤモヤしっぱなしになっていた。
そのせいでこの前の放課後、つい血迷ってしまい、生徒会副会長で自称歴女の大塚さんにその話をしてしまった。ちなみに彼女は家具屋の娘ということでクラスでは“かぐや様”と呼ばれていたり、書記には男子だが藤原という姓の者がいたり、生徒会会長である自分は白銀ではなく白岡だったりと、あの作品の設定に惜しいところまできているが、ただ大塚さんと自分はお互いに一切興味ない。
案の定、彼女も分からないようだ。というより、成山孟去の名も『御摩桐抄』のことすら知らず、とても歴女とは呼べないレベル。取り繕うつもりか、室境城遺構の話や『遠允録』偽書説など、チープな話題を持ち出してきたのにはうんざりさせられた。
ようやく下校時間になり、帰り道が途中まで一緒だと声を掛けられた。いやな予感、ヤバい、例の設定に寄せていくつもりか?
だったら、こっちも少しだけ寄せてやろう。バイトだからと背を向けて右手を上げ、もはや白銀御行というより江頭2:50になりきってダッシュした。
向かう先はもちろんバイトではない。『御摩桐抄』を手に入れた古本屋だ。とりあえずは、ここで関連書の入荷がないかチェックしておきたい。