子どものころ、内輪で欲しいゲームが流行った。

友だちが数人集まると、誰からともなく欲しいゲームを始めていた。

各人の持ち物をお互いに指さして、せーので「欲しい」と叫ぶ。

欲しいと言われた持ち物は、欲しいと言った者に渡す。(複数人が同じ物を指した場合はノーカウントになる場合と、ジャンケンで決める場合など細かいルールはその場その場で変わっていった。)

それを何回か繰り返して、持ち物をたくさん渡した者が勝ちというゲーム。渡した物は、もとの持ち主に返すが交渉次第で本当にあげることもあったりする。

だから、いつも遊ぶ友だちは、みんなアメやガム、バッチやキーホルダー、トレーディングカードなど、本当にあげてもいいような物をやたら持ち歩いていた。欲しいと言われるほど優勝できるからという単純素朴、無邪気すぎる動機に操られていた。

ご多分に漏れず、この「欲しいゲーム」でもエスカレートが起こった。

大人たちの介入を呼び込んでしまう事態になった。

お察しのとおり、われわれ子どもたちの「持ち物」がレアもの化、高額化していったのである。

もちろん、資金源はお小遣いと、臨時収入のお年玉やお手伝いのお駄賃くらい。

はじめのうちは子どもながらに遠慮がちにお小遣いの値上げ要求をした。首尾よく値上げしてもらっても、月例のお小遣いは頭打ちなので並行して、お手伝いをすすんでやるようになった。

親たちはやはりお見通しで、お駄賃目当てのお手伝いを規制しにかかる。お駄賃ではなく、ご褒美のカレーだったり焼き肉だったり現物支給へシフトさせてきた。

そこで子どもたちは、誰が始めたか忘れたが、宝くじを「欲しいゲーム」用の持ち歩きアイテムに導入した。

最初はもの珍しさと、一枚100円-300円の世界から億の世界への展望が開かれたことで「欲しい」対象として一世風靡したが、くじの紙切れそのものの魅力は子どもたちにはなかった。
また、手に入れるにしてもこのゲームで手に入れずに窓口へ行けば、ある程度なら番号を指定して買える。

この時期から「欲しいゲーム」は一気に終息へ向かい、親たちは安堵した。