そこを通ると、
どういうわけか
旅愁を覚える。

べつに旅をしている
わけではない。
旅に出たいわけでも
旅から戻ってきてほどない
わけでもない。
かといって郷愁というものでもない。

いつもの通勤時間、
いつもの通勤電車、
いつもの車両。
進行方向右側の、いつもの車窓。

ただの町並み。
ところどころに空き地や畑があり、
一戸建て、アパート、マンション、
店舗、商業施設……。

田舎っぽい風景でもない。
とりたててレトロな感じもない。

子どもの頃、住んでいた町に
似ているとか、その時代の雰囲気を
帯びているわけでもない。

道や建物、木立や草花、
ひとつひとつ、部分部分には
旅愁の欠片すら見当たらない。
どうやら、その全体が、
全体として醸し出す雰囲気と
自分の中の旅情が共鳴するのだろう。

そんな小理屈をこねて、
いったん自分を納得させた。

しばらくその理屈を念頭に眺めてみる。

それでもやはり不思議でならない。
理屈と感覚は譲り合わない。

むしょうにたまらなくなり、
わざわざ平日に休みをとって、
その場所の最寄り駅で降りてみた。
じっくり歩いてみたら何か分かるだろう。
が、何も分からなかった。

その帰り、ちょっと心配になった。

週明け、またいつもの電車で
いつもの場所を通るとき、
いつもの旅愁は
もう湧いてこなくなるかもしれない。

現場検証をしてしまったから。
旅愁を生み出す状況を
解剖してしまったわけだから。

なぜああなるのかを
突き止められたのだったらまだいい。
何も分からなかったうえに、
あの不思議な旅愁も二度と
味わうことができなくなるかもしれない。
旅愁が湧く原因を突き止めることと、
旅愁とともにあの景色を味わうこと、
どちらが大切だったのか。


月曜の朝。
いつもの電車で、
もうすぐあの場所を通過する。

目を閉じてしまった。
見るのが怖かった。
あの旅愁が湧いてこなかったら…。

そうなったら、
朝の通勤電車の中、
迂闊に涙を流してしまうかもしれない。
でも明日はしっかり見よう。


翌日、とんでもないことが
起きていた。
その一画で、わりと大がかりな工事が
始まっていた。

だが、これでかえって
分かったような気がした。

あの旅愁のような
奇妙な感覚は、
このことの予兆のような
ものだったのでは…。

むかしの人だったら、
道祖神のお導きだとか
言ったかもしれない。