当時、この地に吟遊詩人ウロが数年置きに訪れていたことは以前の調査で分かっていたが、どういうルートで、どういう目的でやってきたのかはまだ分かっていない。
ただ、ルートについては、ほぼ同時期にここエルイナを訪れて殉教したエノシウスの記録を参考にできる。
また、エノシウスについては奇妙な逸話も伝えられている。エノシウス自身が吟遊詩人ウロでもあったという。だがこれは、エノシウスの殉教後100年ほど経ってまとめられた説話集にみられる記載であるため、鵜呑みにできない。おそらくエノシウスとウロが混同された可能性が高い。
とはいえ、混同されるのも無理からぬ事情があった。
ウロの作と伝えられる「ヤニチェスカのほとり」で謳われるヤニチェスカ湖はエノシウスの故郷に近い。エノシウス自身もこの歌を知っていて、故郷を懐かしんで口ずさんだりしてもおかしくない。
あるいは、殉死の際に神への祈りとともにこの歌を口にし、それが居合わせた人々から伝わっていくうちにエノシウスとウロが一緒になってしまったという経緯も有り得なくもない。
ドラマティックに過ぎた推測ではあるが、人々の伝承の原動力のひとつはドラマ性にあるといってもいい。人物の混同や内容の間違いは、ややもすれば消え去りかねないドラマ性=伝承力を増幅しようとする共同幻想から惹起される。
もうひとつ、ウロが歌い、エノシウスの故郷に近いヤニチェスカ湖についても一種の混同、同一視が生じている。
このエルイナにも風光明媚な湖があり、ヤネスカ湖という。お気づきのとおり、ヤニチェスカが訛るとヤネスカになる。
私はエルイナのヤネスカ湖はもともと別の名前だったと考えている。エルイナの人々はやってくる吟遊詩人の歌から想起されるヤニチェスカ湖のイメージをこの地の湖に重ね合わせたのではなかろうか。
ヤネスカ湖のもとの名はあったにしても、湖畔近辺の地名(ニレム)を借用しただけの名で呼ばれていたか、単に湖とか海とか呼ばれていたと思う。そこへ吟遊詩人ウロにより美しい湖のイメージを植えつけられ、いつしかニレムにある湖のことをヤネスカと憧憬の念を込めて呼ばれるようになったのではと。
もちろん、この地の湖はもとからヤネスカと呼ばれていて、ウロが歌う湖の名もヤニチェスカで親近感が湧いて、この歌も伝承されるようになったと考えることもできる。実際、近年になって姉妹都市の友好関係を結んでもいる。
ただ、ルートについては、ほぼ同時期にここエルイナを訪れて殉教したエノシウスの記録を参考にできる。
また、エノシウスについては奇妙な逸話も伝えられている。エノシウス自身が吟遊詩人ウロでもあったという。だがこれは、エノシウスの殉教後100年ほど経ってまとめられた説話集にみられる記載であるため、鵜呑みにできない。おそらくエノシウスとウロが混同された可能性が高い。
とはいえ、混同されるのも無理からぬ事情があった。
ウロの作と伝えられる「ヤニチェスカのほとり」で謳われるヤニチェスカ湖はエノシウスの故郷に近い。エノシウス自身もこの歌を知っていて、故郷を懐かしんで口ずさんだりしてもおかしくない。
あるいは、殉死の際に神への祈りとともにこの歌を口にし、それが居合わせた人々から伝わっていくうちにエノシウスとウロが一緒になってしまったという経緯も有り得なくもない。
ドラマティックに過ぎた推測ではあるが、人々の伝承の原動力のひとつはドラマ性にあるといってもいい。人物の混同や内容の間違いは、ややもすれば消え去りかねないドラマ性=伝承力を増幅しようとする共同幻想から惹起される。
もうひとつ、ウロが歌い、エノシウスの故郷に近いヤニチェスカ湖についても一種の混同、同一視が生じている。
このエルイナにも風光明媚な湖があり、ヤネスカ湖という。お気づきのとおり、ヤニチェスカが訛るとヤネスカになる。
私はエルイナのヤネスカ湖はもともと別の名前だったと考えている。エルイナの人々はやってくる吟遊詩人の歌から想起されるヤニチェスカ湖のイメージをこの地の湖に重ね合わせたのではなかろうか。
ヤネスカ湖のもとの名はあったにしても、湖畔近辺の地名(ニレム)を借用しただけの名で呼ばれていたか、単に湖とか海とか呼ばれていたと思う。そこへ吟遊詩人ウロにより美しい湖のイメージを植えつけられ、いつしかニレムにある湖のことをヤネスカと憧憬の念を込めて呼ばれるようになったのではと。
もちろん、この地の湖はもとからヤネスカと呼ばれていて、ウロが歌う湖の名もヤニチェスカで親近感が湧いて、この歌も伝承されるようになったと考えることもできる。実際、近年になって姉妹都市の友好関係を結んでもいる。