ナメクジにもいろいろな種類がいることは、何となく予想していたが、こんなに変わった種類がいるとは驚きだ。

その名もタテヨコナメクジ。
ナメクジのわりになかなかの速さで壁を縦横無尽に動き回るということで、そう命名されたらしい。

タテ、ヨコときたら、ナナメときてほしい。
口が「ナナメ」と言いかけているのに、はぐらかされて「ナメクジ」と言わなければならない。

命名者いわく“縦横無尽に動き回る”らしいが、タテとヨコに限らず斜めにも這うだろうし、たぶん直線的にも曲線的にも進むのだろう。

…いや、もしかしたら本当にタテかヨコ、多少の誤差はあるにせよ、ほぼグリッドに沿うようにしか移動しないナメクジなのかもしれない。

やってみるしかない。
ただ、当のナメクジを調達してこなければ、検証しようがない。

とりあえず、そこらで見つけたナメクジを手当たり次第に這わせてみるしかない。
何千匹、何万匹…、その程度で見つかれば御の字だ。
発見者は数千万匹を見てきたなかで、たまたま見つけたという。

もちろん、ありきたりのナメクジでも擬似的にタテとヨコに這うように仕向けることはできるらしい。
うす暗くて湿った物陰や石の下などを本拠地にする彼らは、たまに遠出をして建物の外壁や部屋の壁を這い回ったりする。
コンクリートや壁材に、彼らの大好きな塩分やミネラル分が多く含まれているからだという。
その習性を利用して、壁の材質はプラスティックか樹脂系にしたうえで、そこにコンクリートなどを方眼状に塗ったスペシャルコースを提供してやる。
うまくいけば、タテヨコナメクジとさほど変わらないパフォーマンスを披露してくれる。
そうしてみると、ふだん我々がそこそこ目にする光景も、彼らが歩んできた道筋をテカテカと妖しげにきらめく光の筋に仕立てて、これ見よがしに見せつけていると受け取れなくもない。

欲を出してもっと精緻なコントロールをしたくなったら、ノートの上に置いてやって、罫線に沿って這わせるなんていうムチャ振りもできたりするかもしれない。見事やりおおせた暁には、コクヨナメクジの称号を授与して、惜しみなく敬意を表してもよかろう。

再発見への渇望をそこまでこじらせてしまう前に、八方手を尽くしてタテヨコナメクジを見つけ出したい。

それでも見つからなけられば、そのときはそのとき。ゲノム編集でも遺伝子操作でも裏ワザを駆使して作りだす暴挙に出るまでのこと。愚挙と侮蔑され続けようと、いつの日か快挙との称賛に変わるまで、薪に背を預け、胆をナメて待つのみ。たとえ、その間に我が身がナメクジと化してしまおうとも。その場合はタテヨコナメクジではなく、タトエナメクジと命名される新種になることだろう···。

······不思議だ。文章の内容はともかく、これがM山の図案帳に書かれていたのが不思議でならなかった。
M山は三年前に失踪した絵付け職人だった。そのM山らしき人物を見たという連絡が沖縄の知人から入って、三年ぶりに彼の図案帳を開いてみてはじめてその文章が書き付けてあったのに気づいた。
もしかしたら、この妙な文章にあるタテヨコナメクジとかいうナメクジを探すために行方を眩ましたのだろうか。もっと早く気づいていれば探す当てもあったものを。悔やまれてならない。

そのとき、ふとある思いが浮かんだ。
その文中にあった「テカテカと妖しげにきらめく光の筋」という言葉から、なにかイメージを呼び起こされたような気がした。

まさか、それはないだろう。
いったん否定したが、かえって頭がそっちへ引きずられていく。
仮に、M山がそのナメクジを探しにいったとしても、そのためではないとは言い切れない気がしてきた。···いや、そう言い切れないどころか、ついさっきまで“まさか”だったものが、もはや“多分”にまで増長してきている。
そうにちがいない、M山はあの光の筋で絵付けをするつもりにちがいない。もちろん、直接か間接か、やり方や程度はいろいろとグラデーションがあるだろう。
そのことについて、例の図案帳に書いてないだろうか。最初に一読したときには見当たらなかったが、図案の間にメモのようなかたちで埋もれてはしないだろうか。とにかくもう一度見せてもらおう。