小さいとき、ヘンな思い込みがたくさんあった。


アジサイは、どうして「アジサイ」というのか。


花もキレイで、食べても美味しい野菜だから「味菜=アジサイ」というのだと勝手に納得していた。


もちろん、アジサイを食べたことなどない。花も葉も。


なのに美味しいと思っていた。


たぶん親にも食べたいとは言わなかったと思う。


もしかしたら、外で遊んでいるときに食べたのかもしれない。


たとえば、ママゴトをしているときのサラダか何かにアジサイを使って、それを本当に口の中に入れてしまったことはあるかもしれない。


そうか、わかった。たぶんママゴトにはアジサイの葉だけではなく、花(orがく)も入れてあったにちがいない。

紫や赤紫、ブルーやピンク、白や黄緑と色とりどりの花が盛りつけられていた。

それを食べるふりをするときに、そのカラフルな色味を目で味わうと同時に、味覚でも味わったのだろう。

実際には口の中に何も入れていないわけだから、‘余計な’本物の味を感じない分、なおさら花のさまざまな色を感じる余地もあった…。

いや、そこまで天真爛漫ではなくても、紫系の花にはグレープ味の飴やガム、ピンク系の花にはピーチ味、ストロベリー味を思い浮かべながら「おいしい、おいしい」と満足げに言ったりしたにちがいない。


そうした経験から「アジサイ=味わいのある野菜」という子どもならではの思い込みの素地ができていったのだろう。